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スーパーで高次元が選ぶお菓子を知る

アシュタールさんの真髄を感じさせてくれた記事です。

その中の教育のあり方の例が秀逸です。

お父さんは赤信号の時は横断歩道はわたるべきではないと思っているし、そうしている。しかしそれが本当かどうかは、お前が大人になったらもう一度考え直しなさい。まだ子どものうちはお父さんの考えに従って欲しい。

アシュタールさん

「父」が自分の考えを述べ、従って欲しい意思を示しただけで決して強制にはならず、物事を決める基準を示している。
子供は従っても従わなくても良い自由がありながら、同時に選択によって起こる責任を感じさせる。
好きなようにさせて失敗させて学ばせるのは「父」の無責任さです。
知らないままにせず、知った上での学びは選択の責任です。
従わせるように見えて、父と子の対等の関係性があります。

「大人になったらわかってくれる」のは大人のエゴで、自覚を持って「父」の考えと違う大人になるのは尊重される個性です。


時々、アシュタールさんは人のタブーを超えたことまで言いますが、何でもありなどと考えるのは勘違いだと思うのです。
子どもの前で獣姦することでさえ、適切かどうか決める親子間での考えの折り合いだと教えてくれます。
犬猫を捨てるのも、中絶手術をするのも、責める基準がその人の人間性を形成していくのでしょう。ある意味で、伝統宗教が禁止にするからこそ、そこを基準に現代人がどう在る自分でいるかを決めていく選択の責任になります。


子供も知らないことが多いけど、大人だって知らないことが多いです。
知らないからこそ学びになりますが、知っているからこそもっと学びになります。
自覚した選択と責任になると考えます。


私がよく行くイオン食料品売り場で、子供のお菓子玩具などが陳列されているコーナーがあります。
ある幼児が、じーっと2つの商品を手に持って迷っていました。
多分、お母さんが1つだけ選びなさいと言ったのでしょう。
ガキンチョのくせに神妙な顔つきで吟味して、1つを選びました。
両方買ってあげるのは簡単なことですが、欲と自分が向き合えていません。
スマホにチャージされて好きなだけ買える子供は、親が優しいのではなく楽してるだけで子育て放棄です。金で解決できるほど楽なことありません。

子供に選択する基準を示しながら、子供が自分の決断に責任を取っていく。
たかがお菓子玩具ではなく、選択の失敗を経験しながら、人生の選択を重ねていくのでしょう。
このような面倒くさいと思われるけど、こだわるお金の使い方や、信号の渡り方だと思います。
ナイスお母さんと、ゴネずに選択するナイスなガキンチョでした。

豊富なお菓子だけでなく、スーパーには哲学の道が豊富にありますね。

ペタリンコ記事は、「選択が問題ではない」。
今回の記事は、「選択の責任」。
「選択」を考察する、角度の選択です。
などと都合よく言っておきます。


最後に、大人の高次元の存在の皆様、遠慮なく色々お知らせ下さい。
知るからこそ子供の私たちが自分の決断に責任を取っていけます。


追記
などと書き切ったところで、またアシュタールさんから素晴らしい話を聞けました。

「無意識とは、捕らえられ“無”い意識ではない」、と教えてくれました。
「無意識とは、まだ気づいていない意識」ということのようです。
つまり、「無意識」じゃなく「未意識」(みいしき、未だ掴んでない意識)ですね。
この未意識を実意識(みいしき、実存する意識)に変えるプロセスを、今回は結婚の例えでアシュタールさんは伝えてくれます。

引用はせずに、自分のコメントは転記する手抜きはお許しください。

追記の追記
などと書き切ったら、アシュタールさんだけでなくセス君までコメントもらって、すでに「色々お知らせ下さい」ました。




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