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見えてなかった現実の写実認識

ルネサンスで写実表現の芸術が広がりました。
単なる表現技術ではなく、私たちの世界が変わったのです。
それまでは現実を見えているようで見えてなかったのです。

写実の技術は光学的な手法なのですが、レンズを用いて現代のプロジェクターのように物体を壁に投影し、それをトレースする方法です。

投影をなぞることで、精密でリアルな絵画が描かれるようになりました。
それまでは、要素を平面的な特徴だけの絵画でした。実は技術の問題ではなくて、脳の認知がそのように捉えているのです。

壁画の人物を横顔でしか描けないのは、絵の技術が乏しかったのではなくて、脳の認識がそのように捉えたと考えられます。
そしてルネサンスで写実的に、立体的に陰影をとらえると、脳の認識が変わったのです。
見えてた現実が見えてなかったのです。
見える現実が変わったのです。
脳の認識で目の前の現実は違うのです。

ならば、私たちが今見えている現実も、実は違うものかもしれません。
脳の認識が変われば、実は現実は違う姿だと気づくのかもしれません。
壁画の延長線上のような絵画から、写真のようなリアル絵画を認識するという事は、次元が変わるくらい脳の認識が変わることです。


解剖学を理解すると人の動きの見え方が変わります。歩いてる姿が手と足が振っているだけに見えたのが、筋肉と骨格が協調して重力を利用した反力の動きに見えます。
つまり、認識が変われば見える現実が変わるということです。
幸せを感じていると、見えるものが変わる体験をされた方がいると思います。感情の程度で変わるのだから、認識が変われば激変するのかもしれません。

エネルギーを見る。波動を見る。
視覚じゃなく感覚をもっとクリアにした、この現実も脳が作ってる認識の感覚になる。
リアルゲームの延長にあるVRで現実と虚像が区別つかなくなると言われますが、逆です。
現実を脳が認識しているのでなく、認識が現実を存在させるのではないでしょうか。

宇宙人もそこにいる。見えてないだけ。
アシュタールさんは、宇宙人は既に待ち合わせ場所に待ってると表現されました。
現実はなかなか変わらないと言われますが、もう既に変わっていて、脳の認識次第なのではないでしょうか。
脳の認識とは、脳の処理ではなく、心や意識の状態、これが言い換えれば波動なのでしょう。


ルネサンスの写実絵画によって現実の見え方が変わる。
私たちが見ている現実は、未熟な認識によるだけで、もっと素晴らしい現実は実は目の前に展開されているのではないかと思うのです。
何かのきっかけで認識が変わるだけで、激変するような気がしてきました。

写実表現なんて、当時にとっては「不気味の谷」だったのかもしれません。
ましてや、写真なんて不気味そのもので、今の私たちがVRゴーグルつけて酔ってしまうような不快なものだったかもと思います。

もしかしたら、私たちが見ている現実は、何かデフォルメしているだけで、もっとクリアで精密な世界は自ら消しているだけで、既に存在してると考えられます。
手を伸ばした先には、未来の自分が既に触れる実在をしているのかもしれません。




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