プロフィール
このページでは、わたしが銀行に入ってからコンサルティング事業に至り人生を変えることができたお話をまとめていきます。
すぐに読み終わりますので、ちょっと息抜きに読んでみてください。
銀行員として1年目
平成5年に大学を卒業し、晴れて銀行員となりました。
学生時代をサッカーにささげてきた「体育会系」、銀行員としてやっていけるはずがなくいきなり挫折
しかも、想像もできなかった勤務状況
今の時代からは想像ができないと思いますが、わたしが体験してきたことです。
人生の転機が訪れる 同期で一番の出世コースに
しかし平成10年頃、Windows登場によりノートパソコンが安くなって自分でパソコンを購入。今でも忘れない「ソニーVAIOノート」35万円(たか!)
パソコンを手に入れ「体育会系」のわたしでも、融資書類の作業効率が格段にアップ。当時、支店では誰もパソコンを持っていなかったのでダントツで早かったです。
仕事ができるようになると楽しいもので、家に持って帰って朝3時とか4時まで仕事をしておりました。子供が小さいときなんかは、抱っこしながらも仕事をしていました。懐かしい。
ショックなできごと
平成9年に北海道で一番大きな銀行が経営破綻。北海道経済はどん底となり、平成11年頃も景気が回復しない状況でした。そのため、中小企業の業績も低迷しており融資を断るケースが増えておりました。
再度人生の転機
破綻した銀行は都市銀行だったため地方銀行とは雰囲気が大きく違いました。さらに、「体育会系」の性格であり学歴の壁もあり大きく感じていたころから「いつクビにされてもおかしくない」と思いながら仕事をしていたことを思いだします。
そんな中、幸か不幸か昇進してしまい、「融資第一部審査役」の異動が決まってしまいました。名誉な職でありますが、銀行員の中では一番行きたくない場所です。職種は支店長の位ですが、上司には役員や執行役員が在籍しいわゆる「したっぱ」となるからです。
詳しく言えませんが、この時「半沢直樹の世界」を体験しました。
再々度人生の転機
学生時代には3冊ぐらいしか本は読んでいなかったのですが、30代後半ぐらいから本を読み始め、初めは、カーネギーの「道は開ける」や安岡正篤の「いかに生くべきか」など自己啓発の本を読みあさり、時には「超訳 吉田松陰 覚悟の磨き方」を読んで涙することも。さらに、速読も勉強して1ヶ月に100冊読んだこともありました。
支店長と1千万円超の年収をすて、さらに子供は大学生と高校生の2人。今になって考えると恐ろしいですが、その時は「思考は現実化する」を本当に信じていたので不安はありませんでした。
まとめ
現在は、コンサルティング事業を通じ自分の思うように中小企業の経営者様のお役に立てていることを生きがいを感じております。また、十分生活できるだけの収入を得ており、趣味の時間も確保できることから、充実した人生を送っております。
今後のこと
まだ3ヶ月程度の勉強ですが、Wordpressでホームページを自作しました。別にブログページを自作して立上げ、融資に関する記事を8記事アップ(2024.2.20現在)しております。Wordpressの関連記事を書けるようさらに勉強したいと思います。
これがわたしのプロフィールですが、独立や起業をめざしている方の参考になれば幸いです。
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