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#5_恐怖に支配される人生



人生って苦しいことの方が、多くないですか?


しかも、圧倒的に。

どうして苦しいことの方が圧倒的に多いのか?

それについて、書いていこうと思っています。

最初に、僕なりの考えた結果を書きますが

苦しみの原因は、「恐怖」にあると思っています。

「恐怖」とはなんでしょうか?


「狭い場所」

「尖ったもの」

「怒られること」

「死ぬこと」

「おばけ」

「他人からの評価」

「自分自身に対しての評価」

「できると思っていたけど、全然できなかったこと」

など

数えればきりがないくらいあります。

私たちが最も反応したり

人生の中で出会う、一番多い感情は「恐怖」です。

恐怖に支配される人生


生きる上で、ずっと恐怖はついてまわる。

思い返すと、大きなものから小さなものまで

恐怖がない日なんて1日もありませんでした。

生きている = 恐怖

これは大げさではなく、これが実際におきていること

みなさんも感じていることだと思います。

何か良いことがおきても

すぐに頭に浮かんでくる「〇〇は大丈夫だろうか」という恐怖。

恐怖の上に、新しい大きな恐怖が上書きされていく。

「朝起きた時」

「仕事で失敗した時」

「失恋した時」

「お金が無い時」

「人にネガティブなことを言われた時」

「歩き方」

「箸の持ち方のダメ出し」

など

常に恐怖が恐怖を上書きしていて

小さい恐怖は、大きい恐怖によって忘れさせられる。

大きい恐怖を見ないために、小さな恐怖を使い安心する。

世界は恐怖でできている


素直に書きますと

みんな、本音では

「恐怖でいたい」

そう、思っています。

人に言うと

「そんなわけない。常に幸せでいたい。」

そう返ってくるでしょう。

でも

自分自身に対して素直に、奥の奥にいる自分に問いかけてほしいです。

心のどこかでは

「恐怖でいたい」と思っているのでは?

なぜだかはわからないけど、恐怖でいると安心する。

恐怖でいたいのです。

考えれば考えるほど、矛盾した答えですよね。

「そんなわけない」

「私たちは幸せでいたいんだ」

たしかにそう思うし、みんな表面ではそう言います。

ただ、どこかで

「常に恐怖でいたい」

「恐怖を持っていないと、不安になる」

そう思う気持ちもあるのではないでしょうか?

すこし離れて、別の方向から見ると

「幸せでいたい」と考えること自体が

いままさに「恐怖でいる状態」だから思うことですよね。

誰かが言っていた

「ポジティブ」か「ネガティブ」かを考えている時点でネガティブだ。

それと同じです。

自分は

「恐怖でいたいと思っている」

なぜだかわからないけど

心の奥底では幸せでいたいとは思っていない。

偽る恐怖


恐怖の一つに

「他人にどう見られるか?」

があります。

そのために

自分を偽り、できるフリをする。

しかし

その偽りの姿勢は

「本来の自分があきらかになること」 への恐怖だと思います。

本当は、ちっぽけな自分であることに気がついているが

あきらかになるのが怖い。

レベル100のフリをした自分でいたい。

そのため

ずっと、偽る。

「このまま偽り続けてもいいのか?」

という新しい恐怖も生まれる。

私たちは、偽ることで

「偽り続けること自体の恐怖」も作り出している

そして、ずっと抱えたまま生きていきます。


僕たちは、苦しみから逃げることを「幸せ」と思う


楽しいは、単体である訳ではなく

苦しいことから、逃げられている時を「幸せ」と思うんじゃないでしょうか?

僕の場合を考えると、常に苦しいことから逃げている状態の時、「幸せ」と感じていました。

素直に思っていることをそのまま書く


「僕は、恐怖でいたい。」

「恐怖でいれば、なぜだか安心する。」

「恐怖でいれば、誰かが慰めてくれる。」

「恐怖でいれば、自分自身に言い訳ができる。」

「恐怖でいれば、偽っていれば、本来のちっぽけな自分を見なくて済む。」

「恐怖でいれば、何もしなくて済む。」

きりがありません。

ずっと、恐怖でいたい。でも、それでいいのか?


確かに、恐怖でいることで

危険を回避したり、失敗も減ります。

偽りの自分を守ることもできます。

ポンコツなのが誰にもバレずに、逃げ切ることもできそうです。

でも

人生の目的は、恐怖から逃げることでしょうか?

人生の目的は、恐怖から逃げることではないですよね。

恐怖から逃げることで

レベル0が、レベル1になるのでしょうか?

本当はレベル0なのに、レベル100のフリをしたままでいいのでしょうか?


心の奥で、色々な意見を持つ自分達に出会う


「奥の奥」の自分は、恐怖でいたい。

「奥の奥の奥」の自分は、できることはやりたい。

「奥の奥の奥の奥」の自分は、何を思っているのか今はわからない。

恐怖がなくなった時のことをできる限り想像してみる。

恐怖が無くなった時、体が動かない。

何もやる気にならない。

それは

人は、恐怖を原動力に動いているから。

「そんなわけないだろう」

「希望を原動力で動いているんだ。」

そう思う自分もいます。

世の中では、多くの人が「希望」で動いている。

そういうこともわかる。

ただ

心の中の誰かは

「人は恐怖で動いているんだよ」

「恐怖だから、承認欲求があるんだよ」

そうささやきます。

一体誰が、ささやいているのか

なぜ、そうなのか?

今後、あらためて考えることにします。

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