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#3_僕は常に「疑っていた」


僕は常に「疑っていた」


相手に対して、常に「疑っていた」

人と交流する時には

常に「疑問」からはじめていました。

気がついた時から

いままでずっと

そう思ってきました。

どうして、疑うのか?


相手が

「自分のプライドを傷つけてこようとしている」

「弱みを見せると、つけこまれ、脅迫されるのではないか?」

「自分以外は、全て敵」

それを回避したくて

相手へ

攻撃的になる

マウントしようと思う。

そればかりだった。

マウントばかりだ。

相手とのコミュニケーションは、マウントを取るか、取られるか。


それだけでした。

その考えに、とらわれると

相手を論破するしか方法がなくなります。

原因は

僕が、全てを「疑ってきた」からです。

疑うことで、良いサイクルは一つも生まれない


「疑う」 → 相手を疑う → 拒否
「疑う」 → 自分を疑う → 自己否定、自己嫌悪

「疑うこと」は、この2つのサイクルのどちらかになります。

どちらも良い結果にはなりません。

【例えば】

(1) 相手を疑う
(2) 弱みを見せると、マウントされるのではないか?
(3) マウントされたくないから、相手を論破しようとする

相手の立場になった時、常に疑われていたら

「本音」も言えないですし

「本音」を言いたくもないですよね。

何より

「相手の本音」や「素直な返答」は、出にくいので

僕が望む答えはきません。

相手の「本音」が知りたい時には

特に

マウントをしようとしてはダメということです。

文章に書くと

「当たり前」だと思いますが

これまで、考えたこともなければ

文章にまとめることもしてきませんでした。

つまり

認識もしていなければ

理解もしていなかった

ということになります。

疑うことで、何一ついい結果にならないことは

これを書いていて、ようやくわかりました。

全ての原因は、僕にあった


僕が、相手を「拒絶」していると

相手も「拒絶」して当然

僕が、拒絶している理由は

本音を言うと、「守れなくなるから」「怖いから」

ということですね。

そんな人に、一体誰が本音を言ってくれるでしょう?

全ての原因は

「僕」にあったわけです。


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