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#10_プライドが傷ついて、死んだことがありますか?(2)

この投稿は、前回の続きになっています。

前回はこちら


わからないことは、大きな恐怖に感じる


後から冷静になると、不思議に思うことがあります。

それは

「プライドを守ることができなかったら、どうなりますか?」

「プライドを守ることは、死んでもやらなければならないですか?」

これまで、僕もプライドを死守しようと生きてきたので

一度くらいは、守れなかったこともあったと思います。

その時

僕はどうなってしまったのか?

「絶対に死守したい」大事なものを守れなかった時

僕は

死んでしまったんでしょうか?

答えは、死ななかったです。

そして、振り返ると

「大したことなかった」

と思います。


もしかすると、ノーダメージなのかも


自分に対して、問いかけます。

「プライドが傷ついて、死んだことがありますか?」

「プライドが傷ついて、体が傷ついたことはありますか?」

「プライドが傷ついて、なにか困ったことがありますか?」

もしかすると

「プライドが傷ついても、何も困らないのではないだろうか?」

「一体、誰が困るのだろう?」

ひょっとして

「ノーダメージなのかも」

実は、全くたいしたことがなかったものではないだろうか?

苦痛もなければ、ダメージもない


「まぼろし」を怖がっていただけなのかも


何も感じないはずの「まぼろし」を

僕らは、毎回、死ぬほどつらいことのように受け止めているだけなのではないか?

「どうして、プライドを守りたいのだろう?」

そう考えてこなかったことが原因で

「プライドについて、何も知らなかった」

「プライドについて、無知であった」

僕は何のために、気を張り、頑張ってきたのだろうか?

プライドが傷ついてもノーダメージだとすると

これまでの人生で

理論武装し、頑張ってきた時間は一体何だったのだろう?

人生の中で、優先順位をあげ、取り組んできた物事の全ては

本当に人生の中で、大切なことだったのだろうか?

これらは、全て「まぼろし」だったのではないか?

そう思います。

私たちはの人生は、なにかから守るためにあるのか?


私が思うに、私たちはの人生は、なにかから守るためにあるのか?の答えは、、

守るものは、全て幻想で、守るべきものは一つもなかった。

という答えになりました。

「守るべきもの」として、人生の中での優先順位をあげ、それを守ろうと生きる。

たった、それだけのことに感じました。

みなさんは、どう思っているのでしょうか?

何を思って生きているのでしょうか?


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