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昭和の時代の香港でのお話です。~楊さちこ

当時、ツアーガイドとして働いていた旅行会社にはガイドが100人おりました。その中で正式な日本人は私ひとりでした。中国に留学していたので北京語は話せましたが、当時香港では広東語が主流でした。いくら日本人相手の旅行会社だからといっても、ガイド全員が日本語を喋れるからといっても、みんなの普段の会話は広東語でした。

北京語と広東語では、別の国の言葉?というくらい発音が違います。
例えば、「私は日本人です」
北京語は、「我是日本人うぉすーりーべんれん」
広東語は、「我係日本人んごはいやっぷんやん」
とこんなに違います。


言葉がわからないので、みんなで話す時には、思わず無口になっていました。
そんなときに、仲良くしてくれたひともたくさんいました。
そのうちのひとりが プイマン。私より4歳くらい年下で、超美人。

ある日、そのプイマンに誘われて、ふたりで飲茶することになりました。
場所は尖沙咀東部(チムサアチョイイースト)の免税店のそばのビルの7階。
「ここは、点心だけでなく、デザートがとっても美味しいよ〜」とプイマン。
それで、ふたりで、おしゃべりしながらパクパク食べて、最後のデザートに手をつけようとしたときのことです。

突然、どどどどーという音と共に、おりゃー(としか聞こえない)怒号が響きました。
音のした方を見てみると、青龍刀や、金属の棒をもった、半袖から見える腕にはもんもんがいっぱいはいったひとたちが、一方向に向かって走っているところだったんです。

飲茶をしていたまわりの人たちは、とにかく、荷物を持ってエレベーターの方に我先に向かって行こうとしていました。

その時、
プイマンは私に「このデザート美味しいから、最後までしっかり食べようよ」と。

ええ??? すぐに逃げなあかんのとちゃうのん?
とは思ったのですが、あまりにもプイマンが堂々としているので、
そうやな!と最後まで食べました。

「さあ、忘れ物がないように、行くよ、ついてきて」とプイマン。

(私たちはガイドが職業で、お客様にいつも忘れ物がないように!と確認しているのですが、こんな時にも、忘れ物がないかを確認するプイマンにおもわず笑ってしまいました)

私はプイマンがエレベーターの方に行くと思っていたのですが、彼女が選んだのは、非常階段。当時流行った10センチヒールでかろやかに走り始めました。
私もとにかく後ろをついて行こうと走り始めました。

非常階段を1階分くらい降りた頃に、下から、どどどどーという音が聞こえてきました。
そう、青龍刀を持った人たちが、階段を上がってきたんです。

非常階段って、幅が狭いんですよ。すれちがうのがちょっと大変な感じ。
私は、もんもんだらけのお兄ちゃんにぶつかってしまいました。

ひえええ〜、となろうとした時に、
そのお兄ちゃんが、
「ぶつかってごめんね、気をつけて」と私に言ったのです。

何が何やらわからない。でも、プイマンの背中は見えなくなっていました。

もうもう、ヘロヘロになりながら1階について、扉を開けました。
すると、道を挟んだ向こう側にある日航ホテルの入り口にもたれているプイマンが、私を手招きしていました。
「日航ホテルでアフタヌーンティーをしよう」。

怖かったのとホッとしたのが入り混じっている私は、
言われるがままにお茶を飲み、勧められるがままに、ケーキを食べました。

すごいのは、プイマン。
何事もなかったように、普通にしていました。。

私は、何事にも動じずに、冷静に状況を把握できるプイマンみたいになりたい!
と心から思いました。

そしてこの出来事は、私にとって初めての「食い逃げ経験」でもありました。

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▪️楊さちこ(Yu・Sachiko):中医学博士 / 健康風水師
大阪出身。元添乗員、元香港ツアーガイド
香港のパワーを浴び続けて40年以上。
料理好き香港人の夫・ろんちゃんと自然豊かな新界地区で暮らしています。

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