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城は足腰が強いうちに

世界遺産の姫路城に行った。

姫路城は1300年代に築城された、本格的な日本式木造城廓である。
日本木造城廓の見本とも言われるその姿を、700年にわたって残してきた功績から、日本初の世界遺産ともなった。

ところで、姫路城は戦国時代に築城された城砦である。
城砦が来訪者を歓迎することがあるだろうか、いや、ない。

入城 天守閣にたどり着くまでがもうキツい

元来、日本の城は砦の役割を担っていた。

戦国時代に築かれた多くの城は、山城である。
山城とは、その名の通り山のような高地に築かれる城で、主に要塞や砦としての役割を果たす。軍事施設といってもよい。
代表的な山城は、安土城、竹田城などがある。

この山城だが、いかんせんアクセスが悪い。砦をアクセスのいいところに作っても意味がないので当たり前である。

戦乱の世が過ぎ去り、徳川による日本平定が進んで世が平和になると、城は山城から平城へと遷移していく。

平城というのは、これまたその名の通り、平らな場所に建てられた城である。もちろんアクセスもいい。
平城は、山城とはうってかわって、主に政治を行う場所や殿上人が住む場所であった。国会議事堂を山の上に建てるのはさすがに不便だろう。国会議員の膝と腰が壊れる。
代表的な平城には、江戸城、二条城がある。

で、山城から平城へ遷移する途中には、平山城というものも建てられた。山ほどは高くなく、しかし平地でもない、強いていうなら小高い丘くらいに建てられた城を、平山城と呼ぶ。
姫路城は、この平山城である。

平山城は、お察しの通り、山城と平城を足して2で割ったものである。メリットもデメリットも足して2で割る。

戦乱に備えて築城された姫路城だが、姫路城で大規模な戦闘が起こったことはなかったらしい。
だが、敵を迎撃する備えはある。
中心の天守閣にたどり着くには、勾配があるジグザグの道を進まなければならない。ちなみに上の道の壁からは、鉄砲を突き出して撃てる穴がある。

石垣。扇の勾配
天守閣
石垣と天守閣
まっぷるトラベルガイドより

メインの天守閣に行くまでに、すでにまあまあな勾配のある坂を、しかもジグザグと大回りしながら上らなければいけない。
健康な足腰の人であれば大変な坂ではないが、ヒールだとキツいと思う。

ちなみに、日本で最も有名な城であろう大阪城は平城である。シンデレラ城も平城だ。
あのあたりの有名な平城を見て、城といえば平城のイメージで姫路城に突撃すると思いもよらぬ勾配にびっくりする可能性がある。歩きやすい靴で姫路城に行こう。

そうだった、そういえば日本の城はもとはといえば要塞だったんだな、軍事施設だったんだな、というのを思い出させてくれるのが姫路城である。

天守閣 我々を歓迎せぬ階段

天守閣は七階建てである。地階、一から六階までの七階だ。

そしてもちろんエレベーターもエスカレーターもない。

姫路城公式サイトより 大天守四階の階段

上の写真は、姫路城昭和の大工事時の写真であるが、この階段は現在も健在である。

階段が急勾配なのも大変だし、梁が低いため頭上注意だ。平均的な背丈の大人はしゃがみながら階段を登らなければならない。本来階段には「上る」の漢字を使うのが一般的だが、よじ登るの意をもつ「登る」という漢字を使いたくたるほど登りにくい。ちょっとグラグラすることがある手すりを頼りに、よじよじと登る。

こんな階段だと、昔ここに住んでいたお殿様や家来たちは大変だったのでは?と思うかもしれないが、実はそうでもなさそうだ。

というのも、また平山城の話に戻るが、姫路城は半分軍事施設なのである。人が居住するための城ではなかった。
天守閣は、倉庫の役割を果たしていた。武具庫や、鉄砲の掛け棚が残っている。

というわけで、姫路城の階段では、上りやすさよりも、むしろ上りにくさのほうが重視されたはずだ。城砦の階段は、もし敵兵が城内に侵入した場合は、階段を外して上ってこられなくする。

つまり、観光客には不便な階段も、当時の城塞建築としては理に適っている。

まとめ 城には足腰が元気なうちに

足腰が元気なうちに城に行こう。行きたい城があるなら、行き惜しみせずに今行こう。

城砦として築かれた城は数多い。急勾配の坂、山、崖、来るものを歓迎しない階段などを攻略せねば城砦に辿り着くことは叶わない。

あと歩きやすい靴で行くのも忘れずに。

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