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ピリカ文庫「リトルブラックドレス」

 クリスマスパーティーという名の忘年会に行くのは五年ぶりだろうか。あれは結婚寸前だった同期の俊輔と別れてからだから、もう六年になるのかと柊子は独りごちた。クリスマスは思い出がまとわりつくような気がする。十一月に入った途端クリスマスムードに包まれる街が厭わしくてならなかった。傷ついたし、傷は癒えないまま、柊子は着飾ることすらやめてしまった。

 そのワンピースはタフタでできていた。至ってシンプルなデザインのもので、ラウンドネックでノースリーブ、ウエストにたっぷりとギャザーを寄せた膝下までのスカート。まるで忘れられない夜を切り取ったようなリトルブラックドレス。鏡の中でこちらをみている柊子の体に驚くほどぴったりで、そして驚くほど彼女を引き立てている。

 祖母かの子から柊子がこれを受け取ったのは二十一歳の誕生日だった。大正生まれのかの子は大きな商家の末娘として生まれた。四人の兄を持ち、たった一人の女の子だったため、家族全員から可愛がられ蝶よ花よと育ったらしい。生涯苦労はさせまいと女学校時代には早々に親の決めた婚約者がいたようだ。ところが、大人しく従順だったかの子が(長くなるので端折るが)祖父と出会い駆け落ちしてしまった。家族にとっては青天の霹靂だったはずだが、当のかの子も庶民の暮らしを知らぬ間に恋心に任せて、いや少し恋心に酔って、祖父に連れられて出奔してしまった。まあ当たり前と言えば当たり前だが、苦労の連続だったようだ。それでも優しい祖父との生活は幸せだったという。外に働きに出ようとしてもお嬢さん育ちで何もできないかの子が、唯一秀でていたのは裁縫だった。なにぶん、不自由のない生活を送り、なにぶん、蝶であり花であったため、流行にも敏感に育った。裁縫の内職をもらっていた近所の呉服屋の娘から頼まれ、アールデコ調の柄の着物を解いて、そこからワンピースを仕立てたところ、大層喜ばれて注文が来るようになって家計を支える一端になったそう。かの子はお嬢さん生活から荒波に飲まれる人生だったけれど、元来の楽天的な性格が幸いして戦前戦後をそうして生き抜いてきた。

 柊子は冬に生まれた。雪のように真っ白い肌の赤ちゃんだった。雪に映える柊のように、そして、西洋の言い伝えのように災いを避けての幸せに生きよ、と名付けられた。七つのお祝いの時にはかの子が「しゅうちゃんは色が白いから似合うわ」と赤い着物を選んでくれた。十六歳になった時には「スイートシックスティーンっていうのよ」と真っ赤なコートを縫ってくれた。かの子の手で丁寧に縫製されたその深紅のコートを柊子は長年愛用していた。成人式の時、スラリとした振袖姿の柊子に終始笑顔が溢れていたかの子から手渡されたのはシンプルな一枚の赤いタイトスカートだった。これもまた随分愛用した。

 そして二十一歳になった時に渡されたのが黒いシンプルなワンピースだった。当時柊子はこのごくごく普通のデザインで何の変哲もない服を手にして不思議だった。いつも赤なのに、どうして黒なのかしら。おしゃれなおばあちゃまが、なんでこれを縫ってくれたのかしらと。喪服かとも思ったが、腕を出すデザインのワンピースはそうではないだろうということはすぐに気づいた。かの子は「アフターティーンバースデーだから」と二十一歳の誕生日を大切に思っているようだった。このあと、かの子はミシンで洋服を作るのをやめてしまった。ところがこのドレスの良さに気づかないまま、友人の結婚式には振袖を着たり、華やかなオーガンジーのワンピースに袖を通したりと、身につけないままに時間が流れた。

 あれから、十五年がたち、萩の花が揺れる頃、かの子は前年身罷った祖父を追うように他界した。とうとうあの黒いワンピースを身につけた姿を見せることができなかったと後悔したのは、かの子からの手紙を母から受け取った時のことだ。実はもうその存在も忘れかけていた。

 柊子ちゃん、おばあちゃまが二十一歳の誕生日に送った黒のドレスをまだ持っているかしら?あれはね、「リトルブラックドレス」っていうのよ。ココシャネルがその昔作った時は、黒は喪服の色だったの。でもね、シャネルは「黒はすべての色に勝る」って言って黒いドレスを売り出したんですって。そのあと、黒はとてもシックな誰もが身につける色になっていったのよ。女性を送りだす最低限の小さな鎧みたいよね。
 あのドレスはね、タフタという生地で作ったの。タフタは絹だけれど、ペルシャ語で「紡ぐ」っていう意味があるの。あなたはそのままでありのままで十分美しいのよ。女性は誰だってそうなの。だから、あの黒いドレスを着てどこかのパーティーに行きなさい。これは遺言よ。守ってね。
 いつも胸を張って、堂々と自分の人生を紡いでね。おばあちゃまは先に空の上に行っているわ。あなたもいつか来るでしょうから。その時にはまた遊びましょうね。

 手紙には、かの子が生家の母から譲られて、長年大切に持ち続けていたという真珠のネックレスが添えられていた。初めて袖を通したリトルブラックドレス。そこに祖母の真珠を身につけて、これからパーティーに行く。

 だって遺言は守らなきゃね。柊子はにっこりと大きく笑った。

ピリカさんからお声をかけていただいて、
とても光栄なことに3度目のピリカ文庫に
挑戦させていただきました。

しばらく真面目に物語を書いていなかったので
なかなか捻り出すことができませんでしたが、
ふと、小さな鎧ともいえるこの黒い小さなドレスについて書いてみようと思いました。

この「リトルブラックドレス」という言葉は
欧米ではすごく有名な言葉なのですが、
私は全然知らず、
昨年くらいに知りました。
どのくらい有名なのかといえば、
トラオさんの口からもクイズの問題の答えとして
スラスラと出てくるくらい有名です。
日本でも有名なのかもしれませんね。
私は雲の上をいつもフワンフワンと
歩いてきたし、いまもそんな感じで
知らなかっただけかもしれません。てへへ。

でも知らなかったのに、私も持っていたんです。
黒は基本身につけないのに、
黒のドレスを持っていた不思議です。

ご一緒させていただいたシロクロさんの作品は
こちらからどうぞ♡


ピリカ文庫はいま、どのくらいの数があるのでしょう?ピリカさんの力は偉大です。

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