④専門医での診察
その病院は、地域に昔から住む年配の方はとても嫌っている病院でした。
「気違いが行く所」というのです。
これは差別的用語と思うのですが、お構いなしでそういうことを言う人がいるのです。
でも、私はこの地域出身ではないですし、この病院が特に問題を起こしたという話を聞いたことがありません。知り合いがその病院に入院し、今は普通の生活に戻っているという話は聞いたことがあり、それほど嫌だとは思っていませんでした。
むしろ自宅から近く、通院を考えたらここへ連れていくことしか当時は考えられませんでした。
母は、基本的に病院が大嫌いです。
かかりつけ医のところへはしぶしぶ行きますが、健康診断と名の付くものは毛嫌いしています。
案の定、「脳ドッグ、私も行くから、一緒に行こう?」と言ってみても、「そんなに診てほしいならあんただけ行けばいいじゃない」とけんもほろろでした。
ある出勤前の忙しい朝、「父のところに女が来た」云々の呪文のような妄想を聞いていた時でした。
さすがに、毎朝出がけにこれを聞くのはもうしんどい、と思った私は、真顔で言いました。
「お母さん。そんな女なんてどこにもいないよ」
「だって、私は見たのよ?この目で」
「だからそれがおかしいと思うんだよ。私の言うことはお母さんのためだってことを信じてほしい。だからちゃんと聞いてほしいんだけど、それ、本当に病気だと思う。一度、病院に行く?」
私の気持ちが通じたのかどうか不明ですが、その時一瞬だけ、私病気なの?なら、行かないでもないけど?という反応を示しました。
それを言質に、夫と二人で、なんとかかんとか連れて行きました。
MRIから血液検査、問診など様々な検査を受け、その結果、初期のアルツハイマー型認知症であるとの診断でした。
母は、医師の話を私と一緒に聞いています。
けれども、一晩あけると、自分よりも年配の近所の人や友人に「私、認知症なの?」と尋ねては、あなたのどこが認知症なの、あんな病院あてにならない、などと言わせていました。
母を大切に思う家族や専門医よりも、自分の言動に何の責任も持たず、母のことをよく知りもしない、素人かつ真赤な他人の言うことを信じようとする行動そのものが母らしくなく、やっぱり病気なんだなと悲しくなりました。
しかしそれよりも、専門医に認知症であるとはっきり言われたことの方が、ショックでした。
あくまでも平均の話ですが、認知症の方の寿命は、そうでない人よりも短い傾向にある、という記事を読んだからです。
また、当時存命だった父にも、この診察結果を伝えました。そして、優しくしてあげてね、と言いました。父は、そうか、としょんぼりしていました。
しかし母は、落ち込んでいる私や父の気持ちなどどこ吹く風で、自分は間違っても病気じゃない、あんな病院は気違いの行く所だ、自分は二度とあの病院には行かない!と通院を断固拒否したのでした。
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