見出し画像

一時の迷い。エステ開業ではなく、大学職員へ?

こんばんは。

昨日は、起業のきっかけを書きました。


実は、
すんなりエステを開業したわけではなく、

もう一つの選択も捨て、サロン開業に至っているので、良ければお読みください。
記録です。


1.大学生活

わたしは大学時代、都内の某女子大学へ通っていました。
専攻は、住居学論、居住文化論。
暮らし、建築、豊かさ、色彩学、デザイン、アール・ヌーヴォーなど…。

サークルは、他大共学のインカレに入るも辞め、女子大内のモダンデザイン研究会とゆう文化部なサークルへ入り直しました。

友達、バイト、ゼミ、このルーティーンで忙しい日々。

大3が1番楽しくて、豊かな体験をさせてくれるゼミに入り、
book cafeでケーキと紅茶をとりながら、
インテリア関連の本を眺めて2時間終わったり。
リッツカールトンのスイートルームで授業をしたり。
試験後は褒美で、先生がフレンチのコースをご馳走してくれたり。
課題がたくさんあった分、豊かな経験を積めるゼミでした。
上記の目的は、
"空間の与える、人への満足度を学ぶ為だったとおもう?"笑 (ただの贅沢や遊びじゃないです…)

空間の与える満足度調査で、
落ち着いたダウンライトの下で食べる食事と、チカチカする蛍光灯の下で食べる食事。同じものを食べても、前者の方が人間は満たされるとゆう結果がある。


そんな遊びも勉強も楽しんだのち、
就職活動も順調に、金融、赤色グループの会社員へ。

2.突然の連絡

ある日、会社のお昼休み中、ゼミでお世話になった先生・大西先生から電話がかかってきました。
"あーだこーだ、、・・あやか、母校の助手をしないか"と。(何故かいつも先生にあやかと呼び捨てされるw高校の顧問も、そう)
私はそんな優秀な成績でもなかったのでびっくりしました。
誘われた理由は今でもよくわかりません笑 
なにが買われているのでしょう!?

ちょうどこの頃、前の記事に書いた
松田さんたちとご飯へ行ったりエステでお肌が綺麗になってきて心境の変化がある時でした。

選択肢が一気にくる2018年夏。
人生の分岐点を初めて経験しました。


3.勝手に過ぎていく日々

OLのままか、エステするか、大学に勤めるか、
自分で決断することだから友達にもあまり言わず一人で悶々と悩む日々。
最初は、先生にお声がけいただいたし!!と大学の方を選んでいました。勉強し必要な資格も受け合格までたどり着けました

でも、こころの内では、美容、好きなことをしたい思いとの葛藤も。

4.親

私の親は、お母さんが小心者、大胆でチャーミング、天然なタイプ。お父さんは面白いけど、不器用で私に対してシャイ。わたしが体調崩した時くらいしか私のこと大切とか心配とか言わない笑 

ある日、バイト仲間からの「二日酔いだからバイト変わって〜」ってやつ。
そんな連絡がきて、
わたしは、
「こんな理由で私に変わってってずるい。代わらないー」と家でぼやいてました。

でも、父は"変わってやりな。"と一言言ったんです。
体調不良でもないのにと思いつつ笑
困ってる人がいたら助けてあげる優しさ、、父なら変わるんだーと。

なんか考えさせられました。

4.きめる

そんな何気ない会話を思い出し、私は、大学の件、やめることにしました。困ってる人がいたら助ける、力になるって、感謝されるから。
私は肌荒れに悩んでいたし、この先肌荒れに悩んでる人の力になること、それがしたい!!って心が決まったのです。

大西先生には、資格の合格通知もらった時に、やっぱやめます、と言いました。
先生はびっくりしてたけれど、応援の言葉を言ってくれました。
なんとも、複雑な気持ちになりました。

5.最後に


そんなあらゆるチャンスが、次々と舞い込む時期でした。神様は、私を試しているのか?と思うくらいに。

色々な、甘い話が目の前に突きつけられても、結局をエステを選びました。

未経験だし、収入が安定するかも不明、お客さんが来るかも不明、生活できるかも不明。


でもそれくらい、したかった事に巡り会えて、幸せです。

余談
この大学の件、誘ってくれて資格受かるまでサポートしてくれた先生への罪悪感?なんとも表現できない気持ちが消えなくて、先生が好きな言葉って言ってたミースファンデルローエのless is moreとゆう名言をサロン名にしました。色々忘れちゃいけないなって。
サロン名の由来はそこから来てます。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?