見出し画像

story + teller

自分がよくわからない

人生の折り返し地点もとうに過ぎているにもかかわらず、未だに自分というものがよくわからないでいる。そういう年頃なので、今さら自分探しの旅へウキウキ出かけたりすることはないが、手近なところでGoogle先生に訊いたりすることはある。しかしながら、結局のところしっくりくる答えは未だ見つかっていない。

「俺はそういう人間だ」
とクイックに的確に自分を語ることができずにいるため、初対面の時や職場で自己紹介を求められる際に困ることが多い。好きな食べ物を挙げることは簡単なのに、ひとたび対象が自分自身になると、つかみどころがなさすぎるのか、ポイントが見えなくなってしまう。

君はアンビバレントだね

かつて恩師にそう言われたことがある。
他人から自分をDescribeされたのはこれが最初で最後だったと思う。
言われた当時はアンビバレントの意味がわからなかったが、今はこれ以上に納得のいく説明はないと思っている。けれど、相反する要素を併せ持つということで、ますます自分がよくわからなくなった。

・生真面目なようで、不真面目
・几帳面なようで、ズボラな面もある
・豪胆そうに見えて、石橋を壊れるまで叩く
・面の皮が厚そうに見えるが、案外繊細
・鋭いようで、鈍いところもある
・持久ランナーのようで、短距離パワー系
・決断力がありそうで、ランチのメニューもなかなか選べない
・努力家のようで、勉強嫌い
・綺麗好きだが、掃除が面倒くさい

ショーウィンドウに映る自分

嫌いな人とは付き合わないし、苦手な人を避けるのは当然だが、結局のところ、自分とは今後も嫌でも付き合っていかなければならないらしい。であればこそ、付き合う相手の傾向は知っておきたい。

絵を描くことが好きな人、音楽を奏でることができる人、踊りや演技で体現できる人、それぞれの特性を活かして表現し、個性を追求していくことによって人は自分というものを知っていくのだろう。
思えば、自分はそういった表現に関する活動をしたことがない。故に自分の姿がよく見えていないというのも納得である。社会生活の中で、他人という存在を通して見えてくる、いわばショーウィンドウにボンヤリ映った自分を見てきただけの気がする。

Story + Teller

では、どのツールを用いるか。
まず、絵は描けない。線の一本すら描けない。
楽器を演奏することもできない。
スポーツは見るのは好きだが、自分自身はやらない。
物作り、しない。
文章、、、書けない。書いたことがない。
だが、社会人になってから言語化することの大切さは身に染みている。
ライターになりたいとは思わないが、少しでも書けるようになりたいという願望はある。最近は便利なツールも無料で使えるし、消去法の結果、一番お手軽に始められるのはこれか。

フィクションを書くほど想像力は長けていない。
だが、それなりの年月は生きているので、過去の経験や現在の考えをシェアすることは可能である。そういった「Story」を言葉で語っていく人=「Teller」としての活動を始めようかと思う。いつかショーウィンドウ越しでない自分の姿が見えるようになることを期待して。続くかもしれないし、続かないかもしれない。失うものはないノーリスクの精神で、ここで何か書いていくかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?