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「退職願」を出した ~転職ノコト~

いつまでもこんな場所で退屈な人生を送っている場合ではないと、周囲が無意識に応援してくれている状態が、理不尽な扱いなのです。

千田 琢哉『仕事がつらい時 元気になれる100の言葉』(宝島社, 2013) 103ページ

 (本文は最後まで無料です。末尾の本の紹介だけ有料です。)

2024年の春、次にお世話になる会社から正式な内定通知書を頂き、現職(この記事の執筆時点の勤務先)に退職願を提出し受理されました。
 あと約一か月で最終出勤日を迎えるのですが、仕事の引継ぎや有給消化期間中の旅の計画に忙殺され、退職願を出すに至ったまでのモヤモヤとした気持ちや怒りが雲散霧消していくのを感じています。嫌な気持ちがなくなることはいいのですが、考え抜いたことや悩んだことや思いなどが消えないうちに、将来の備忘のため書きとどめることにしました。

 なお、この記事の執筆時点ではまだ現職を退職していないので以下のように表記していきます。
 「前職」:現在の会社に入社する前に勤めていた会社
 「現職」:近々退職する予定の今の勤め先
 「次の会社」:今後、勤めることになる会社

0. 今の仕事のこと

現職も中途入社

 前職の不動産仲介会社には転職エージェントを通じて入社しました。グループ内の会社に出向し、収益不動産(信託受益権)の売買仲介に従事、リーマンショックの真っ只中に、ものすごく忙しいニッチなポジションにいました。
 ただ同じ時期にグループ全体で中高年層を中心に800人規模のリストラがありました。私の身近なところだけでも数人の課長や副部長が会社から居なくなったのを近くで見て「宅建だけではまずい」と思い、不動産の管理セクターに関連する「管理業務主任者」という資格を取っておきました。
 前職では日帰りで札幌に出張するなど忙しく働き一億円ぐらいの手数料売上に貢献したのに年収は低いままだったので現職に応募しました。前職にはエージェントにうまく言いくるめられて入ったという思いがどこかにありましたので、現職には転職サイト経由で自分で応募しました。役員面接を含め3回の面接を経て入社しました。
 当時の私は30代前半、幼い子どもが2人。

思ってたのと違った。けれど上司や仲間に救われて12年働いた

 前職の時代には憧れていた大きな不動産会社のグループ企業に入社することができ、とても満足していましたが、入ってみて驚いたのは予想以上にアナログな業務と手作り感満載の仕事の進め方、そしてパワハラへの許容でした。
 最初に配属された部署の環境は最悪で出足からつまづきました。「転職は失敗だったかな」とも思いましたが、その頃「マンション管理士」という資格を取得しました。

 配属された支店で9年半働いた後、今の支店で約2年半強、気づけば12年間働いております。仕えた直属の上司には恵まれたと感じます。このうちのお一人は「以前の課長からの低評価は間違っている。●ちゃんたち(私ともう一人)が『うちの課の"飛車・角"』だ」と仕事を評価してくれました。この2,3年は会社帰りほとんど毎晩飲みに行っていたのもいい思い出。楽しい時期を過ごす中、順調に昇格し年収も増えていきました。

1. 転職を考えたきっかけ

決心を固めたきっかけは4年前の悔しかったこと

 数年後、中途で入社してきた新人さんが大問題を起こし、当社との契約を解除される公算が強くなるという出来事がありました。その時の支店長から「エース級のお前にしかできない。頼む」と言われ、急遽新担当者となりました。初めてお客様とミーティングでお会いした日は当社へのクレームをお聞きし終電を逃しました。その後約2年間、当時の課長と何度となくお客様のところに通い、何とか解約を阻止することが出来たのですが、旗色が良くなってくると支店長は全く興味を失ったようで、お礼の一言もなし。この時が転職を心に決めた瞬間でした。

「辞めてやる!」はいいけれど専門卒ってだけで選択肢が制限される

 再度の転職を考えてみたのはいいのですが、「4大卒以上」の求人条件が多く、また当時すでに3人の子どもがいましたので、年収を下げるのも難しくすぐに動くのは得策ではないと考えました。
ならば大卒になった後に転職しよう」と考え、2019年4月、通信教育課程のある大学に編入学しました。(社会人がフルタイムで働きながら大学を卒業するのは大変でした。その時のことはまた別の記事に書きました。)
 支店長には失望していましたが、一緒に戦った課長の多くは素晴らしい上司でした。解約阻止が正式に決まった日は、ビールで乾杯し握手してくれたのも思い出深い瞬間です。"上のほう"は許しがたいけれど、直属の上司や一緒に働いていた皆さんのこと、仕事そのものは嫌いではないということは救いだったと思います。

働きながら大学卒業と資格取得

 その後、私は会社で現在の支店への異動を経験しながら、通信制の大学に4年間通い卒業しました。その期間、コロナ禍で混乱する世の中で、なぜか行政書士試験や英検準1級に挑戦し合格しました。せっせと爪を研いでいるつもりが、いつの間にかだいぶオッサンになってしまいました。

2.  転職に向けて少しずつ動き出した

転職サイトへの登録は必須

 通信制の大学を卒業した後、少しずつ転職活動を始めました。なお、転職サイトには年齢によって向き不向きがあるようです。40代の私は「ビズリーチ」と「ミドルの転職」に登録しました。そして履歴書と職務経歴書はいつでも提出できるようWordとExcelで作成したものをPCに保存していました。
 転職サイトに登録するとスカウトが届くようになるのですが、求人を出している企業からの直接のスカウトと、「ご紹介したい企業があるので一度お話を」と転職エージェントの方からの間接的なスカウトの2つのパターンがあります。
 後者の場合、スカウトに返信すると、転職エージェントとの方とzoomや対面の面談を経て、求職者である私をどこかのクライアント企業(求人側)に売り込んでくれるわけです。

初っ端から挫折する

 最初の転職エージェントさんから、私が行きたいと思っていた領域の企業をご紹介いただいたのですが書類で落ちました。書類で落ちるのは結構ショックです。その後も成果は上がらずでした。
 どうやら「不動産証券化協会認定マスター」資格があれば突破口になりそうだという考えに至り、2023年度の試験を受講することにしました。前職での経験を思い起こす勉強時間でした。転職活動を緩く進めながらも、試験勉強に努力を傾けました。

3. 現職のことがどんどん嫌いになる

辞めたい衝動との闘い

 会社勤めをしていると、誰もが一度は「この会社を辞めようか」と考えるものです。私自身、これまで「嫌なことがあればすぐに辞めて次へ行く」というジョブホッパー的な人生を歩んできました。そのため、10年以上続けてきた現在の職を辞める際には、次の転職先を慎重に選ばなければならないと感じていました。
 辞めたいという気持ちが強くなる中、衝動的な行動を抑えるのに「会社を辞めるのは、「あと1年」待ちなさい! 「続職」のススメ」とう本が役立ちました。

「人が大事」と言いながら現場を軽視する

 前述した「悔しい思い」も大きいのですが、私が現職で嫌だなと思っているのは、卑屈なほど外圧(お客様とホールディングス)に弱く、従業員には強く出る社風です。
 会社が大規模なのにシステム化されていないため、業務上のミスが多発するのですが、そのたびに最も能力の低い人に合わせてチェックリストが増え(すぐに形骸化する)、そのことが仕事を増やして次の事故を招くというサイクルを入社直後から疑問に思っていました。
 どうしても排除できないリスクをゼロにしようとすると現場に過度な負担がかかるので、ある時「確率論で95%以上のリスクだけを考慮に入れてはどうか」と支店長に提案したところ、「●●本部長にブチギれられる」との回答。そういうところだ!
 一方で、会社が超ホワイト企業であるかのようにアピールするための指示などにも不快感を感じてきました。

久しぶりに"戦友"と飲んで寂寥感

 異動する前の支店で一緒に働いていた"戦友"も気が付けば課長になり、私だけ「部下のいない課長」に。そんな彼らと久しぶりに飲みに行く機会がありました。楽しみに行った渋谷の居酒屋の帰り道、なんとも言えない寂寥感を覚え、帰りの電車で「転職しようと思った自分の思いは間違っていなかった」と気持ちを新たにしました。

小さな不満も山となる

 小さな不満も"積もれば山となります。異動のあと毎日頑張って通っていますが、片道1時間45分ぐらいかかる通勤時間、私だけお客様先常駐なので、フレックス勤務もリモートワークもできない、定時よりも1時間早く出勤するなど、些末なことも嫌だなと感じるようになってきました。

4. 転職活動の本格始動

書類でバンバン落ちる

 前職では主に信託受益権化された収益物件の売買仲介をしていたこともあり、転職活動当初はファンド界隈で仕事したいと思っていました。
  【不動産業界 ✖️ TOEIC950 ✖️ 証券化マスター(course1終了)】なんて宅建持ちの中では結構レアキャラだろうと、高い自己評価でいたのですが、まぁ見事に書類選考段階で落ちる落ちる。「落ちることに慣れる訓練」のような期間でした。 

"波長の合う"コンサルさんとの出会い

 40代にもなるとさすがに、転職エージェントのビジネスの仕組みなどもわかってきますので「是非おススメ」のポジションも話半分で聞くわけですし、中には「不動産業界に特化したコンサル」と書いてあるのに「信託受益権って何ですか?」という方も中にはおられ、「あぁこういう方には自分の人生を預けられないなあ」などという目線も出てきます。
 そんな中で、同業他社を「是非に」と紹介してくださったコンサルさんとの出会いが私の転職活動の舵を大きく切るきっかけになりました。「同業他社は考えていないです。同業他社に行くぐらいなら当社を去る理由がない」という思いを伝えたところ、「欲しいと思ってくれる会社に請われていくほうが精神衛生上いいですよ。」そして言われ慣れたセリフですが「受けてみて、合わないと思ったら行かなければいいじゃないですか」と。自分の考えを再度整理することにしました。一旦書類を出してみてもらうことにしました。それをきっかけに他のエージェントさんから紹介された同業他社さんにも応募してみることにしました。

同業他社は書類選考すべて通る

 AMやPMはあんなに落ちまくっていたのに、同業他社は全部面接に進むのに驚きました。帰宅後疲れているところでウェブ上でSPIを受けたり、仕事の後に豊洲の端っこまで歩いて小論文と面接を受けたり、昼休みにzoomで面談した際には逆に面接官の方の思いを吐露されたりと、ハードながらも転職活動をしているなという実感のある日々が続きました。

"波長の合う"人事ご担当者との出会い

 現職で半日有給を取って、"波長の合う"コンサルさんに紹介された会社の一次面接に行きました。最初にSPIを受けてから会議室に通され一次面接です。緊張しながらも、後から「思っていたのと違った」となるとお互い不幸なので(私も現職で面接官側の立場になることもよくありました)、結構本音ベースで自分の考えを話しました。
 今の仕事で一番大事にしていることは何か。現職の嫌な面は何か。という質問に対して、普段考えている素直な自分の考えを話せたのはとても良かったなと思います。そして二次面接に呼んでいただけることになりました。
 二次面接では、私よりもコンサルさんのほうが力んでいて、ネガティブなことは言わないようになどの助言を頂きましたが、自然体でいることも心掛けて臨みました。

5. 内定受諾からオファーレター受取まで

二次面接「合格」の電話

 二次面接から間もない日、現職からの帰路で乗換駅の階段を上っているところ、20時を過ぎてエージェントさんからの電話。口頭でのオファーを頂きました。年収は現職よりも1割ほどダウンするものの管理職として入社するという内容でした。結構悩みました。駅のコンコースでそのまま20分ぐらい話し込みました。
 オファー内容は、初年度の年収は今より1割ぐらい下がるけれど最初から管理職での入社というものでした。高校や大学の授業料の補助も含め、年収と手取りの損得の計算なども含め、かなり悩みましたが「お願いします」とメールで連絡。
 40代の転職には年収や職位などの生々しい交渉がつきものなので、転職エージェントさんがいてくれて良かったと思いました。

オファーレターがなかなか来ない

 口頭での内定オファーに対して受諾の意思表示をした後、雇入れ通知書を頂くまでの待ち時間はかなりもやもやしました。サイトなどによれば通常1週間~10日間ということでしたが、まだかまだかと待ち続けて3週間。いろいろ考えて気持ちも出来上がっていたのですが、別の会社にも「●月●日までに正式な雇入れ通知書を頂けなければ行きません」と日付を区切ることにしました。この期間、エージェントさんからは新しい職場に対して毎日のように催促のメールをしてくださっていたようです。
 一方でこの間も、万が一お話が壊れた場合に備えて、別のエージェントさんを通じて紹介いただいた会社の選考も並行して進めていました。オファーレターを受け取る前に退職願を出すのは絶対にやってはいけない手です。

6. 転職活動: 嫌でも"自分"と向き合わされた

40代半ばの転職活動は思ったよりきつかった

 同業他社への転職は最初敬遠していたのですが、できること、やってきたこと、やってみたいこと、やってみたかったのにあきらめたこと、変えたい現状の根本について改めて考えさせられる時間になりました。

気づけば45歳が目前だ

 同じ不動産業界の中でも、行ってみたいなと思っていた領域の会社からは欲しがられないのだということを受け入れなければなりませんでした。
 また表立っては書けないけれど、求人サイドからエージェントには実は45歳が上限というような求人の条件があることをポロっと聞ける場面が複数回ありました。45歳で管理監督職を経験したことがないということが、今後の自分のキャリアの選択肢を狭くしそうだなと感じました。
 また現職には元・転職エージェントで働いていた同僚がいて、ぶっちゃけたところを教えてくれと頼んだところ「私みたいな求職者来たら悩む」ということを聞けたこともよかったです。「行政書士まで持ってて独立したいのか?この人なにしたんだ?40代だしどんな会社に売り込もうか正直悩む」ということでした。これも突き付けられた気づきでした。

行きたいと思った業界は面接で惨敗

 30代の転職なら、ポテンシャルも見込んで小さなキャリアチェンジもできるけれど、40代の転職は、若い上司の元でこれからまた一から覚え、管理職になれるかどうかも分からないというのは損じゃないですか?というのも、コンサルさんからのアドバイス。
 別のエージェントさんを通じてご紹介頂いたたAM会社での面接で自分の能力不足を感じ、そのアドバイスの意味を実感しました。スタートアップで10人ぐらいの規模の会社。YouTubeでその会社の社長のインタビューを観て予習したりして臨みました。冷たい雨の降る中、外苑前のウェンディーズで高いお昼ご飯を済ませてから向かったその会社の面接で無惨に散りました。結果を待つまでもなく応接室を出る前に負けを確信し、コンサルさんに面接終了の報告の電話をかけお詫びしました。
 突きつけられた、「やりたかったけれど、あんたには出来ないと言われたこと」でした。これは将来にまで覚えておく必要がある「負け」だと思います。

上場企業の"守られた環境"を選ぶのも戦略

 スタートアップやベンチャーに行って活躍できるかななどとも思ったのですが、労働環境面や対外的な仕事のスムーズさなど、大きな組織に守られて働くことのメリットは小さくないことをコンサルさんから指摘されました。同業の会社への転職を選択肢として広げたときには、(現職と同じ)財閥系以外の上場会社(グループ)に絞ることにしたのも良かったと感じます。

いまの仕事自体は面白い

 同業の会社に行くのかを悩んだ際に考えた「俺は今の仕事が嫌いなのか?会社が嫌いなのか?」という自分への問いに対して出た結論は、仕事自体は面白いと言う答えでした。
 ニッチな知識をお客様にお伝えしたり資料を工夫してご提案することは時に快感で、現場にいる人生の先輩から昔の話を聞くことは城山三郎さんの小説を読むよりも鮮やかで、この2つが今の仕事で特に面白いと感じている面です。
 現職の今の雰囲気に対する私の気持ちは兎も角として、面白いと思える職業に出会えたことはラッキーなことです。この仕事に出合わせてくれたという意味において、現職にも大いに感謝しなければなりませんね。

 まとめると、①もっとカッコイイ仕事の領域に行きたかったけれど、その職場からは求められず、一方で現在の業界からは思ったよりも資格や仕事への考え方を評価していただき、実はいまの仕事自体は嫌いではないという自覚に至りった。②キャリアのエアポケットみたいなところで腐りそうな今の会社を出て、必要としてくれる会社で逆転をしようと決めた。ということでしょうか。

 現職であきらめたことを次の会社でやってみたいという気持ちがだんだんと出来上がっていきました。

7. 退職願を出した

 給与、勤務先、管理職として入社することが明記された正式な雇い入れ通知書に対して、受諾の意思表示をしました。これで今度は新しい会社に入社しない場合、損害賠償を請求され得る立場にもなったわけです。
 出社して朝一、課長にお時間を頂き別室で退職願を出しました。課長がその場で支店長を呼び「会社辞めます」と。
 何度か転職しているので、退職願を出すこと自体への心理的なハードルはそれほど高くないものの覚悟を決めて臨みました。夏のボーナスの月で退職すること、有休消化はほぼ放棄しないこと(数日は放棄)、お客様のことはきちんと引き継ぎたいのですぐに後任を選んでもらいたいこと、慰留は無駄であることをお伝えしました。年間ノルマの5倍ぐらいやっているので、これぐらいの偉そうなことは堂々と話してもバチは当たらないかなとw

 直属の上司は、「家族も子どももいる君が、自分の人生についてよく考えて決断したと思うから、何も言わないよ」と言って、私を引き留めませんでした。これは本当にありがたかったです(ただ不要だったのかもしれませんが)。

今の仕事仲間や昔の上司が残念がってくれた

 退職願を出すとすぐに後任選びが始まりました。会社所定の退職届をイントラからダウンロードして支店長に検印を頂き総務課長を経由して本社へ。12年半働いて悩んで頑張って、なかなかあっけなくもありました。
 以前の支店で一緒に戦ってくれた上司に辞めることを伝えると一緒に飲みに行くことに。渋谷の居酒屋でご馳走になり、転職のお祝いにブランドものの帽子を頂きました。苦労したときのことを懐かしみ、渋谷駅で握手して別れるなども思い出に残る瞬間でした。
 現職で一緒に仕事している仲間も寂しがってくれるので「じゃあ俺が好きな人たちだけ呼んで送別会やってくれ」とわがままをきいてもらったり、以前の支店の時の皆さんが送別会しようって言ってくれたり、今の現場の皆さんが飲みに行こうと誘ってくれたり。ありがたいことです。

8. 転職ノススメ

みんな会社への不満がたくさん

不満をたらたらたれながすんなら変えてみろ

B’z 『F·E·A·R』

 不満をいうこと聞くことが増えてきてしまいました。「このままでも我慢できる」なら無理して転職することもないのでしょうが、私には難しい芸当です。
 不満や愚痴を言うことで損するのは自分と周り。なら変えればいいのですが、その対象は自分の環境です。いつかこの会社も変わってくれるんじゃないか」なんてことは叶わない期待であり、周りや上層部を変えようとすることにエネルギーを割くのは人生の無駄です。

社風は変わらない、絶対に。

 こんなにもいい上司や仕事仲間に囲まれているのですが、一方で現場の仕事を邪魔してくる上層の間接部門の者たちには我慢ならなくなっていました。「1円も作ってない間接部門のほうがパワーと権力を持ち、一生懸命売り上げを作っている現場を傍から刺す」というのが"うち"の社風。これは変わらない絶対に!
(私の勤め先に限らず、多くの伝統的な日本の会社は似ていると思います。)
 面接で「現職のこういうところが嫌です」という私の気持ちに共感してもらえたことが、次の会社に入る決意を固める大きな理由の一つでした。
 中央の権力者グループの誤った判断や、彼らが引っ張り上げた部下が与えられた地位で成果を上げられないことへの見逃しは、現場を軽視し組織を崩壊させる要因です。『ノモンハン 責任なき戦い (講談社現代新書)』で読んだ、旧日本軍の37歳の若き参謀とその上司の例と重なります。

考え抜いたら、後戻りしない

 引き止められて退職を思いとどまる人がいますが、私の感覚では信じられません。「会社、辞めます」はサラリーマンに与えられた唯一の「伝家の宝刀」ですから「簡単にカチャカチャ抜くなよ、抜いたら引っ込めるなよ。」と思います。会社側だってその場の人員不足を避けるために慰留するだけで、残った後は「一度辞めようとした奴」という烙印が付いてまわるわけです。会社の悪口を言いまくって退職願を出したのに本社の楽な部門への異動につられて翻意した"元・期待の新卒"とか、社内で皆さんの広く知るところになるわけです。

転職は”空中ブランコ”

 転職は、一回両手を放さないといけない空中ブランコに似ているなと思います。現職での「65点ぐらいの満足」を捨てて、ひょっとしたら落下するかもしれない賭けに出るわけです。転職には能力と勇気です。だから私が採用担当者なら、2回以上転職していることを採用条件にすると思います。次に行く能力と勇気があるんだから。

お金のことも真面目に

 退職金を受け取るために転職をためらうというのはあると思います。子どもたちに大学の奨学金の返還債務を背負わせたりするのも違うと思うので、お金のこともしたたかに考える必要があります。でも例えば「15年後に1500万円ぐらいの退職金をもらえること」「定年まで苦虫を嚙み潰したような気分の悪さを味わうこと」を天秤にかけたりするときに、「15年後の1500万円」を現在価値に割り引いてみるのも一つの考え方かもしれません。少し保守的に割引率を4%で計算すると、現在価値は830万円ぐらい。「ちょっと背伸び」をしないで身の丈に合った住宅ローンを組める家を買えば吸収できそうです。
(15,000,000 ÷ (1+0.04)^15 = 8,328,968)
 どんな仕事をするにしても、あるいは仕事をしなくても、金融の基礎知識を取り入れることは大事なのかなと感じました。AFPなどの資格は仕事で直接必要なくても取っておいたほうがいいと思います。英語とExcelと金融の勉強はおじさんになっても一生したほうがいいそうです。

若干の反省と迷い

 次の会社には管理職として招いていただけるのですが、年収は現職よりも1割ぐらいダウンします。現年収の維持はしたかったのですが、次の職場の制度の中で相当無理してもらったことなども踏まえよく考えてみました。
 令和2年度に取得した行政書士の資格と不動産関連のいくつかの資格を用いて独立したいとも考えていたこともあるのですが、子どもたちが大学、高校と進む目途が立つまでは会社員でいることを選択しました。
 英検や行政書士の資格は次の会社で直接使わないため、あれほど苦労して取得したのが無駄だったかと思うことも正直あります。でも民法や行政法(業法)は不動産の仕事にそのまま関連していますし、英語は仕事に関係なく、人生をかけて勉強していきたいと思っているので、まったく頓珍漢なことでもなかったと考えています。
 そしてこの記事を書いている2024年5月、不動産証券化マスターの合格通知を受け取りました。行きたかったファンドの領域への未練再来。人生は悩むから面白い!

9. 不安もあるけれどスッキリ

 最終の出勤日に向けて少しずつ有休消化しながら、旅の準備をしたり読書したり、靴磨きをしたりしながらこの記事を書いてきました。
 有休を使って旅した海外では、現職のブランドが関わったプロジェクトなどを見ました。自分がもうすぐ去る会社の規模やブランドを改めて感じました。でも旅から帰って出社し、相変わらずな通達などに触れ、自分の性格には現職は合わないなと実感した次第です。現職が悪いのではなく、現職と私の相性が悪いということなのだと思います。昔はもう少し違ったんだけど、やはり社長の交代は大きい。
 後任の担当者は掛け目なしでものすごく優秀な方なので、安心して引継ぎをしています。こんなに優秀な人たちがたくさんいる会社を一体どうやって…

 考え抜いた転職はいいことだと思います。自分の人生の人事部長を自分がするということです。動かない水は淀み腐ります。「転職するリスク」よりも「転職をしたことがないリスク」のほうが大きいと思います。そもそも民間企業に勤めているなら、会社の株主がかわるとか、株主の意向で退職金制度が見直されるとか普通にあると思います。どこか大きな会社がやったら「右へ倣え」ですよ。

 有給消化で飛び飛びで出社し、最後はひと月まるまる休んで国内の離島と海外に一人旅をします。体が元気なうちに大人の夏休み
 次の会社で働くのも楽しみです。次の職場でも微力を尽くしていきます。

仕事を一時的に失う。これは確かに厳しい事です。しかし、よく考えていただきたいのです。新しい仕事に就く、という事は、「あなたが求められる場所に行く」事に他ならないのです。苦労の末得たポジション、そこは間違いなく「あなたが高く評価された場所」です。
あなたを採用した上司は、採用した事を肯定したい訳ですから、多少あなたに合わせてくれます。これは僕の経験から確を持って言えます。
あなたが輝ける職場を見つけましょう。

藤野理哉『外資系天職を勝ち取る』(パレード, 2020) 110ページ

10. 転職や独立、辞めないことについて考えながら読んだ本の一部
長文をお読みいただきありがとうございます。いろいろなことを考えるのに実際に自分が買って読んだ本を、リンクの羅列でご紹介します。


 この先も本の紹介(8冊)が続きます。この先も本の紹介(7冊)が続きます。


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