(八十一)真砂女の句を鑑賞しよう

今回は、久女より16年後に生まれ、同じく昭和に活躍した俳人真砂女の句を紹介する。『鈴木真砂女全句集』の年譜等から略歴をまとめた。
・1906(明治39)年、千葉の旅館吉田屋の娘として生まれる。
・1929(昭和04)年,23歳、問屋の息子と結婚する。
・1935(昭和10)年,29歳、賭博癖のある夫が失踪する。姉が亡くなり、姉が俳句を作っている縁から、俳句を継ぎ、『春蘭』を創刊。
・1936(昭和11)年,30歳、大場伯水郎に姉の遺句集出版を相談、任せる。吉田屋の女将となる。そして、一回り違う姉の夫と再婚する。
・1938(昭和13)年,32歳、旅館に宿泊した7歳年下の妻子持ちの海軍士官と恋に落ちる。そして出征する彼を追って出奔。その後、家に帰るがその関係は続く。
・1939(昭和19)年,38歳、旅館吉田屋廃業。
・1944(昭和24)年,43歳、新富町「松島」で久保田万太郎と出会う。
・1946(昭和26)年,45歳、夫が脳溢血で倒れる。
・1950(昭和30)年,49歳、吉田屋家屋全焼。
・1951(昭和31)年,50歳、吉田屋営業再開。
・1952(昭和32)年,51歳、1月、「裸で家を出るか、夫の看病をするか」の選択を迫られ、家を出て、娘のいる文学座の寮に身を寄せる。3月、銀座で小料理屋を開店。
・1966(昭和46)年,65歳、2番目の夫が逝去し、その母も逝去する。
・2003(平成15)年,97歳、逝去。
 
真砂女の句は素直で、技巧を凝らした句がない。「心の中の写実」を心掛けた句と思う。日常生活を句にしているため、真砂女の句は日記のごとき印象を受ける。さて、当方が気に留めた句を紹介する。
・往く春や身に倖せの割烹着(S32,51歳)
これは銀座で小料理屋「卯波」を開店時の句である。「年譜」には次の様に記載されている。
作家丹羽文雄、大和運輸の社長、次姉の夫の弁護士、酒屋の女将の四人が計200万円を無利子無期限で用立ててくれ、3月30日、銀座一丁目並木通り幸稲荷の路地に小料理「卯波」を開店。
宿屋の女将時代を思い出し、また、自分の為に、銀座に店を出させてくれた四人に感謝した。その時は先の夫が行方不明のまま、義理の兄と結婚。一方で、海軍士官に熱をあげていたのであった。実家を出て、新しい希望を以って働く倖せを感じたのではないか。
・泣きし過去鈴虫飼ひて泣かぬ今(S43,62歳)
  既に還暦を過ぎて、過去を振り返ると、夫が行方不明になったり、家業を廃業にしたり、その他、悲しい出来事が多々あった。
   今、鈴虫の音を聞きながら穏やかに過ごしている。過ぎてしまえば、それらは夢の如くとなる。今更、泣く必要があろうか。
・秋の日のつるべ落としや紙漉き村(S44,63歳)
 「秋の日は釣瓶落とし」ということわざをそのまま使った。本人が紙漉きを体験している間に、いつの間にか日が暮れ始めたことを詠ったのである。
   辛かったことを忘れる為、彼女は紙漉きに夢中になっていたのであろう。それで、日が暮れかかっている事に気づかなかった。
・万燈籠心の闇は照らし得ず(S46,65歳)
  春日大社の万燈籠が灯り、辺りを照らしている。しかし、私の心の闇までは照らす事が出来ないという意味である。これまでに、色々な不幸が降りかかってきたが、その中には理不尽な事もあり、無念と今でも感じている。
・悔なき生ありやビールの泡こぼし(S46,65歳)
  悔い無き人生を送った人などいないと思うが、これまでに起こった悔い残る事を思い出しながらビールを注いでいたら、ビールの泡がグラスからこぼれ、現実に還った。このような経験は真砂女以外にもあるのではないか。
熱燗やいつも無口の一人客(S50 ,69歳)
  真砂女が開いた小料理屋「卯波」での出来事と考える。「いつも」が気になる。いつもくる客とは、彼女を目当てに来る客と考えてよいだろう。それが、いつも無口とはどういうことなのか。熱燗を注文し後は、独り黙して酒を飲んでいる。そんな一人客を彼女はやさしい目で見ている。そして、こんな句もある。
長き夜や日本酒一点張りの客(S58,77歳)
この客は上の「無口の客」と同一人物かどうかは分からない。しかし、酒だけを飲んで、長い時間を過ごしているところをみると、この客も彼女目当てなのである。
彼女には、この小料理屋での出来事を詠った句がまだある。
湯豆腐や男の歎き聴くことも(S47 ,66歳)
   彼女は、男の愚痴などを聞いてあげていたようだ。また、次の句も紹介しておこう。
    女将けふ店へ出ぬ日の浴衣着て(S44 ,63歳)
   いつもと違う姿で店に出たのであるが、それは気に入った男がいて、その人に浴衣姿を見せる為であろう。このような一面があることを歌にしたのではないか。
・死にし人別れし人や遠花火(S51,70歳)
   これまで、亡くなった人、分かれた人などいろいろな悲しい経験をしてきたが、いまでは遠花火のように、過ぎ去りし過去となってしまった。
 ・足弱ることも秋意の一つかな(H04,86歳)
    秋になり、寒さを感じるようになると、足が弱ってきた事を実感する。一般に、女性は70歳を過ぎると、杖をつくようになることで、足腰の弱りが顕在化することが多い。しかし、この句を作ったときが86歳であることに驚くのである。
・夜桜を見に行く帯を締め直し(H09,91歳)
   「帯を締め直し」とあるが、身繕いは帯だけではあるまい。外出するために、化粧もしたかもしれないし、その他もあるように思う。91歳になっても、女の嗜みを忘れないのであろう。彼氏ができたから、或いは男の目を気にしてということではあるまい。
 

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