天亮

秋月亮風です。「論語独り言」(税込み1,650円)を出版しました。ご希望の方は下のメー…

天亮

秋月亮風です。「論語独り言」(税込み1,650円)を出版しました。ご希望の方は下のメールにてご連絡下さい。郵送代をご負担ください。メールアドレス:leongfung1@yahoo.co.jp 著作に「自閉症児を育てることは楽しい」「蓮台蛙集」「孔子家語註解」有り 。

最近の記事

(八十四)戯れに俳句を作る

俳句を子規流に「写実を旨とする」などとするだけでは、時代遅れになることは間違いない。 俳句にも川柳的な、都々逸的な、或いは狂歌的なのがあっていい。 ・大晦日一夜明けたら花の春 ・初雪や天下はみんな俺のもの ・落ちそうでなかなか落ちぬ椿かな ・暮れそうでなかなか暮れぬ春の暮れ ・春秋と姿変わらぬ夏の月 ・春雨や傘を差さずに濡れてみる ・菜の花や雲より覗くおぼろ月 ・清しきは五月の桜鯉幟 ・目出度いな紅白躑躅団子食べ ・桃の盆栽  雛様の近くで守る桃の花 ・五

    • (八十三)唐詩さかなを鑑賞する

      唐詩作加那(さかな)とは聞きなれない言葉であるが、唐詩が仮名となるという意味である。明治の一時期に流行った歌の形式で、都々逸の上の句(七七)と下の句(七五)の間に詩の二句を挿む形式を言い、有名な七言詩の句から取り、読み下し文とする。「唐詩さかな」のなかで気に入った句の中から紹介していこう。 ・のろい奴だと笑わば笑え    願わくば軽羅となって細腰につかん    願わくば明鏡となって嬌面を分かたん  惚れりゃ誰しも同じ事 「のろい奴だと笑わば笑え 惚れりゃ誰しも同じ事」が都

      • (八十二)芭蕉の句を本歌取りする

        和歌の世界では、本歌取りして和歌・狂歌を作るという事が古代から行われてきた。そこで、今回は芭蕉やその弟子の句を「本句取り」して俳句を作ってみた。ご鑑賞あれ。 ・五月雨や眺めて涼し最上川   本歌: 五月雨を集めて早し最上川 ・古池や蛙鳴くなる蓮の上   本歌:古池や蛙飛び込む水の音 ・やがて死ぬ気色(けしき)は見せず蟬の声   本歌:やがて散る気配も見せず花椿 ・ 床の間やガラス障子に夕日入り   本歌:水仙や白き障子のとも移り ・死に際に思い残しが駆け巡る   本歌:旅

        • (八十一)真砂女の句を鑑賞しよう

          今回は、久女より16年後に生まれ、同じく昭和に活躍した俳人真砂女の句を紹介する。『鈴木真砂女全句集』の年譜等から略歴をまとめた。 ・1906(明治39)年、千葉の旅館吉田屋の娘として生まれる。 ・1929(昭和04)年,23歳、問屋の息子と結婚する。 ・1935(昭和10)年,29歳、賭博癖のある夫が失踪する。姉が亡くなり、姉が俳句を作っている縁から、俳句を継ぎ、『春蘭』を創刊。 ・1936(昭和11)年,30歳、大場伯水郎に姉の遺句集出版を相談、任せる。吉田屋の女将となる。

        (八十四)戯れに俳句を作る

          (八十)久女の句を鑑賞しよう

          大正から昭和の頃に活躍した優れた俳人杉田久女(ひさじょ)の略歴を『杉田久女全句集』、<年譜>から纏めた。 1890(明治23)年,5月30日、鹿児島市平之馬場町に生まれる。本名は杉田久。 1907(明治40)年,17歳、東京女子師範学校附属高等女学校卒業 1909(明治42)年,19歳、旧制小倉中学(現・福岡県立小倉高等学校)の美術教師で画家の杉田宇内と結婚。夫・宇内は愛知県小原村(現・豊田市)で代々庄屋を務めた素封家の跡取り。夫の任地である福岡県小倉市(現・北九州市)に移る

          (八十)久女の句を鑑賞しよう

          (七十九)「春は名のみの風の寒さや」を下の句にして上の句を作る

          今回は文部省唱歌「早春賦」の歌い出しを敢て下の句にして、上の句を作る試みをする。 この歌は詞も曲も美しく、2006年から2007年にかけて文化庁と日本PTA全国協議会が選定した「日本の歌百選」に選ばれている。参考として、元歌を次に添付しておく。 春は名のみの風の寒さや、谷の 鴬歌は思えど 時にあらずと声も立てず、時にあらずと声も立てず 簡単ではあるが、人をして癒してくれる歌と思う。「春は名のみの」の「の」は「の止め用法」であり、「の」の後に「春」が省略されていると解釈出来

          (七十九)「春は名のみの風の寒さや」を下の句にして上の句を作る

          (七十八)しづの女の句を鑑賞しよう

          先ず、『現代女流俳句全集 第一巻』「竹下しづの女集略年譜」から、略歴をまとめた。 1887(明治20)年、福岡県京都郡稗田村に生まれる。本名シヅノ。 1903(明治36)年,16歳、福岡県女子師範学校入学。 1908(明治41)年,21歳、京都郡稗田尋常小学校で教師となる。 1912(大正元)年,25歳、水口友蔵と結婚。翌年、長女が生まれる。更に翌年、長男が生まれる。 1928(昭和3)年,41歳、「ホトトギス」同人となる。 1933(昭和8)年,46歳、夫脳溢血で逝去。 1

          (七十八)しづの女の句を鑑賞しよう

          (七十七)かな女の句を鑑賞しよう

          杉田久女と並び称される長谷川かな女の俳句を鑑賞しよう。先ず、『現代女流俳句全集 第一巻』「長谷川かな女集略年譜」から、略歴をまとめた。 1887(明治20)年、東京日本橋本石町に生まれる。 1897(明治30)年,10歳、父死去。 1902(明治35)年,15歳、小石川三井家に行儀見習いに上がる。心臓が悪化してお暇を頂いて家に戻る。 1909(明治42)年,22歳、毎日俳壇に投句して「名月や崖に極まる家二軒」が初入選。 1910(明治43)年,23歳、英語教師であった富田諧三

          (七十七)かな女の句を鑑賞しよう

          (七十六)みどり女の句を鑑賞しよう

          明治以降の女流俳人に興味があり、彼女たちの句を読んでいる。男子と女子では興味・感心の対象が異なっていたり、感じ方も異なっていたりする。女性の句を台所俳句と言ってバカにする者もいるが、読んでみると、玉石混淆である。  阿部みどり女は、久女・しづの女・かな女と同時代の人物であり、明治以降に出現した著名女流俳人である。『現代女流俳句全集 第一巻』の「阿部みどり女集略年譜」から、略歴をまとめた。 1886(明治19)年、札幌市に生まれる。本名みつ。父は陸軍中将北海道長官であった。 1

          (七十六)みどり女の句を鑑賞しよう

          (七十五)文明開化期の歌を楽しもう

          「歌は世につれ世は歌につれ」と俗に言うが、それは、次のような意味である。   流行歌はその時代の情勢に影響されて作られ、世の情勢もその時代の流  行歌に影響されて変化してゆく。 この事を痛感するのは、時代の変わり目の時であることは言うまでもない。この国にあっては、江戸から明治にかけて世情が激変した事は万人が認める所である。  歴史的には、江戸時代は近代前期であり、明治以降は近代後期である。共に近代に属するが、明治以降は欧米の文明を受け入れ、先ず藩政から中央集権と政体を変更

          (七十五)文明開化期の歌を楽しもう

          (七十四)子規が高く評した佐藤紅緑の俳句を味わおう

          先に、子規が漱石の俳句を評した俳句を紹介したが、子規はこの他にも、明治生まれの小説家であり、俳人でもある佐藤紅緑の俳句も評している。その中で、評点は、◎〇無印、天地無印と2種類が混在している。◎や天の評点を付けた俳句の中からいくつか紹介しようと思う。   ◎雨一日木蓮きたなくなってけり    木蓮が汚くなるのを詠む句は珍しい。雨一日が時間の経過を表している。雨が降る前から、木蓮を見ていたのである。木蓮は紫紅色を連想するが、この木蓮の花は白色かもしれない。長雨で木蓮の清楚な白が

          (七十四)子規が高く評した佐藤紅緑の俳句を味わおう

          (七十三)元禄時代の俳句を鑑賞しよう

          柴田宵曲が書いた『古句を観る』(岩波文庫)という俳句解説書がある。解説文によると、「元禄時代の無名作家の俳句を集め評釈を加えたもの」とある。  宵曲子は元禄時代の佳句、月並の句を取り交ぜて選び出している。その方が、読んでいて面白いからである。もし、江戸時代の佳句ばかりを選んで、評論していたら退屈な解説集になっていたであろう。宵曲子はその事を考えて、句を選定していたと思われる。  さて、それでは、当方の目についた句を紹介していく。彼の解説を取り入れて、その優れた解説も味わってい

          (七十三)元禄時代の俳句を鑑賞しよう

          (七十二)細川幽斉の旅日記にある和歌を読む

          細川幽斉は、戦国時代の武人であるが、歌人としても有名であった。特に、『 古今和歌集 』の解釈を、秘伝として藤原定家 の嫡系子孫に伝えた『古今伝授』を得たとの誉れある人物である。 その彼が「九州道の記」という旅日記を書いている。芭蕉とは異なり、この旅日記では名所めぐりをしていたので、芭蕉の次の句   山路きて何やらゆかしすみれ草   夏草や兵どもの夢の跡 の様な句を作っていない。ドナルト・キーンは『百代の過客』の中で、次の様に述べている。  残念にも日記は、主としてさして面

          (七十二)細川幽斉の旅日記にある和歌を読む

          (七十二)子規が高く評した佐藤紅緑の俳句を味わおう

          先に、子規が漱石の俳句を評した俳句を紹介したが、子規はこの他にも、明治生まれの小説家であり、俳人でもある佐藤紅緑の俳句も評している。その中で、評点は、◎〇無印、天地無印と2種類が混在している。◎や天の評点を付けた俳句の中からいくつか紹介しようと思う。 ◎雨一日木蓮きたなくなってけり   木蓮が汚くなるのを詠む句は珍しい。雨一日が時間の経過を表している。雨が降る前から、木蓮を見たのである。木蓮は紫紅色を連想するが、この木蓮の花は白色かもしれない。長雨で木蓮の清楚な白がきたなく見

          (七十二)子規が高く評した佐藤紅緑の俳句を味わおう

          (七十一)江戸時代の小唄『お互いに』『梅は咲いたか』を鑑賞しよう

          今、2024年の元旦である。それに相応しいと言えるかどうか分からないが、年頭に、江戸時代に作られた有名な小唄を二曲紹介したい。先ず、『お互いに』から味わっていこう。   お互いに知れぬが花よ、   世間の人に知れりゃ、二人の身の詰まり。   あくまでお前に情立てて、   惚れたが無理かえ ションがいな。   迷うたが無理かえ。 「身の詰まり」とは、どういう意味であろう。身が詰まる」には次の解釈がある。  ・肩身が狭くなる  ・進退に窮する  ・窮地に追い込まれる  ・身の破

          (七十一)江戸時代の小唄『お互いに』『梅は咲いたか』を鑑賞しよう

          (七十)秋色の句を鑑賞しよう

          これまで、江戸の女流俳人7名の句を紹介してきた。 柏原捨女(かいばらのすてじょ)(1633-1698) 河合智月(かわいちげつ)(1633-1718) [松尾芭蕉(まつおばしょう)(1644-1694)] 斯波園女(しばそのめ)(1664-1726) 加賀千代女(かがのちよじょ)(1703-1775) [与謝蕪村(よさぶそん)(1716-1784)] 深川秋色(ふかがわのしゅうしき)(1727-1784) 長府菊舎(ちょうふのきくしゃ)(1753-1826) [小林一茶(こば

          (七十)秋色の句を鑑賞しよう