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Pain is inevitable. Suffering is optional. 人生の大どんでん返しのヒント

この言葉に出会ったのは

作家、村上春樹さんのエッセイ
「走ることについて語るときに僕の語ること」(文春文庫)
の前書きです

村上春樹さんは、
マラソンをされるのですが
雑誌の特集記事で
マラソンランナーにインタビューをして
42.195キロを
どんなことを考えながら走っているのか
聞くという企画を目にしたそうです

その中に
Pain is inevitable. Suffering is optional.という言葉を
マントラ(心を落ち着かせるために唱える短い言葉)にしている
ランナーがいたそうです。

「痛みは避けようがない。苦しみはオプショナル(選べるもの)だ。」
という意味です。
村上春樹さんはこの言葉を次のように解説しています。

たとえば走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられているということである。

村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」

としたうえで、以下のように付け加えています

この言葉は、マラソンという競技のいちばん大事な部分を簡潔に要約していると思う

村上春樹「走ることについて語るときに僕の語ること」

これを聞いただけで
私は絶対一生マラソンを走ることはないだろうななんて
思ってしまいます

多くの人にとって「痛い」=「苦しい」は当然なので
「苦しい」かどうかは自分の裁量次第だという理屈にのっとるなら

「痛い」=「おもしろい」
「痛い」=「楽しい」
という思考を選ぶこともできる
というなかなかアブナイ理屈も成り立つことになりますね


でも実はこの一見アブナイ思考、
マラソンという枠で考えるから
アブナくみえるだけで

実は私たちが人生を
一晩にして、いや、一瞬で
全く違ったものにできる
魔法の考え方ではないでしょうか


たとえばあなたが
働けないほど体調が悪くなっちゃって
仕事を辞めて収入が減り
毎月ぎりぎりの生活を強いられて
美容院にも行けない
好きな洋服もアクセサリーも買えない
子どもたちとのレジャーもあきらめる

そんな状況だったとして
それは「痛み」であることには違いないのですが
果たして「苦しみ」でしょうか?


ちょうど今朝、
最近何かと話題の成田悠輔さんがYouTubeで
自分の炎上騒動について振り返っているのを見ました

「自分が燃えて(炎上して)出れなくなろうが、追放されようが、まぁまぁ、その程度。って感じなんです」
とおっしゃっているのを見て

あぁ、この人になれたら
人生の大抵のことは
「苦しくない」かもしれないと
思ってしまいました。
(いや、成田さんにも人生の苦しみはあるかもしれませんが。ニューヨークタイムズの一面で叩かれても飄々としている感じを見るとこの人の苦しみって一体どんなものなんでしょうと思わずにはいられません)


先ほどの例で言うと
体調が悪いとか
それに付随して起きる様々なことは
「ただ起きていること」で
それを「苦しい」と評価するのは
自分次第なんですよね

これを「苦しい」という評価から
「おもろい」「ワクワクする」という評価に
シフトできた瞬間
状況はみじんも変化していないのに

自分の人生が
突然色を帯び
光に包まれ
豊かさをたたえ
可能性に満ちた
愛すべきものだったと
気が付くのです

たくさんの、忘れていた感謝すべきものに気づき
涙があふれます

このミラクルを起こせるようになるには
時間がかかりますが
でも私たちは本当はいつも自由なんです
思考を選べるのです

小さなことから練習をするといいかもしれません
普段「おもんな」と思っていることを
おもんないと決めている自分に気が付き
どんな思考を選択したいか探して
それを選ぶ

そうすれば
自分の人生のとらえ方みたいな
大きなものの
大どんでん返しを
ぶちかますこともできるかもしれません


「なんで私がこれやらなあかんねん」を
「いやーなんか申し訳ないな~私だけスキル上げちゃって~」と
思えるかどうか

それはoptional=選べるんですね。



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