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ドラマ劔 その4 歌の化身、ウィル・ユー・ダンス?

 静かに夜の篝火を流れるあの歌、ゆらめく炎は人の隠された表情を時折照らし、闇の彼方にそっと帰す。
 ジャニス・イアンの「Will You Dance?」、美しい旋律に乗せて歌われるのは、人生の悔恨か、悲哀か、振り回されてばかりで、自分を見失っていた、それでもふたり、朝まで踊りましょうと。ふたりで美しい朝を迎えるために。
 1977年は、あまりに懐かしい、過ぎ去った時代と言うには。わずかばかりの喜びとちっぽけな悲しみ、自分が何者であるかも分からず、何をすべきかすら考えずにいられたあの頃、一緒に朝まで踊る相手もいなかったが。
 青春というにはおこがましい、甘い夜の、苦い後味の珈琲のように。

 「At Seventeen」バレンタインデーに決して聴いてはいけない曲、それが十七歳とは、残酷過ぎる。不誠実の刻印を自らに押して、恋人のいない辛さをなぜか独り芝居する?まるで写し絵のようだ。

 「Love is blind」愛の試練を何度か受けた、振り返れば、あまりに愚かで、何も見えていなかった、そのうつろげな光景だけが目に焼き付いている。
 ジャニス・イアンは、慰めに最も遠いところにある。であるからこそ、人の心の奥底に響き、深い影を落としていく。濃い影を刻む夏の盛りに、光薄れた冬の衰えを予感しながら。

 豪雨で踝あたりまで冠水した坂道を下っている。グレーな透明感の夜だ。坂を下り切ると、高い塔に出た。何かを探しているのか、凹凸の付いた階段のようなものを降りていく。段々近づいているのが、地上である保証はどこにもない。いったいどこに下りてしまうのか、ひどく不安になり、目が醒めた。体が冷えている。

「コワイ夢を見た」と息子が答えた。なぜ、起き出したのかと朝になって聞いたら。
 きっと、怖い鬼とか誰かに追いかけられた夢でも見たのだろうと思っていると、自分が誰かを殴ったり、襲ったりしている?ような夢だったと。どう解釈していいか分からなかった。

 ジャニスといえば、ジャニス・ジョプリンの歌も忘れ難い。
 「Move Over」魂を削るその歌は、その人の死を早めたのだろうか。何度聞いても、押し寄せてくる、あらがう波のように、遮ることもできず。
 「Summertime」の出だし、いつまでも来ない何者か、未来?希望?絶望?熱量だけがいたずらに、いやます。けだるさが、何かを語る。
 あれほどピュアな魂の叫びを、聞いたことはない。

 ノスタルジー、あの曲を聴くと、なぜか、タルコフスキーのモノクロ映画「僕の村は戦場だった(1962年 ソ連)」の沼を渡る、沼にしては水がとてつもなく透明感を湛えていたから、たぶん流れのゆるやかな大きな川だろうが、主人公の少年が水と戯れているシーンを想い出す。
 戦争で奪われた美しい故郷、タルコフスキーには常に望郷の念が映像に交錯している。
 ひんやりとした水のゆらめきは、遠くからする篝火のようにも見えた。ほとんど無音の静かな水流、流木のように漂っている、あてどなく、戦争という死の行進にあらがうすべもなく。ひとり踊る。
 少年期の、あの根拠のない多幸感とそれに釣り合うだけの寄る辺ない不安、裏返しの期待、それらがカットバックされ、微かな苦みを与えている、わたしの人生にも。
 朝が来れば、すべては変わる、変わっている。それは幻想に過ぎない。だが、
 朝は、いつも、ファンタジックな時であり、その日一日がまだ何者であるとも知れない、その朝を、誰かと言葉少なに祝福できる幸運を願わずにはいない。


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