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歌姫断想 中森明菜

※ 2020年、まだ過ぎ去ったとは言えない「その時期(とき)」に書き綴ったものを掲載しています。
 
 新型コロナ・ウイルスが猛威をふるうなか、無聊を慰めるために、昔の音源を懐かしんでいる。
 80年代は、わたしの遅ればせの青春であり、その別れの時でもあった。
 
 思い返せば、
 妻は、今から思うと、わたしの一番好きなアイドル歌手だった中森明菜と面差しが何となく似ていた。それで、好きになったのか、よく分からない。なんだか、気になって、放っておけなかったのだ。雨に濡れた子猫ちゃんみたいに。
 
 もう迷わずに……トワイライト、いちどはあきらめた人……北ウイングを歌っていた頃の黒い衣装を身に纏った明菜は、崇高な感じさえした。
 あの透明感を漂わせた美しい高音域は、天上界にまで確実に届いていた。
 その声は当然ながら神の耳をも煩わせた。
 神はいつもたそがれどきに目を醒ます。
 長い午睡から目覚めた神は、そのとき、こころにかすかな痛みを感じた。
 神に近づき過ぎた者に背負わされる、その運命を知っていたからだ。神に近づいた者は、避け難い、已むを得ざる罰として、やがて、その翼を奪われる……
 
 過ぎにしあの頃を振り返れば、
 スローモーション、砂の上 刻むステップ、セカンド・ラブ、恋も二度目なら、懐かしすぎて、涙が出そうになる。
 あの70年代後半から80年代にかけてのアイドル全盛期、化粧を歌う桜田淳子(彼女には演ずることのためらい、恥じらいのようなものがあったと思う)には成熟した悲しみを、赤いスイトピー(I will follow you、わずかに遅れ気味な歌い出し、わざと間を取っているのは、あなたについていく、そして、あなたをきっとリードするという強い気持ちの現われなのだろう)や風立ちぬの聖子ちゃんには何者にも動じない、揺るぎない自信を、哀しみ本線日本海の森昌子には歌を唄い継ごうとするけなげさを感じた。
 
 大阪しぐれ(この歌をいただいたときに、歌手でよかったなと思いました。1984年12月30日、円熟期を迎えた35歳のラストコンサート、美しい夜明けを思わせる甘いファンファーレのイントロに続く切々たる余情、余韻、復活を告げる1990年のコンサート、寝静まった都会の深い闇を揺り起こし、振りほどくかのような静謐な祈りの声、濡れた路面を一条のライトが照らし、走り抜ける車の乾いた通過音、ほの暗いクラクションが鳴る、あれは、何者かからの警告だったのか、ラ・ボエーム、いや、おそらくは、椿姫の前奏だった)、夫婦坂の都はるみ(美空ひばりの歌は、わたしには少しばかり敷居が高かった。それにしても、都はるみの歌の力と高音域に伸びる声の美しさは別格だ。)、レクイエムの南沙織(昔、恋したことのあるひとにどこか似ていた)、CAN YOU CELEBRATEの安室奈美恵、Mの浜崎あゆみ、それぞれの時代を駆け抜けた歌姫たち、かけがえのないまま、皆、どこかしら遠くへと去っていった。どこまでも美しい永遠の思い出だ。
 時が流れても、少しも色あせない。
 
 新型コロナ(流行り病)で亡くなった志村けんさんを見ようと思い立ち、アマゾンプライムビデオで探すと、見放題に「8時だよ、全員集合!」があった。番組の途中に、歌のコーナーがあって、アイドルを中心に、色んな歌手が歌っていた。
 印象に残ったのは、吉川晃司のモニカを歌うデビュー間もない頃の初々しさ、それにもまして切れのよい体の俊敏な動き、小泉今日子のしっかりと前を見つめる凛とした美しさ、今はその名も歌った曲も忘れ去られたアイドル(候補生)たちの一生懸命さ、きらっと光るものを誰もが(ときに、例外もあったが)持っていながら、それが大きな輝きとはならない現実、激しい競争が繰り広げられ、生き残りの厳しい世界であることがまざまざと分かる。
 
注 なんで、あんな(そんなに歌はうまくないし、そんなに可愛い子ちゃんでもない)人がアイドルになってテレビに出られたんやろか。わたしの純朴な質問に、妻はあっさりと断言した。枕営業してるからや。確かに、そういう世界でもあったのだ、あの世界は。されば、一等星のようにキラキラときらめくスターとは、泥の上に咲く可憐な白蓮の花のごとし。
 
 それから間もなく、彼女は、可憐なアイドルから美しいおとなのアーティストに見事に変身した。様々な楽曲を完璧に歌いこなし、それぞれの曲想(歌がそこで生きる世界、そこでしか生きられない唯一、絶対の時間と空間、そこに降り立つひとりの人間)を演じきった。
 他のアイドルの誰しもが、彼女を特別な存在と感じていただろう。歌唱のレベルが他の誰よりも格段に抜きん出ていたのだから。それは、更に磨きをかけられ、もはや彼女がアイドルであり続けることは、自己矛盾でしかなかった。
 背伸びし始めた禁区、軽やかな風が吹き抜け、かすかに甘い香りが残るサザン・ウィンド、何者にも囚われない、いつも生まれたばかりの自由な魂でありたい、そう宣言した十戒、完全に脱皮した飾りじゃないのよ涙は、彼女にしか歌えない、演じられない歌があると確信したミ・アモーレ、乾いた感傷をつづら折れにしたSAND BEIGE、25階の非常口で風に吹かれて、メランコリーな表情を隠しきれないSOLITUDE、エンジン全開、フル・スロットル、ビブラートを効かせた中低音が爆発するDESIRE、退廃の気分に浸りながら少しも清楚さを失わない華麗な舞踏TANGO NOIR、妖艶さが舞いを羽ばたかせてしまうBLONDE、悲痛さを突き抜けたその先にしか見えない難破船……、サンバからロック、タンゴからバラードまで、彼女にしか表現できない歌の世界がそこにはあった。
 
 僅か5分足らずの濃密で、精緻で、繊細な劇場(劇的世界)。デビューからたった5年で、この独自の、純度の高い、絵画性と舞踏性を併せ持つ超現実、誰ひとり未踏のままの仮想現実の世界を築けるとは。彼女にしか分からない。
 成熟までの時間は、加速度的に失われていった。まるで、これ以上の成熟、到達(点)を禁じられていたかのように。
 清澄な祈りの時象、めくるめく万華鏡、甘いけだるさがそことなし、そこはかとなく誘っている、憑依する悲しみ、裏切りの聖母、哀しみの聖女、虚無的でありながら誠実な、繊細な姿そのままに語りかけてくる言葉のきらめき、宇宙を近くに感じさせる歌の広がり、夕凪の不思議なさざめきがして、ふと気づけば、時代の稜線を駆け抜ける都市の疾走感が不意に目に飛び込んでくる。
 バブルが残した唯一の未来への希望のあかし、華やかな春の儚い思い出、輝かしい夏の荒ぶる記憶、時代を画する稀有の達成、今、噛みしめている。
 その歌声、パフォーマンスで人に感動を与え、今もなお与え続ける。心を揺さぶり、今も揺さぶられ続けている。
 
 動画を見て、中森明菜の歌には、その素晴らしさを改めて痛感させられた。
 学芸会の続きみたいな昨今の未成熟な歌を聴かされていると、つくづく彼女の偉大さ、その歌う力の揺るぎなさ、かけがえのなさが分かる。
 不世出の歌手だ。ひとり、時代の波に流されることなく屹立している。
 もう、あのような幸福な時間、歌手と制作スタッフとファン(聞き手、受け手)との蜜月は、二度と訪れないのだろうか。それが悲しい。
 
 それにしても、あの歌には、
 凍りついたような美しい半裸のうつしみ、奪われた、喪われた愛と希望がそのまま、そこにうつしとられている。
 近寄りがたい、おそろしいほどの悲しみに染められた、何者か美しい化身、稀有の存在であることのあかしに、あらわになった首筋から肩、胸もとにかけて、白い素肌が澄み切って月のように光り輝いている。
 悲しみのビーナス、人間の男を愛したがゆえに、深い悲しみとどこまでも続く、色褪せぬ、無益な、その意味すら失った苦しみを背負わされた愛の女神、天上の船は海そこに深く墜ちて、沈められ、もう帰るすべもない。
 一幕のドラマ、悲劇のヒロインを演じて、歌は閉じる。悲しくほほえむ。
 
 ひとり、詩人となり、歌を紡ぐ。
 あでやかで、そこはかとなくあやしい。きらびやかな夢の金糸、銀糸の横糸で、極彩色の澄み渡った夢の続き、まだ見たこともない時間の経糸を織り上げる。芳醇にして、豊麗、清楚にして、凄艶、妖艶にして、絢爛たる空間が現出する。
 その舞台は、三原色で煌びやかに照らし返された地上と如何なる影も映さない透明な翼、漆黒に打ち沈む闇に覆われている。さびしさの定点、消失点を身定めるかのように。
 もう、誰もステージには立たない。永遠の空席を埋めるスポットライトだけが、舞台の床を煌煌と照らしている。
 
 思えば、彼女は現在形を生きるひとであった。
 今この瞬間を見事に走り抜ける、振り返ること、繰り返すことを拒み、常に新しい歌を、新しい生き方を選ぶ。そこにとどまり、安住することはない。永遠の狩りを、終わりのない旅を続け、駆け抜けていった。
 ひたすら、成熟を、収穫を待つひとではない。
 
 神が沈黙を守る今、たそがれ時にはまだ少し間がある。
 中森明菜は再び降臨する。
 感じますか、届きますか。
 わたしは、信じます。
 
 なぜなら、まごうことなく、
 歌手とは、歌う喜びである、から。
 
注1
 歌謡界・ポップスの世界で最も美しい歌姫、それは35歳で引退したときの都はるみではないか、ときどきそう思う。あのとき、確かに、彼女は化身していた。時折、なまめかしい憑依の表情を見せながら。
 
注2
 妻は、結婚、出産を経て、子猫ちゃんから、見事に変身し、今や、我が家の女神(山の神)として君臨している。
 
 

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