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人を笑顔にしたい。

    僕は昔、小学校を卒業する時に「人を笑顔にする職業に就きたい」と皆の前で言った。所謂卒業式で名前が呼ばれたら登壇して将来の夢を言う、というやつでだ。緊張しいの僕にはなかなかきつかったんじゃないかな、と今になって思う。人前で話すのがとても苦手でこの歳になった今でも克服は出来ていない。言いたい事は思い浮かんでいるのだが、皆の前に立った途端に語彙力とIQが無に帰す。薄っぺらい、何の感情も篭っていないような定型文にも満たない適当な言葉しか出てこなくなる。話す内容も非常にまとまりが無く、聞き苦しいったらありゃしない、話す側にとっても聞く側にとっても意味の無い時間が生まれてしまうのだ。悲しい。自分の順番が回ってくるのをただ受け止めるしか無かった苦しい過去を思い出す。
    将来の夢の方に話を戻すが、僕が小学校時代に思い描いていた「人を笑顔にする職業」は写真家だった。笑顔にする、というより自分が表現したもので人の心を動かしたかったのだと思う。もう一つあった気もするが忘れてしまった。今、僕は色々な風景写真をたくさん撮っているが、それも小学生の僕が掲げた夢を無意識にも意識した事だったのだと思うと少し誇らしい気もする。早く自分のカメラを手に入れてレンズを通したこの世を見てみたい。その先に見える何かにとても興味を持っている。果たしてそこに見えているのは現実か、はたまたレンズを介して虚を覗いているだけなのか。
    綺麗な写真が撮れた時、誰かに見せるのはとてもドキドキする。どういう風に思ってくれるのか、感じてくれるのか、どういうものを受け取ったのか。人それぞれに様々な無数の感性があるから、感じ方も色々あってすごく面白い。無限に可能性があるからこそそこに何か惹かれるものがあるのだろう。そうやって、そういった魅力に導かれたたくさんの才能が顕現していったのだと思う。技術が無くとも、才能が無くとも、努力や熱量が人々を突き動かす。いつの時代にもそういう人間がいて、人々は進化を目の当たりにしながら生きているのだ。そう思うと嬉しいような誇らしいような気持ちになる。
    今の僕に写真家になるほどの余裕は正直無い。仕事をして、悩んで、疲れて、の毎日。思いっきり趣味に振れる時間もたくさんは無い。今は堪え忍ぶしか無いのかもしれないなと思いつつ、自分が人生において展開している今が楽しければいいという持論も頭の片隅にある。矛盾が矛盾を呼ぶ。将来何をしているかなんてなってみないと分からない。まだ社会の厳しさを知らないし、今まで誰も教えてくれなかった。だから今社会人になってそれを痛く感じているのだ。いや、自分が未熟であった故、教えてくれていた事に気付けなかったのかもしれない。社会に出て、社会人という立場に置かれてみて、分かったこともたくさんある。人生は経験の連続なんだなと強く感じる。だから、社会の波に揉まれて、辛いことをたくさん飲み込んで、疲れたら趣味に思いっきり時間を費してあげて。そうやって自分が自分であれるようにゆっくり歩んで行ければいいなと思うばかりだ。


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