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note32目:ゴールデンウィーク最終日に思うこと

ゴールデンウィーク最終日になると、いつもあっという間だったなと思う。

始まる前はあれもこれもしようと考えていたのに、全然できていない。
え、もう明日から仕事? 
と最大10連休といわれる休みを満喫したとは思えない体感で祝日jは幕を下ろす。


思えば小さい頃の夏休みも冬休みも春休みも、すべてこの体感のまま過ごしていた。

さっさと宿題終わらせて、ぱーっと遊ぼう。
なんならちょっと復習とかしちゃって苦手な科目を克服してもいいかもしれない、とかなんとか思い浮かべてはニヤニヤしていたが、一度も実行されたことはなかった。

休みが終わっても提出時間ギリギリまで半泣きで友達から宿題写させてもらったのは、もはやいい思い出となっている。計画立てても前縁計画通りにできないので、これはもう性格の問題ではなく個性だということにしておこう。

祝日、私はいったいなにをしていたんだろう、と過去の日記を振り返ってみたら、意外と満喫しているじゃないか。

普段よりも外に出ている。
友達と会っているし、都心にも行っている、昨日は手巻き寿司してしょうぶ湯にも入ったし、充分すぎるほど楽しんでいるはずなのに、この『なんにもしていなかった感』が生まれるのはどうしてなのだろう。


そういえば「充分休んだから、もう働きたーい(学校いきたーい)」と思ったこともない。
休みはいつもちょっと足りない状態で終わってしまう気がしている。

まあ、休みが増えたところで出かける回数が増えるとか、旅行するとかアクティブに過ごすことはなく、ネトフリ、アマプラで映画三昧になるのは目に見えている。
この祝日にはシティーハンターとゲゲゲが最高に面白かった。
トイレを気にせずビール片手に見る映画は最高だ。


たぶんみんなコロナ渦で否が応でも家にいないといけなかったので、よりいっそうアクティブになっているように見える。

円安だとわかっていても海外に行く人しかり、人混みで大行列とわかっていてもテーマパークに向かう人しかり、出かけたかったうっぷんの放出をしているのだろう。
いかんせんこちらは、引きこもりが大好きなのでそんな無謀なことはどうしてもできない。

ん?


この理論がもし当たっているというならば、みんな出社したいってこと? 
満員電車乗って雨でも雪でも炎天下でも家から出て会社に行きたいの? 
ほんとに? 

ごめん、全然気持ちわからない。

通勤時間という無駄な時間(私にとっては)は過ごしたくないし、無駄なおしゃべり(私にとっては)参加したくないし、無駄な飲み会(私にとっては)に義務でも行きたくないので、やっぱりひとり不要不急な外出は避ける緊急事態宣言を続行させていただく。


アレ、話がどんどんズレてしまった。

いけない、私の悪い癖だ。
祝日が終わってしまうので感傷的になってるのかもしれない。

また来年にならないと彼(ゴールデンウィーク)には会えないのだ、そりゃさみしくもなるって。

織り姫、彦星だけじゃない、私とゴールデンウィークも一年に一回なのだと、どうでもいい理屈をこねながら、今日の日記を閉じようとお思います。

みなさん、明日から頑張りましょう。


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