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怖いけれど、その先を見たかったら勇氣が扉を開ける鍵


今日は新月。

どんな願いを立てようかな。


すべての人間関係、今目の前のじぶんの世界に現れているものは、じぶんの反映だと思う。

わたしを、いろんな角度から照らして映し出しているのだと思う。

そのひとを通してじぶんのリフレクションを見る必要があったから、そのひとに出会っているのだと思う。


声に出そうよ、と思う。

まちがってしまうとか、不安に思ってしまうかもしれない。

でも、“まちがえ”ようが、じぶんの“想い”をなにかしらの“声”にして“カタチ”にして、届けようよ。

とにかく出すことが大事だよ。

そうじゃなきゃ、あなたのなかに“なにがあるのか”、“あるのかないのか”もわからないよ。

だから、どんな音でもいい。

声にならない声でもいい。

とにかく、あなたの吐息を、あなたが今ここに生きている証を、音に出そう。

意味をなさなくても、上手に言えなくても、だいじょうぶだから。


今日は、プリちゃんことPriscilla Leiさんとの継続オアシスタイム2回目。

5/1の八十八夜から、じぶんの明確な方向性となる願いを打ち立てるために、向き合ってきた。

そのなかで出てきたのは、“命懸けで最高にきもちのいいお産をすること”。

それからさらに、世界を旅する書道アーティストの優希さんの本がきのう届いて、読んでいるうちに新たな想いが出てきた。

“わたしのpassionで世界とつながる”。

“旅”というキーワードは、3月にはじめて受けたオアシスタイムでも出ていて、わたしのなかに“世界でじぶんを賭けてみたい”という想いが芽生えてからずっと眠っていた願いだった。

今はずっと“ひとり”で想い描いていた旅を、パートナー、そして家族とする未来もあるのかもしれない、あってもいいのかもしれないと思うようになった。


恋は、傷つく準備ができたひとにしか、できないのだろう。

いや、準備ができる前にいつの間にか“落ちてる”ものだから、fall in loveとひとは呼んだのかもしれないね。


優希さんの、旅を通してアートで世界中のひととつながっていく経験をいっしょに辿ることで、わたしのこころにもひととつながる喜びや感動、そして愛やぬくもりを感じることができた。

わたしもやっぱり、お金がないからという理由ではなく、アートでひととつながることができるからという理由でアートを売りながら世界を旅したいと思った。

35歳の誕生日までに、パートナーといっしょに5年かけて世界を巡る旅に出る。

どんなひとと、いっしょなのだろう。

プリちゃんに、カードを引いてもらった。

4月のときと同じ、“Pono”が出た。

“じぶんを愛していて、大切にしていて、親切で、どんな小さな変化にも氣づけるひと”。

ふたりで見るからこそ、ひとりずつのときに見ていた世界ではない、ふたりいっしょのときにしか見られない景色があり、ふたりの世界が混ざり合った色を創っていくのだろうな。

そうして、目指すところが“ふたりの叶えたいこと”になっていく。

それが、今そばにいるひとなのかはわからない。

それでも、彼にはないところを、わたしが導いていくんじゃない?というプリちゃんの言葉に、“そっか、そうなのかも”と思った。

ほんとに、どうしたいか、どう見たいかもじぶん次第なんだなと思った。

その未来につながっていく扉を、今ここからひとつひとつ、勇氣という鍵で開いていくことができる。

その勇氣は、敢えて傷つく道を選ぶ。

怖いけれど、声をかける。

彼の夢や、やりたいことをひとつひとついっしょに叶えていく。

そんな、目の前の扉を開いていくことからはじまる。

わたしの扉を開いた勇氣は、まただれかの扉を開けていく勇氣になって、そうやって勇氣はつながり巡っていくのだ。

怖さは、まだ来ていない未来にある。


恐れていたことが、今起きているとき、それはもはや“怖い”ではない。

ひとは今を生きているとき、“怖さ”を感じることはない。

“怖い”のは、今にいないから。

まだ来ぬ未来を生きているから。

恐れていることに立ち向かっているとき、それは“勇氣”なのだと思う。

だから、怖いことに飛びこめよ。

飛びこんでしまえば、あなたにあるのは恐れではない。

あなたは、勇氣を手にしているのだ。





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