見出し画像

“今”を味わう先に見えてくる“未来”


【グロい表現、エロい表現を含みますよ〜】


お休みに入った朝に、トイレに入って用を足したあと、ムーンタイムがはじまったことを知った。

1日目はおにぎり屋さんに行って、メーデーで太陽学園の販売に来ていたOさんに会ったり、いろんな事業所さんのクッキーや工作品を買ったり、アロマとハーブのお店に行って、お惣菜屋さんで夜ごはんのおかずを買った。

2日目は、午前中お茶の初心者講座を受けて、それから連続講座も受けようと思って、午後は7カ月ぶりに美容院に行って、美容師の男性を茶道にお誘いして、公園でまったりした。

ムーンタイムでありながら、わたしにしてはなかなかよく動くハードワークな日々を過ごした。

湖のある街にある美術館に行きたくて、今日行く予定だったのだけれど、珍しく11時近くまで目覚めなかったので、今日はおそうじをして、家でゆっくり過ごすことにした。

わたしは、瞑想をして、掃除をして、今日やろうと思っていたことを終えたら、やりきったムードになった。

まだ今日やろうと思っていた糠漬けが残っていたので、ワークショップの録画を観ていたけれど、眠氣がやってきて眠った。

なんだか、すごくおどろおどろしい夢だった。

【※生々しい表現を含みます。】


現実には存在しないひとが、まわりで殺されていた。

子どもも、犬も。

首をナイフで斬られて。

それから、だれかとセックスする夢。

性器ごとにきもちいいセックスの仕方をネットで調べていた。

うしろからギュッと抱きしめられるのが、すごく安心感があって幸せだった。

まだ夢のなかにいるときに、遠くで(現実で)母が呼ぶ声がして、起き上がってふろに入った。

シャワーを浴びながら、見た夢を思い出してうぇーと思っていた。

調べるたびにうれしくないことが書いてあるから、読みたくない夢辞典をそれでも引いてみたら、“殺される”夢も、“セックスする”夢も、吉夢なんだって。

なんだ、最悪な夢にはやさしいじゃん。

それと、母が家を出てマンションに引っ越すって言ってる夢も見て、(これは実際言ってるときがあった)わたしは「マンションが嫌なんだ」って言ってた。

この夢はじぶんが現実でひとり暮らしをしたくないっていう潜在意識の表れかなと思った。

“引っ越しをする”っていうのも、吉夢らしい。


今月のムーンタイムは、2日目たくさん血が出た。

1日目の血は黒かった。

痛みはなかった。


なんか、SNSって、世界の頭のいい人たちがわたしたちが“依存するように”つくっているらしいのね。

わたしも、やっぱり6~7時間寝て、8時間働いて、残りの9~10時間をどう過ごすかっていうことを考えはじめている。

たぶん、それから逃れることはできない。

それでも、このまま“流れる”ように過ごしてちゃいけないなっていうなんとなく危機感はある。

わたしは最近、寝る前のジャーナルとか、起きたあとのモーニング・ページをやらなくなった。

そのなかで、なんとなく“じぶんはどう生きていきたいんだ”っていうこと、“じぶんはほんとうはどう生きることを望んでいるんだ”っていうことについて、ふと真剣に問うたり、“これかも”みたいな答えを見つけたりする時間もあった。

書くことはじぶんのなかを見つめることだし、じぶんのなかにあるものしか出てこないと思うから、“じぶんがもっているもの”“あるもの”を活かしきることでもある。

だから、わたしのなかでやっぱりちゃんと書こう、今書くことでじぶんの知らなかったことを知ることができるよっていうのを、なんとなく察知している氣がするのね。

今、したいことはなにで、どんな時間を増やしたいと思っているのか。

そして、できたらどんなライフスタイルで生きたいのか。

ひとつ、最近思うのは、どこにいてだれといて、なにをしているかより、わたしが一番無理がなく、自然にじぶんでいられるところがいいなってこと。

なんか、今までは、海の近くの自然に囲まれた心地のよい家で、畑があって裸足でさんぽしたり、庭でひなたぼっこしたりみたいなイメージを想いうかべていたんだけれど、そういう細かいところよりもその人生を送っているわたしが“どう感じているか”のほうが大事だべって氣がするんだよねぇ。

その“いい感じの人生”を維持するために無理してたり、がんばってたりしなきゃいけないなら、わたしはそんな人生は望まないなあって思ったの。

それよりも、“そうするのがわたしの表現としてとても自然でじぶんのなかで一番しっくりきている”感覚があることのほうが大事だなって思った。

その“feeling”でいられる道をどう探したらいいんだろう。

それは“今”の暮らしの延長に見つかる氣がするんだ。

“今”じぶんはなにが好きで、どんなことをしているときの、どんな感覚が好きなのかっていう、知らなかったじぶんをひとつひとつ知っていく体験を積むことが、その先の“答え”につながっている氣がするから。

だからね、わたしは今、“今”にいるわたしの人生をいっぱいに膨らませて、実をいっぱいに味わおうとしているんだなあと思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?