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日経記事 「円安加速、34年ぶり158円台 米「3高」に歯止め利かず」 2024年4月27日

26日のニューヨーク外国為替市場で円は1ドル=158円台前半まで下落、1990年5月以来、34年ぶりの安値との事。ふと1990年の円安の事情はどんなものだったのか、と興味が出ました。

投資情報メディア「マネクリ」のマネックス証券吉田氏の記事によると、当時の円安に至る事情は今回と全く異なるとの事。

1985年プラザ合意により、当時1988年にかけて120円まで米ドルが下落したが、この時に1米ドル=250円程度からほんの2年程度で半値以下の120円まで米ドル大暴落が起こったとの事。

ですが、120円まで下落する事(円高ドル安)を期待していたわけではなく、当初想定より下がり過ぎたそうです。結果、その反動で1990年4月までに160円まで戻った(円安ドル高)との事。

もともと対外貿易の不均衡が世界各国から問題視されていたので、行き過ぎた円高(1ドル120円)もまた問題である、と認識されたようです。(つまり、是正により円安が起きた。)

ただこの円安が最終的に160円程度になった事の関連として挙げられているのが、日本で起こった「バブル崩壊」。

バブル崩壊が起こると当然ですがその国の資産価値が下がるので、以下のような理由でリスク回避の動きが出ます。

  1. 日本経済の不確実性が増大しビジネス環境や収益性が予測しにくくなり、投資を避けようとする。

  2. 日本の金融機関や企業が多額の負債を抱え、日本の金融機関の信用リスクを懸念し、投資を控える。

  3. 円の価値が不安定になるので円安や円高へ変動しやすくなり、これらの為替リスクを懸念し、投資を避ける。

以上の事から安全資産へのシフトが発生し、日本の企業や投資家が海外資産を安全資産である通貨へ移行させました。

つまり円が求められた結果として円高方向への圧力が働き、最終的に160円程度の円安に至った、ということの関連性が記事の中で書かれていました。

今回の円安では米国の高い消費需要およびインフレに起因した米国の金利と、比較的に低い日本の金利との差が主要因と言われていますので、34年前の円安事情とは大きく異なる事が理解できました。

ちなみに前述のプラザ合意についてですが、これはもともと固定相場制で多くの国が自国通貨の価値を米ドルに対して固定し、各国は自国通貨の価値を一定の金本位制に基づいて維持、必要に応じて為替レートを調整していました。

ところがその後固定相場制の維持が難しくなり、各国の通貨は相対的な自由な浮動為替相場制度に移行しました。

加えて1990年頃世界に対して日本の製品競争力が高まり日本の輸出貿易黒字が増大した結果、日本がこの是正を求められ円を切り上げてドルを切り下げる通貨介入、すなわち円高ドル安を実現するための政策として導入されました。


参考: 1990年「160円の円安」を振り返るhttps://media.monex.co.jp/articles/-/20529


*以上の記事は投稿者本人の学びを目的として記載されたものです。
*内容に誤りがあった場合は教えて頂けますと勉強となり、ありがたいです。



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