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文章のリハビリ

はじめまして、窪沖奈です。
小説を書くことが趣味でした。

旧Twitter歴8年、日記や小説を書き始めてから12年が経つ今年、いつもなら特に考えなくとも書けていた文章が何一つ書けなくなり、軽く絶望に追いやられています。
いわゆるスランプというものです。

これまでは月に2~4本の短編小説を書く生活をしていた。
スランプに陥った2月からは1日に数十字、一月で一文書き上がれば御の字という程度の進行になり、一つの作品に仕上げることも叶いません。

何が原因なのかよくわからず、図書館やネットの叡智を頼っては精神面のケアをしてみたり、本当に初歩的な文章の引き写しなどをして文章を書く感覚を損なわないように努めています。
今のところ、成果はありませんが。

書いているこの記事も特段面白みのあるものに仕上がらず、脳みそから溢れる言葉をひたすらに綴って書き付けているだけの読みにくい文章に仕上がっています。

拙い言葉を言い訳に使うのも卑怯ですし、進展しませんので、noteを通して私がやっていきたい事を簡単にまとめていきます。
やりたいことは以下の3つです。


①人に見せる文章の練習

第一の目的はこれです。
私は10年ほど文章を書いてきましたが、そのほとんどが所属するコミュニティの仲間内で披露し合うものか、自分のために書いたものばかりでした。

仲間内で褒められ甘やかされて来た結果、私はひどい思い違いと自惚れを抱いて小説を書いているのでは?という疑念を持つに至りました。

なので、ここでは知り合いには内緒で文章を書いています。純粋な他人であるnoteユーザーの方々に客観的な評価を下して貰うため、私の本当の技量を知るためにここを利用したいと考えています。

②文章を書く習慣の復活

これは個人的に書いている日記があるので、習慣そのものは続いています。しかし、以前は活動していた小説サイトでの連載は辞めてしまった上、アカウントも消してしまったために人に披露する機会を失ってしまいました。
ならば場を改めてみよう、という試みです。

③初心に帰って書く

小説などの文筆活動を長く続けている方なら誰しもこんな経験があると思います。
昔はもっと気楽に書いていたのに読者に気に入られることを気にしてしまうとか、
周りと比べて気落ちしてしまうとか、
書きたいものとウケるものの間で板挟みになって苦しむとか、
そんな悩みがあるのでは。

私はこのタイプで、人に読んで貰うとなると途端にウケを気にしてしまって好きに書けなくなってしまいます。
しかも、悪いことに書きたいものとウケるものの間に深い溝があります。
悲しいほどに、書きたいように書けばウケません。

これの原因は読み手が親しい友人で、互いの趣味嗜好を知り尽くした仲であることが前提にあります。
相手が好むやり方やシチュエーション、人物造形を知っているのでそこに寄せて書く、それを喜ばれるので同じものを書く……という1つの流れが出来上がってしまっているせい似たようなものを量産するためにマンネリ化してしまい、更に書きたいように書けない状況が常態化しています。

(誤解のないように言いますと、人に喜んで貰えることそのものは嬉しいことで、私自身これも楽しんでいました。けれど、私が褒められることに固執していたせいで手が止まってしまいました。これは私の責任です。)

読んでくれていた友人たちに誤解をさせないためにnoteを初めて、私は私のやりたいように書く場を確保して初心に帰りたいのです。
純粋な文章を書く喜びを得て、小説を書く楽しみを取り戻すため、この場を活用したい。
これが私の目標です。

終わりに

やはりまとまりのない文章を書くことになりましたが、久々に文をたくさん書けてホットしています。
いつかこの長いスランプを抜けられるまではここで日記もどきのような文章や、小説のような何かを書いていこうと思います。
noteの皆さま、何卒お付き合いをお願いいたします。

窪沖奈


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