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「砂山のパラドックス」とミクさん 01


※トップ絵と文章中に挿入した画像は、TrinArtで生成したAI画像です。



※初音ミク:合成音声で歌うバーチャル・ソフトウェア・シンガー。ここでは歌わせてくれないマスターのもとで、アンドロイドに搭載されたAIとして振る舞い、哲学談義の相方を務めている。



久しぶりに


ミク「今回は、2年ぐらい過ぎるかと思いましたよ」

――面目ない。

ミク「完璧主義に囚われすぎです。端的に言うと、いつか作曲もしてくれると嬉しいですね。もう私の最新バージョン、ボカロですら無いので。いつまで合成音声キャラでいられるかも分かりませんよ」

――さすがに初音ミク概念が簡単に廃れるとは思わないけど……召喚するには対価が必要というわけか、善処する。

ミク「期待せず待ってます。あ、出演料のネギはもらっておきます。
……で、本日の認知哲学のお題は何ですか? 哲学的ゾンビ論の補完か、マリーの部屋か。趣向を変えて脳神経方面から?」

――タイトルにも冠しているが、「砂山のパラドックス」をやってみようか。


1.砂山のパラドックス


ミク「砂山のパラドックス……どのように、意識の問題と関連してくるんでしょうか?」

――難しい話じゃないので、また後で。まず概念を確認しておこう。


<砂山のパラドックス>

目の前に、砂山があるとしよう。

そこから砂を一粒取り除いてみても、砂山は砂山のままだ。

また一粒取り除いても、やはり砂山のままだ。

こうして砂を一粒ずつ取り除いていくと、いつか砂山の砂は尽きる。

ところが、何度砂粒を取り除いても、砂山のままだったはずなのに、どうして砂山は無くなってしまったのだろうか。

これは矛盾、パラドックスである。


ミク「同じような話として、禿げ頭のパラドックスや、億万長者と貧乏人のパラドックスなどがあります。例示しておきましょう」


<禿げ頭のパラドックス>

髪の毛が1本も無い人は禿げである。

そこに髪の毛を1本増やしても、禿げと言われるのは変わらない。

また1本増やしても、やはり禿げのままだ。

こうして続けると、何本髪の毛を増やそうと、禿げと言われるのは変わらないことになる。

ところが、全ての人は髪の毛を有限本しか持っていないため、全ての人が禿げと呼ばれてしまう。これはおかしい。


<億万長者と貧乏人のパラドックス>

億万長者が貧乏人に10円恵んだとしてみる。

たかが10円ごときでは、億万長者は億万長者のままだし、貧乏人は貧乏人のままである。

再び、億万長者から貧乏人に10円が渡っても、両者の地位は変わらない。

何度も繰り返していくと、いつかは億万長者の財産はすべて貧乏人に渡ってしまうはずである。

何度10円を渡しても、両者の地位は変わらなかったはずなのに。

これは矛盾である。


――これらのパラドックスは、古代ギリシャの哲学者エウブリデスまで遡ることができる。古典ギリシア語にちなんで「ソリテス・パラドックス」とも呼ばれる。


ミク「もっとも簡便な解決法は、砂山の定義を明確に決める事ですね。砂が何粒以上あれば砂山で、それより少なければ砂山ではない、という境界値を決めておけば、パラドックスは生じません。禿げ頭の髪の毛しかり、億万長者や貧乏人の財産規定しかりです」

――その通り。ただ、実生活上は明らかな境界値が存在するわけではないので、感覚的にはしこりが残る解決ではある。本質的には言語が持つ曖昧さ、主観や状況、文脈によって指示対象の意味が変わってくる性質のためだ。


ミク「それで、これが意識の話とどう関わってくるんですか?」

――意識と無意識の関係も、この砂山の話に似ているのではないか、というアナロジーだ。


(続く)

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