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安心と信頼の違い

安心と信頼の違いについて考えている。

最近、子どもにスマホを持たせた。9歳になったばかり。まだ早いと思うかもしれない。

子どもも私も同じAndroidのスマホなので、Googleのファミリーリンクというアプリを使って、子どものアカウントを作成することができる。

このアプリでは、子どものアプリの利用状況、スマホの位置情報も分かるし、アプリのダウンロードも制限できる。そもそも、ウェブサイトを見るには小さすぎる端末を渡しているけれど、コンテンツのフィルタリングもできる。

Googleが私たちに提供しているのが、「安心」だ。一方、子どもにスマホを持たせると決めて、使う場所や時間を守ると約束することは「信頼」だ。もちろん、その安心を使わないこともできるし、いろんな選択肢の中から、お互いに納得できる安心と信頼のちょうどいい加減を話し合って決める。

信頼は、不確実なものだ。もしかしたら、間違った使い方をするかもしれない。でも、相手に委ね、任せる。いろんな可能性の幅を持たせたまま、相手にそのまま預けてしまう。リスクはちょっとしたスリルでもある。そういうワクワクが、人を成長させる。

安心は、リスクを減らすために、可能性の幅を狭めていく。不確実なものを無くし、確かなものだけを与えてくれる。安心して見ていられる範囲なら、気兼ねなく自由にできる。失敗もできる。

安心だから使える。と同時に、信頼しているから、任せられる。

子どもから親への信頼ほど、強いものはない。親のほうはいつでも子どもの心配をしていて、安心を求めてしまう。だから、親から信頼の証を受け取ったときの喜びは、子どもにとって特別で、きっとそれに応えてくれると思う。私も、なるべく安心を使わないでいたい。

※補足

上記の本にも紹介されているが、山岸俊男という社会学者は人の能力期待に対する信頼と、相互に意図した通りの役割を果たす期待に対する信頼を区別し、後者の信頼について、さらに安心と信頼の違いとして次のように述べている。

信頼は、社会的不確実性が存在しているにもかかわらず、相手の(自分に対する感情も含めた意味での)人間性のゆえに、相手が自分に対してひどい行動はとらないだろうと考えることです。これに対して安心は、そもそもそのような社会的不確実性が存在していないと感じることを意味します。p.22『安心社会から信頼社会へ』




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