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10年前、走って家まで帰っていた

娘がまだ1歳か2歳の頃。
転職して、大阪に引っ越してきて、IT企業の人事をしていた頃。

無事に保育園に預けることができて、妻もフルタイムで働き始め、共働き。仕事も育児もバリバリ頑張れる気力も若さもあった。
会社の仕事はどんなに早くても19時にしか終わらず、会社から駅まで、駅から家まで、歩くかわりに走っていた。

全力で走れば、娘が寝る前になんとか顔を見ることができる。一緒にお風呂に入れるかもしれない。梅田の地下街を、人を避けながら走っていた。

しばらくすると、娘が寝る時間にはとっくに帰れなくなっていた。飲み会が終わった後に会社に戻って仕事をしていた。

結局、気力も体力もすべて削られて、何年も休むことになった。

それから10年。

いまは16時に仕事を終え、すぐにオフィスを出る。歩いて、保育園のお迎えに行き、ご飯を作って食べさせる。18時半には妻も帰ってきて、一緒に夕食を作って食べることができる。娘と一緒に百人一首を覚え、歴史の勉強をすることができる。

在宅勤務の日は、もう少しだけ余裕がある。通勤時間のかわりに通院したり、歯医者に行ったり、地域の仕事をしたり。以前は、在宅勤務も全くできなかったし、考えもしなかった。

仕事の量も時間も半分以下になったし、もちろん給与も半分以下になった。そのかわりに走らなくてもよくなった。

仕事を減らしたぶんを育児に回しているので、私は器用にどちらも選ぶような両立なんてできてないのかもしれない。
でも、どちらも全力で追いかけて走っていたときに感じていた、仕事も育児も中途半端でなにもできてない、という悲壮感は無い。今も、全力ではできなくて、失敗ばかりしているけれど。

10年前。同世代の友人はまだバリバリ働いている20代の頃、ロールモデルもだれもいない、救いも助けも求める先がなかった頃。今でも当時の記憶を夢に見る。何度でも鮮明に、強烈に。何が夢で過去だったのか、おぼろげになるほどに。

私はなにか変わっただろうか、社会はなにか変わっただろうか。もう二度と走れなくなったから、走らなくなった、夜まで会社にいる必要がないから、家にいるだけだ。
私が子どもともっと一緒にいたいという気持ちも、まだ社会でしんどい思いをしている人がいることも、変わっていない。

夜の街の光は、ずっと遠くのほうにある。

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