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もう二度とこないかもしれないから、余計に愛してしまったアルバニア・ベラト。

旅をしていると、理由もなく吸い寄せられて気づけばそこにいたって街、旅人なら1つや2つあるんじゃないかな。

わたしにとってまさしくその一つに挙がるのが、アルバニア・ベラト。バルカン半島をソロ旅している途中に出逢ってしまったのだ。

千の窓』という異名を持つ、世界遺産に指定された風光明媚な街。

宿のwifiのパスワードまで奇しくも『1000windows』だった…。


バスが来ないから、ヒッチハイクして(←え…?)

アルバニアは移動の難易度が高すぎる…

その日私は朝から苛立っていた。

アルバニアのバスはアテにならないよ、というのは前情報として聞いてはいたものの、期待をさらに上回るかたちで見事にとばっちりを受けた。

ネットで調べていたバスは、実際にはその路線が廃止されていて来るはずのバスが来なかったり…その日は予定不調和もいいところ。朝から踏んだり蹴ったりだった。

自分ではどうすることもできず、地元の親切な人に尋ねるも、

「ちょ、ごめん、イタリア語話せる…?」

と途中から英語からイタリア語の言語のチェンジを求められたりして思わず笑ってしまった。

アルバニアの海の向こうはイタリア。

アルバニアの海の向こうは長靴の国のかかとの辺り

その昔、ラジオから流れるイタリア語を頻繁に聴いていたせいで、地元民の口からはしょっちゅうイタリア語のフレーズが飛び出す。

筆者は、今も昔もイタリアオタクなので、旅のイタリア語のフレーズはちょっとだけ話せる。とはいえ、本当に単語に毛が生えたようなレベルw

だが、そのおかげでアルバニア人の彼らとの言語の壁が薄くなったような、ちょっと嬉しい誤算だった。

結局目当てのバスは来ないから、タクシーでベラトまで向かう

午後になると早々に都市間を移動するバスはなくなってしまった、とのことでベラト行きのバスを探して東奔西走した結果は徒労に終わってしまった。

バスターミナルの人に聞いても、ベラト行きのバスは今日はもう終わってしまって、明日の朝にならないと来ないという。

それでもベラトにいきたきゃ、ヒッチハイクするしかないね。」と言われて愕然とした。

すごい展開になってきたぞ…

そんな私を見かねて、

しつこく「タクシー、タクシー?タクシィィイイイー!!!」と後をつけてくる運転手のおじさんがいた。

残念ながら、私は都市間をタクシーで移動するほどの身分ではないんだよ、と最初はやんわりと断っていたけど、断っても断っても後をついて回るタクシーおじのしつこさったら、ものすごい。逆にこのバイタイティの強さから学ぶことはないかしら?と、思考をスイッチさせて観察でもしなければやり切れないほどの推しの強さと圧を同時に感じた。

今日のバスはもうないらしい。

それでも、なんか簡単には諦めたくなくて公道に出て止まってくれる車がないか粘ってみた。

来るバス、ミニバン乗せてもらえる隙があるかもと感じれば、めいっぱい声を張り上げて「ベラト!!ベラト!!!」と叫んで一台でもいいから捕まるか試してみた。

全く方面が違うからという意味で手を振りながら「ノー」を突きつけられるたび、

しばらくして自分がやろうとしていることがあまりにも現実的ではないことを思い知った。おそらく彼らは同じ方面であれば乗せてくれたに違いない。(アルバニア人の陽気な人柄の良さからは、そんな余裕を感じる)

それでトボトボ元のターミナルに戻ろうとする私に例のタクシーおじがすかさず声をかけてきた。

彼は私の表情からもう万事尽くしてなす術なし、ということを悟ったのだろう。この時、初めて諦めて渋々タクシーで向かう決断をした。

タクシーで向かうしかないか。悔しいけど、それしか選択肢はないと思えた。

無駄が嫌いな性格が仇となり、以後の旅程にバッファを持たせていなかったので、一日到着が遅れると以後のスケジュールがほぼ全てなし崩しになる、それだけは避けたいという理由で仕方なくタクシーを使うことにした。

どうせ、本日の宿代を払って明日のバスを待っても同じくらいはかかる。
それ以上に、後々のスケジュールが狂うことの方がもっと嫌だった。

当時、私の手持ちの現金は雀の涙ほどしかなく、現地通貨でタクシー代を払える余裕などなかった。

アルバニアは、現金社会。クレジットカードは使えないのだ。

それで聞いてみた。

カナダドルは使える?🇨🇦

カナダ留学時代の現金がいくらか余っていて、旅に出るたびに少しずつ持ってきているのだ。

最初その提案に「???」みたいな顔をされたけど、私がドルもユーロも持っていないことを知ると、向こうもせっかく捕まえた獲物をここで逃すまい、と少々考えて渋々OKしてくれた。

ちょっと複雑な気分だった。

ワイルドスピードとマリオカートが合わさったような世界線

ワイルドスピードとマリオカートが合わさったような乗り心地で2時間ほどかけてベラトを目指した。

道中、余計なところへ行かれないように私の目は基本的に手元の開きっぱなしにしたGoogleマップを凝視していた。

途中タクシーおじは、知り合いの、知り合いの、知り合い?に会うたび、大きな声を張り上げて挨拶して愛想を振り撒いていた。タクシーおじはどうやら、この辺りでは有名な人物らしい。

こちらの人は、とにかく声がデカい。

それは誇張表現でもなんでもなく、毎度心臓がビクンッと止まるかと思うほどの声量で会話をするのだ。

この習慣?だけはバルカン半島を旅して、最後まで慣れなかったことのひとつ。あとレストランでも公共のエリアでもどこでも構わず喫煙することも、な。

ベラトへ向かう道中、天気の話やこの辺りの山の話、車窓に映る限りのものをアルバニア語ではこういうんだ!ところで日本語ではなんていう?という海外で言語が通じ合わない者同士のお決まりのつまらない流れになった。

タクシーおじは簡単な英語でさえも喋れないから、どうしたって雰囲気で進む会話の域を出ない。

アルバニア語と日本語のボディランゲージエクスチェンジは予想以上に長引いて、私のhpはみるみる減っていった…。お願いだから、お願いだから落ち着いて静かにくつろがせてくれ、、という言葉を言いたかったが、アルバニア語でなんていうのか分からなかった(涙

ようやくベラトに着いた頃には、すっかり日が沈んでいた。なんとかこの日のうちに辿り着けただけでもありがたいと思うしかないのだが。

別れ際、タクシーおじから請求された金額が交渉時の価格より高かったが、おかしいと交渉する気力も残っておらず、もうこれ以上余計なトラブルは勘弁してくれ、と思い、自らに「これは高額なチップだ」と言い聞かせて、追加で請求された分もあっさりと払った。

カナダドルを両替してほしい、などと面倒なお願いを頼み込んだのはこちらだったから、というのもある。時には折れるのも大事。特にがんこなわたしにとっては旅中の修行の一貫のようなもの。

ベラトに着くやいな、その日のhpが限りなく0に近くなっていたわたしにとって、数百、数千円の違いなどもう誤差だ、と思った。

hpが限りなく0に近づいている時に撮った写真(ボケてる・・・)

ばあばのカモミールティー

暮れなずむベラト、美しい

タクシーから降りて、今晩のホステルを目指した。

そこには、やさしい笑顔のおばあちゃんが待っていてくれた。

「よく来たね、待っていたよ。Kaho」とわたしのことを歓迎してくれて、石畳の階段をわたしの重たい荷物を持って運ぶのを手伝ってくれた。

2段ベットが4つ並んだドミトリーの部屋に案内されて、「荷物を置いたらこっちへおいで」と共用のリビングのような場所へと手招きされた。

「トルコ式コーヒー飲む?」と笑顔で聞かれて、晩ご飯前だったから「ティーが飲みたいな」と遠慮がちにお願いすると、ギュゥッって力一杯抱きしめてくれて私の身体の一部にキスして、ちょっと待ってて。今とっておきの淹れてあげるからね、って屈託のない笑顔で笑って言った。

愛に溢れたおばあちゃん。

アルバニアが大好きになる…。

しばらくして、天然のカモミールを干したのを煎じたカモミールティーを振る舞ってくれた。

そこから、ふかふかの大きなソファに座って、どちらからともなくお喋りを始めた。

はじめて来たはずの場所なのに、どこか懐かしい…。なんでだろう、すっごく不思議な気持ち。

このおばあちゃんのこと、わたしは以前から知っていたかのように打ち解けられる。確認などしなくたって、相手も同じようなことを思っているんだろう、ということは人懐っこい表情や大事にしてくれているんだという言葉尻から窺えた。

わぁ…大変だったけど来てよかった。すでにわたしはそんな思いを巡らせた。

ようやく晩御飯

ちょうど晩ご飯の時間だったので近所を散策しがてら、吸い寄せられるように一軒のレストランに入ってみた。

朝から、これだけ色々なことがあったんだから、晩ご飯くらい好きなもん食べんとやってられん・・・(唐突に関西弁)と一日の終わりに自らの胃袋を満たしつつ、自分を労う。

ソロ旅の本質って、どれだけ自分の機嫌を損ねないかゲームだなって、痛感する。

だから、旅人はみんな自分の機嫌をとる術を知っていて、もちろんその魔法を使うのも上手。わたしの魔法は、ローカル飯とワイン。

奥からピーマンにお米を詰めたような料理とヨーグルトの野菜煮込みというか、野菜のヨーグルト煮込み。
たまたま入ったローカルレストランだったけど、これがめちゃくちゃヒット。
懐かしい雰囲気
晩御飯の後に、クレープだって食べちゃったもんね。
明日体重計に乗るのやだやだ(そんなもんないけど)

ホステルに帰宅すると、リビングのソファでばあばが家族のような人たちとテレビ電話をしていた。

わたしの存在に気づくとテレビ電話を終わらせて、

「Kahoはティーがいいのよね」って何も言っていないのに、またお茶を淹れてくれて一緒にお喋りをした。

今夜のお客さんは私の他には男の子ばっかりだったこともあったんだろう。

ばあばはわたしのことを特別に大切に可愛がってくれた。

ドミトリーの部屋は、私以外全員男の子。

以前の私ならそんな場所に泊まるなんて考えられなかったこと。だから、ある意味、とっても不思議なご縁。

ちなみにわたしの下の段のベッドで寝ていた男の子は、カリフォルニアのディズニーランドのバックオフィスで働いていて今休暇中と言っていた。明日は、ジロカストラという石の街に行くらしい。

刹那的だけど、ホステルに泊まるといろんな出会いがあって、たまにはドミトリーというのも悪くないと思えたのが、この旅の収穫。

素材を生かしたというか、丸ごといただくスタイルの朝食(笑)

昨晩は野郎ばっかりのドミトリーでもぐっすり眠ってしまった…。本当にどこでも寝れるスキルがあると強い。

早起きすると、すでにばあばは起きていて、わたしのために朝食をつくってくれた。

素材を生かしたというか、丸ごといただくスタイルの朝食で驚いた(というか笑った)

ここもトルコの食文化に大きく影響を受けているせいか、朝食はトルコスタイルに近い。おそらく、ばあば手づくりの木の実のジャムとカッテージチーズのようなものをパンに載せていただくとトルコで食べたそれを思い出して懐かしくなった。

生のキュウリはあまり得意じゃないので、ばあばの目をぬすんでこっそり残した(ばあば、ごめんw)

そして今朝も変わらず、カモミールティーを淹れてくれていた。

千の窓の街、歩いてみた

朝食後、千の窓の街を散策してみた。

朝の澄んだ空気に包まれて、余計に美しさが際立っていた。

なんて、すごい場所なんだろう。

圧巻。
1000Windows
絵はがきの世界
仲間発見(?)
ジブリの世界
のどか

散策しながらも、ちょくちょく宿に戻って顔を出すたび洗濯物を干しているばあばが「Kaho〜」とわたしの名前を呼んで人懐っこい笑顔を向けて手を振ってくれた。

あ〜、私今めちゃくちゃ幸せ感じてる。

世界中を旅しながら、ローカルな人と心を通わせる。

その昔、一日でも早く英語を話せるようになりたい、と留学中に部屋の壁に貼っていた目標というか夢が叶ってるじゃん、と痛感した出来事だった。

言語よりももっと大切なものがあるって、今なら思うよ。

その答えをわたしの心は知っているんだ。

何を食べても美味いんだな、アルバニア

ランチに来てみたかった、食堂?に寄ってみた。

地元の人が行くようなローカルなお店。

『Restaurant Bar Çuçi』

ここはローカルフードを手軽に食べたい旅人へ強くおすすめしたい。

この世の旨みを全て詰め込んだかのようなビーフスープ
アルバニア名物のピラフ。ライスを注文すると、なぜかいつもお肉のソースがかかって出てくる。これ本当に美味しくて、毎日これでいいじゃん!となった。
これ見よがしに野菜チャージ(モリモリ)
シナモンとザラメがかかったニンジンのムースのようなデザート。
これがまた美味しかったんだな…

たった一泊だったけれど

別れの時間が近づいてきた。

次の街へ向かうためのバスに乗らなければならない。

でも、ワガママを言えるならもう少しだけここに居たかった。

だけど、そんなワガママは叶わないことは私自身が一番よく知っていた。

さよならの代わりに笑顔でまたね、と言いたかったから、その方法をない頭で必死に考えて、ばあばの喜びそうな苺を抱えて帰った。

心を尽くしてくれたお礼に近所の八百屋さんで売られていた山盛りの苺を買って渡した。
ばあばとのツーショット(わたしが右な)

楽しかった、あなたに出会えてよかった。

心が通じ合えた相手と別れるのは、いつまで経っても慣れないな。

ねぇ、一緒に写真撮らない?とばあばを誘った。

照れながらも、一緒に写真を撮ってくれた。

ばあばのやさしい笑顔を私はこれからもきっと忘れない。

来た時と同じように、ばあばはわたしの重い荷物を運ぶのを手伝ってくれて、姿が見えなくなるまで、『Kaho〜、Kaho〜』と名前を呼んで手を振って見送ってくれた。

涙が滲む。

もう振り返れないくらいに涙が溢れてきて止まらなかった…。

有限だからこそ、人は余計にその対象を愛すのかもしれない。

もうここに来ることなんて、ミラクルでも起きない限りきっとないんだろう。

だけど、消え褪せない思い出だけはずっと心の奥底で絶やさず灯っているからね。

ありがとう、ばあば。

ありがとう、ベラト。

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【編集後記】

※本記事は、2023年3月〜4月の東欧・バルカン半島周遊時の思い出を抜粋してまとめたものです。

当時の記憶を、日記形式で簡単にでも記録しておいて本当に良かったと思う。当時の旅のメモを読み返してみて、結構忘れていることがほとんどだと気づいた。だからこそ小さな事でも記録している自分を褒めてあげたくなる。

これから旅に出られる方は、些細な思い出もどんな形でもいいから残しておかれることをおすすめします。自分しか判読できないグシャグシャのメモ書きでもいい、綺麗な言葉じゃなくて全然いい。

そのメモは、日本で辛い時、やり切れないとき、きっとあなたを支えてくれる糧になる。

かほ|旅とエッセイ。
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