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トルコのオカンと涙のお弁当。甘えることが苦手な私がトルコのオカンの懐にとことん甘えさせてもらった日。

2022年、9月。

まだ世間がコロナ禍真っ最中に、私は3週間トルコを旅した。

一緒に仕事をするビジネスパートナーに、

「日本に居てたら息できなくなってしまったので、ちょっと海外行ってきます…!!!」

と自粛期間にすっかり情緒不安定になったメンタルで、泣きながら一方的に伝えられた彼はさぞ迷惑だったことだろうw

この場を借りて、お詫び申し上げたい。

日本不適合者の私は、自身が生きづらさややり切れなさを感じるたび、突如日本を飛び出す。

世の中の不条理に直面するたび、まるで海外へ飛び出すことがこの世と自分の心とのバランスをとりながら生き抜く上で欠かせないTipsかのように。

誰に許しを乞う訳でもなく、処世術であるかのようにワガママを存分に行使してこの歳まできた。

今日は数あるエピソードの中から、トルコで出会ったオカンの神対応が私の心をうったので、その時の話をさせてほしい。

夜行バスに乗ってカッパドキアを目指す

その日私は、深夜1時にエイルディル湖という場所から、バスで7時間ほどかけて気球で有名なカッパドキアまで移動する日だった。

日が暮れてから無事にバスに乗るまでの時間をどう凌ごうか考えながら、今にも死にかけそうなスマホの充電とネット回線を探し求めて、とにかくWifiとコンセントがあるところへと近くのカフェへ流れ着いた。

入店するやいなや、店主に「何時に閉まるのか?」と尋ねてみた。

あと1時間後くらいだと言う。

「21時か…」

今晩は何がなんでも深夜1時までは身の安全を確保しながらも過ごさねばならない。

あまり長居はできなさそうだけど、間もなく電池切れで死にかけているデジタルデバイスを少しでも蓄電しておきたかったので、四の五の場所を選ばずカフェを仮の棲家にすることにした。

21時以降のことは、また考えよう。

特段お腹は減っていないし、

「とりあえずチャイで。」と

トルコに来て以来すっかりお馴染みになったチャイを注文して着席することにした。

閉店間際だからか、20席以上ははあろうかと思しき広々とした店内にお客さんは私だけ…。

「何だか申し訳ないなぁ…」

と思っていると、すぐさま温かいチャイが運ばれてきた。

そこからこんな時間に一人でいる私に興味を持った店主と、一歩も譲らぬトルコ語と英語での懸命なやり取りが続いた。

「どこから来たの?」
「ジャポンヤ(日本)」

僅かに覚えたトルコ語の単語をここぞとばかりにお披露目する私。

「これからどうするの?」
「バスでカッパドキアに行く」

僅かながらも知っている単語を交えて話すとやはり嬉しいのか、トルコ人というのは、こちらがトルコ語を理解していないであろうこともお構いなしに、トルコ語で話し続ける傾向にある……

ポカーンとしつつも、なんとなくノリで会話が進んでいく。

「何時のバスに乗るの?」
「深夜1時。」

「バスが来るまではどうするつもり?」
「特に決めてないので適当に過ごすつもり
(と強がった)


などGoogle翻訳におんぶに抱っこで、ひとしきり話した後、

注文したチャイのおかわりや頼んでいない軽食まで持ってきてくれた。

ホテルのラウンジでもないのに、なんという手厚いサービスだ……

(奥から)チャイ、薄いパイ生地の中にひき肉やチーズが入ったトルコの軽食「ブレク」
たまに食べたくなるおかずパンのような懐かしい味。

おもむろに外出して行った店主…。

しばらくして戻ってきたかと思うと、

この辺りの店は、大体21時以降はどこも閉まる、ということをわざわざ伝えにきてくれた。

“親切に教えてくれてありがとう。”

それなら仕方がない。9月と言えど、風がビュンビュン吹いて寒いエイルディルの湖畔で出来る限り暖をとりながら、深夜1時のバスが来るまで待つことにするか。

と自分を納得させながら、Google翻訳を介して店主に伝えた。

すると、

また再び出ていった店主。

なんと数軒隣りのホテルのロビーでバスが来る時間まで身の安全を確保しながら休めるように話しをつけてきてくれたというのだ。

想像していない展開に驚きながらも、なんて面倒見がいいんだろう。まるでオカンみたいだな、と感心した。

そうこう言っているうちに、約束の閉店時間が迫ってきていた。

帰り際にチップをいくらかのせてチャイと軽食のお代を払おうとしたら、

「いらないから✋」

と全力で制して一向に受け取ってもらうことが叶わなかった。

「そんなことよりも早くホテルのロビーに行くよっ!」っと私の重い荷物をずるずると引きずりながら、ホテルまで先導してくれた。

ホテルに着くやいな、

別れ際に、

ハイ、これ。バスの中で食べな。

と言って、

オカンのお弁当

極めつけには夜行バスで食べるお弁当まで持たせてくれた…。

一体全体どうなってるんだ……

もしかして、さっき鼻歌歌いながらキッチンで作っていたのは、私のお弁当だったってこと・・・???!

イスラム圏であるトルコには、「旅人は助けよ」という教えがあるというのは渡航前に聞いていたが、見ず知らずの旅行者にこんなことまでしてくれるなんて。

助けてもらうことを当たり前と思ったことも、何かをしてくれることを期待していた訳ではもちろんなかったが、

田舎は壊滅的に英語が通じない不便さはあるものの、人の温かさに触れられる瞬間が本当に多い。

エイルディル湖に着いた初日には、道端で売られている桃をもらったり、

美味しそうな桃が売られていて買おうとしたら、
どうぞ、どうぞ。持ってって。と屈託のない笑顔でくれた。

「チャイ飲んでいかないか?」などと何度もお声がけしてもらったり、

極めつけには軽食やお弁当までもらってしまうことになった…。

こんな体験は他のどの国でもしたことがない、と驚くことばかりである。

一人旅って人に助けてもらってばっかじゃん、とあらためて胸がいっぱいになった。

オカンのおかげで風の強い湖畔で野宿せずに済んだし、暖かい場所で休めるように、と話をつけてきてもらったホテルのロビーのソファに贅沢にも腰掛けて深夜1時近くまでバスを待つことができた。

さぁ、ここからバスに乗るまでがまたひと勝負。

こんな深夜に本当にバスは来るのか、と心配に思っていたところ、バスは定刻にキッチリ来た。

海外と言えど、トルコのバスはいつも大抵オンタイムだからすごい。

オカンとのGoogle翻訳を使った最後のやり取りには、

“Take care(お気をつけて)”

と書いてあった。

私はその場でわんわん泣きそうになるのを必死でこらえた。

ずるいよ…。

今日会って、今日さよならしたら、もう何もお返しできないじゃんか。と込み上げてくる気持ちを抑えるのに必死だった。

旅人に手を差し伸べてくれるやさしい人たちの誰もが見返りなど望んでいないんだろう、とは思う。

しかしこういう時、現地の言葉を

「ありがとう」と「こんにちは」しか知らない

私はお礼の言葉のバラエティに欠ける。

渾身の「ありがとう」と言うのが精一杯で、拙くてもどかしい。

甘えることが苦手な自分が少しだけ、いやかなり懐に飛び込ませてもらった日だった。

甘えたっていいじゃない。

ひとりで何でもできてしまうスーパーマンになることだけが正義じゃないよ。

そんな学びをトルコへの旅で深くしたような気がした。

ありがとう、オカン。

この恩は、決して忘れないから。

ちなみに、トルコのオカンの正体は、オカン以上にオカンな面倒見のいいオジサンである。

外見はどう見てもオジサンなのだが、迷える旅人を救おうと動いてくれる正義感ときめ細やかなサービス提供をしてくれるところは控えめにいってもオカン以上に、オカンという言葉がピッタリだと思う。

おしまい。

かほ|旅とエッセイ。
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