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団塊の世代〜さとり世代の「主人公」

『ブレイブ -群青戦記-』(2021年)が面白かった。

スポーツエリート校の高校生たちが、タイムスリップした戦国時代で、戦国武将と戦いを繰り広げるストーリーの作品だ。

スポーツエリート校の各部活、剣道や弓道、空手といった格闘系部活の他、アメフト部や野球部も、それぞれの特技を活かして戦国武将に戦いを挑む。

所謂ツッコミどころ満載ではあった。しかし、このようなSF映画に対して、やれ時代考証がおかしい、やれ設定がおかしいなどと言っても意味がない。そのようなツッコミをいちいち入れて批判するのは、貧しい映画鑑賞だと思う。

アメフト部が侍たちに突っ込んでいく戦いや、野球部が剛速球で侍たちを気絶させる荒唐無稽ぷりを楽しめばいい。だから、『ブレイブ -群青戦記-』は面白かった。

また、『ブレイブ -群青戦記-』を観て感じたのは、現代の高校生の”世代"だった。

『ブレイブ 群青戦記』の主人公は、性格は暗い。リーダーシップを発揮するわけでもない。弓道も剣道もそれなりの強さがある。しかし、格別強いというわけでもない。また、性格は暗いが友人たちがいる。恋人のような存在もいる。ちゃんとチームには馴染んでいる。

このような主人公を観て、自分が高校生の頃だったら、このような主人公にはならなかっただろうなと感じた。そして、時代を象徴するような作品であればあるほど、主人公は、その”世代”を象徴する存在でもあると感じる。

それは、どういうことか。

団塊の世代

例えば、団塊の世代が『ブレイブ 群青戦記』の高校生だとしたら…を考えてみる。

主人公は、侍たちとの戦いに秀でている剣道部のキャプテン。全国優勝したような強者である。そして、リーダーシップがある。勉強の成績もいい。情に熱く、熱血漢。戦いの先に明るい未来を思い描く、そんな主人公になるのではないかと思う。

団塊の世代の主人公イメージ

団塊の世代は『キューポラのある街』世代

団塊の世代は、1947年~1949年生まれの世代を指す。

彼らは青年期、60年代の学生運動の主役となった。政治活動に熱心で、リーダーは先頭に立って演説、時にデモを行い警察との衝突を繰り広げた。また、戦後の貧しい社会が、高度経済成長によって、日に日に豊かになっていく変化を体験してきた世代でもある。つまり、明るい未来を感じた世代といえる。

団塊の世代を考えた時、思い浮かぶのは『キューポラのある街』(1962年)である。

『キューポラのある街』の吉永小百合演じる中学生ジュンは、様々な困難に見舞われる。職人の父が解雇され困窮となる。やんちゃな弟は泥棒稼業に手を出す。自らは高校進学を目指したものの、それも貧しさのため困難となる。

それでもジュンは、明るい。打ちひしがれることもあるが、それでも、立ち直る。そしてラストも、明るい未来へ向かって進むジュンの姿が描かれる。

頑張れば頑張った分だけ報われる。未来は明るい。『キューポラのある街』は、団塊の世代を象徴するような作品だと感じる。

『ブレイブ 群青戦記-』が、団塊の世代の世代の高校生だったら。リーダーシップを発揮するエネルギッシュな主人公になると感じる所以だ。

しらけ世代

団塊の世代の次にあたる、しらけ世代だったらどうなるだろうか。

しらけ世代が『ブレイブ 群青戦記-』の高校生だったら、何においても熱くならずに、クールな男が主人公となるかもしれない。

戦国時代にタイムスリップした事実に対しても、冷静沈着。どこか冷めている。自らがリーダーシップを取ろうとするわけではない。しかし、チームにはちゃんと所属し、無難に自分の役割を全うする。

主人公は化学部など文化部の生徒。体育会系の生徒が戦国武将に敗れそうところで…ドカンと、一人黙々と作っていた巨大爆弾で敵を倒す。そんな姿が描かれたかもしれない。

しらけ世代の主人公イメージ

しらけ世代は『太陽を盗んだ男』世代

しらけ世代は、1950年代~1960年代前半に生まれた世代を指し(しらけ世代の範囲については別の主張もある)、世相に対して関心が薄いとされる世代である。

世の中は、団塊の世代が主役となった学生運動が沈静化。オイルショックで高度成長もストップ。しかし、貧しい社会ではなく、一定の豊かさを感じることができた世代といえる。組織においては、無難に自分の役割を行う。また、自身が興味のあることには滅法強い。しらけ世代は、サブカル文化を生んだ世代でもある。

このしらけ世代を象徴するような映画が、『太陽を盗んだ男』である。

沢田研二演じる中学校の理科教師が、一人黙々と作る原爆で日本政府を脅迫する、しらけ世代を感じる話だ。

バブル世代

バブル世代は、1965年~1970年頃に生まれた世代を指す。青年期にバブル(1985年~1990年頃)を体験した世代だ。

バブル世代の主人公は、コミュニケーション能力が高く、チームの中心となる男だろう。頭もいい。お洒落でハンサム。さらに高身長。「彼って何でも出来ちゃうのよね」と女子から言われる。そんな”イカしてる”男が、主人公として描かれるのではないだろうか。

バブル世代の主人公イメージ

バブル世代は『トップガン』世代

バブル世代は、バブルの好景気を背景に、派手で高級志向。消費欲も旺盛な世代とされる。

バブル世代を象徴する作品といえば、『トップガン』(1986年)だろう。『愛と青春の旅だち』(1982年)でもよいかもしれない。

『トップガン』のトム・クルーズも、『愛と青春の旅だち』のリチャード・ギアも、問答無用で格好いい。「彼って何でも出来ちゃうのよね」な男である。困難に見舞われても、その困難に対峙する姿まで格好いい。そして、ちゃんと困難に打ち勝っていく。

氷河期世代

1970年頃~1980年代前半に生まれ、バブル崩壊とそれに伴う就職難を体験した世代である。

バブルに沸いた社会が一転、不景気に見舞われ、社会は暗い。銀行や大企業の倒産も相次ぎ、未来が不透明。閉塞感漂う社会を生きた世代といえる。

そんな氷河期世代の主人公は、社会に群れず、所謂一匹狼、もしくは孤高の人が主人公となるのではないだろうか。

氷河期世代の主人公イメージ

氷河期世代は『トレイン・スポッティング』世代

氷河期世代を代表する映画といえば、『トレイン・スポッティング』(1996年)が思い浮かぶ。舞台となるスコットランドも不況真っ只中である。若者たちは就職もせず、ヘロインに逃げていく。そんな生活を変えようとするが、やはりヘロインの誘惑に勝てない。

閉塞感のある社会。将来への不安。現実逃避。変わらなければという焦り。『トレイン・スポッティング』の主人公たちは、国は違えど氷河期世代を感じる。

そんな主人公が、変わるきっかけとなるのは、仲間たちとの別れであり、それはつまり、仲間と群れないということだった。

氷河期世代が青年期を過ごした90年代、象徴的なスターといえるのが、野茂英雄と中田英寿と感じる。二人とも、野球選手とサッカー選手の海外進出のパイオニアである。また、二人とも、実力は折り紙付き、そして、群れない孤高の男、そんな存在だった。

氷河期世代は、社会や組織に群れるのでなく、「個性」を重視された世代といえる。「自分探し」「自分がやりたいこと」がキャッチフレーズの世代だ。

そんな世代の主人公はやはり、孤高の存在となるだろう。

プレッシャー世代

プレッシャー世代は、1982年~1987年生まれの世代を指す。

プレッシャー世代の主人公は、リーダーというより、頭脳明晰、計画性があり、敵を倒す計画を立案・実行する参謀役の人物が務めるかもしれない。

プレッシャー世代の主人公イメージ

プレッシャー世代は『サマーウォーズ』世代

プレッシャー世代は、自分の親がバブルの狂乱後、不景気に苦しむ姿を見てきており、そのため計画性があって現実的である。組織においても、着実に結果を出す優秀な世代といわれる。

プレッシャー世代を感じるのは、『サマーウォーズ』(2010年)である。

主人公は、内気な高校生。他人の大家族の中にあっても、和を乱すことなく、訪れる危機に対しても協力して行動する。さらに、数学の天才で、最終的には地球の危機を救うヒーローとなる。

『サマーウォーズ』は日本の世代の縮図

また、『サマーウォーズ』で描かれる大家族は、日本の各世代のキャラクターが揃っており、日本の世代の縮図のようにも感じる。

作品内におけるキャラクター年齢は、世代の対象年齢と異なる部分もあるが、各世代を象徴するようなキャラクターが揃っている。例えば以下のような具合だ。

陣内万助(団塊の世代)
漁師で少林寺拳法の達人、熱血漢で、何かと大声でリーダーシップを取ろうとする。

陣内理一(しらけ世代)
陸上自衛隊員。クールで仕事について明かさず謎めいた存在。陣内万助が大声で喚いている時、自衛隊車両による電力を提供し、救世主となる。

三輪直美(バブル世代)
陣内万助の娘で派手な美人。サバサバとした性格で、時に的を得たキツい台詞を吐く。

陣内侘助(氷河期世代)
家族と10年以上音信不通。しかし実はアメリカで人工知能の研究を行う天才。チームに群れず孤高の存在、まさに氷河期世代である。

さとり世代

『ブレイブ -群青戦記-』の主人公たちは、さとり世代の高校生となる。

さとり世代の主人公をイメージするなら下記のようになる。

さとり世代の主人公イメージ

さとり世代は、1987年~2004年生まれの世代を指し、ゆとり教育を受けたゆとり世代も含まれる。

さとり世代は欲が薄く、バブル世代のような高級志向もない。仕事よりプライベート優先。堅実的な生き方を求める世代といえる。

そしてまた、さとり世代は、生まれた時からインターネットに触れてきた世代でもある。努力せずとも検索一発で答えがわかる。努力より合理性を求める世代である。

さらに、インターネットがもたらした「情報爆発」により、大量の情報を浴びてきた世代でもある。

それまで、マスメディアが主要な情報伝達であり、「全員が同じ情報を知り、同じ考えを持つ」社会とは異なる。大量の情報の中から、自分にとって必要な情報を取捨選択する。幼少期からインターネットに触れ、その取捨選択方法にも長けている。

このように、インターネットと情報爆発によって、それまでの「個性の時代」から「多様性の時代」へと変化していった。

皆と同じ趣味や考えを持つ必要もない。皆の中心である必要もない。皆を引っ張るリーダーである必要もない。しかし、一匹狼になる必要はなく、SNSで皆とちゃんとつながっている。

『ブレイブ -群青戦記-』に描かれた主人公である。

まとめ

『ブレイブ -群青戦記-』をきっかけに、日本の各世代における主人公像を考えた。

あらためて、映画は時代を映すものだと感じる。映画で描かれる主人公は、その時代にとって格好いい存在であり、だからこそ、主人公はその時代の憧れとなる(勿論、全ての映画がそうだとは言わない)。

時に古い映画を観ると、その映画のストーリーだけでなく、映画が作られた時代を感じ、現代との違いを感じ、自分が生きてきた時代との違いを感じる。

映画は、時代そのものを感じさせてくれる創造物でもある。

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