光に満ち、愛とともにありますように

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認定NPO法人PIECESの継続寄付者(PIECESメイト)になった3つの理由

つい先日、認定NPO法人PIECESの継続寄付者(PIECESメイト)になりました。 PIECESは、虐待や貧困、不登校といった、様々な問題の背景にある「子どもの孤立」を防ぐために、専門家とは異なる市民性を醸成し、子どもたちの生きる地域に「優しい間」を増やすことを目的として活動しています。 この投稿では、僕がPIECESの継続寄付者(PIECESメイト)になった理由を3つ書き残したいと思います。 ①孤立が生み出す様々な問題を他人事だとは思えなかったからおそらく僕自身も、

    • 孤独感は仏道修行を妨げるのではないか

      悟りというゴールだけに目を向けるのであれば、人との関わりは必要ないのかもしれません。 実際に「犀の経典」という古い経典では、子どもや伴侶を欲することは否定されていますし、人と関わることの弊害もたくさん謳われています。それぞれの偈の最後では、「犀の角のようにただ独り歩め」というフレーズが繰り返されます。 しかし僕自身は、適度に人と関わった方が、かえって仏道修行が進み、悟りに近づくのではないかと感じています。 そう感じる理由はいくつかありますが、そのうちの一つが、一人で仏道

      • 比べる心が人を孤独にする

        皆さんは、親しいと思える人と一緒に毎日を楽しく過ごしているでしょうか? それとも親しいと思える人がいなくて、毎日に孤独を感じているでしょうか? もし孤独を感じているのであれば、仏教で言うところの慢が強いのかもしれません。 慢とは、自分と他者を比較する心のことです。 慢には大きく分けると3種類あります。 一つ目は高慢です。 高慢とは、自分は他者より優れていると感じる心のことです。 二つ目は同等慢です。 同等慢とは、自分と他者は同等であると思う心のことです。(同等と平等

        • 『今このとき、すばらしいこのとき』

          過去のnoteでも何度か引用しているティク・ナット・ハンの著書『今このとき、すばらしいこのとき』をご紹介します。 昨年読んだ本の中で1番といっても過言ではないくらい大好きな本ので、興味のある方はぜひ記事に目を通してみてください。 ティク・ナット・ハン著『今このとき、すばらしいこのとき』とは『今このとき、すばらしいこのとき』は、 日常生活の中で唱えられるガーター(偈頌)を、全部で79個掲載している本です。 それぞれのガーターには簡単な解説も載っているので、仏教について勉強

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          生命の平等性を観察する

          いのちの本質はみんな同じです。 みんな同じように、 心と体を持っています。 みんな同じように、 息を吸って吐いています。 みんな同じように、 年を取り、病気になり、やがて死にます。 みんな同じように、 様々な苦しみを抱えています。 みんな同じように、 「幸せになりたい」と願っています。 どんな人の心にも、 欲、怒り、無智、憎しみ、恨み、嫉妬、恐れ、悲しみ、焦り、不安、緊張、慢といったネガティブな種が眠っています。 どんな人の心にも、 幸せ、喜び、慈しみ、憐れみ、

          生命の平等性を観察する

          外見への執着を手放す

          自分の外見に執着すると、 人生は苦しみに満ちたものになります。 理想の外見を手に入れられなければ、 自分に自信を持てません。 「なんて醜いのだろう…」 「こんな自分、大嫌い!」 と自分自身を嫌悪して、怒りのエネルギーを溜め込みます。 怒りには、その人自身の心を苦しめる性質があるので、人生は瞬く間に悪い方へ、暗い方へと回転していきます。 外見への執着が度を越し、怒りを溜めすぎると、摂食障害にかかったり、身体醜形障害にかかったりしてしまうのでしょう。 また外見に執着すると

          外見への執着を手放す

          摂食障害で辛い思いをされている方へ

          僕も皆さまと同じように、 高校2年生の頃から大学を卒業してしばらくの間、摂食障害(非嘔吐過食症)にかかり、 言葉にできないほどの苦しみを経験しました。 家の周りのコンビニを4、5軒はしごし、 一度に大量の食べ物を詰め込んでしまうのです。 食欲をコントロールできない自分を、何度も何度も責めました。 過食してぶくぶく太る自分のことが大嫌いでした。 太るのが嫌で嫌で仕方なくて、 無理に絶食したり、2時間くらいジョギングをしたりしたこともあります。 高校生の頃には、過食に時間

          摂食障害で辛い思いをされている方へ

          空に浮かぶいのち

          雲は、姿形を変えて雨となり、 大地に降り注ぐ。 大地に降り注いだ雨は、 穀物や果実を育て、 いのちをつなぐ。 木々を育て、 酸素を生み出し、 いのちをつなぐ。 姿形を変え、 飲み水となり、 いのちをつなぐ。 空を見上げ、雲を眺めると、 まるで私のいのちが、 ぷかぷかと浮かんでいるかのよう。 私のいのちが、肉体の外側に 広がっているかのよう。 空を見上げ、雲を眺めると、 まるで生きとし生けるものが、 ぷかぷかと浮かんでいるかのよう。 生きとし生けるものが、遥か彼方から

          空に浮かぶいのち

          自然をこの手で守れますように

          私たち人間のいのちや生活は、 大地や水、太陽、空気、森、植物、人間以外の生命といった、自然に依存して成り立っています。 大地に雨が降り注ぎ、太陽の光が照りつけなければ、木々は育たず、いのちに必要な空気を吸うことはできません。 食べ物は育たず、いのちに必要な体を作ることはできません。 支えてくれる大地がなければ、 日々の営みもありませんし、水がなければ、 いのちを維持することもできません。 木々が育たなければ、 紙や割り箸を使うこともできません。 植物が育たなければ、服

          自然をこの手で守れますように

          自然がもたらす喜びと幸せ

          日常生活の様々な場面で、 自然と自分とのつながりを深く見つめるようになってから、喜びや幸せを感じる瞬間が増えたてきたように感じます。 自然と自分とのつながりを深く見つめるというのは、たとえば体を洗うとき、体の中に、 体を作った野菜や果物、それらを育てた大地、水、太陽、空気を見出すこと。 紙を使うとき、紙の中に、 原料となった木や、木を育てた大地、水、太陽、空気を見出すこと。 服を着るとき、服の中に、 原料となった植物や、植物を育てた大地、水、太陽、空気を見出すこと…

          自然がもたらす喜びと幸せ

          日常生活の中で慈悲喜捨を育てる

          今年の3月頃に、ティク・ナット・ハンの 『今このとき、すばらしいこのとき』(後述) という本に出会いました。 元々毎日慈悲の瞑想を実践し、 慈悲喜捨を育てることに努めていましたが、 本書を読んでからは、 日常生活の中でも慈悲喜捨を育てられるよう 強く意識するようになりました。 日常生活の一瞬一瞬に、 慈悲喜捨を育てるチャンスが眠っていたのです。 たとえば服を着るとき、 服に困っている人たちの苦しみがなくなるのを願いながら、体の動きに注意して、服を着る。 食べ物を食べる

          日常生活の中で慈悲喜捨を育てる

          書く瞑想で自分を見つめる

          このnoteでは、僕が5年以上実践している 書く瞑想についてご紹介します。 書く瞑想のやり方瞑想と聞くと「難しいのでは?」 と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、 やり方はとても簡単です。 ①話題を決める まずは話題を決めます。 ・「今感じている感情は…」 ・「私の大切な価値観は…」 ・「私は今日…」 ・「5年後の自分は…」 などなど、どんな話題でも構いません。 ご自身が書きたいと思った内容を 自由に選んでください。 ②話題に続けて、頭に浮かんできたことをその

          書く瞑想で自分を見つめる

          内なる喜びと幸せの種に気づき、育てる

          最近は心の状態が悪い方に転がり、 食に走ってしまう日が続いていました。 そんな苦しい状況のなか、 強く思ったことがあります。 それは、内なる喜びと幸せの種に気づき、 育てることが、生きるうえでとても大切だということです。 内なる喜びと幸せ内なる喜びと幸せの種に気づくというのは、 たとえば、無数の生命や自然が届けてくれた食べ物に幸せを感じること。 自然の中で、豊かな緑や花に触れ、癒しを感じること。鳥の鳴き声や、川のせせらぎに癒しを感じること。夜空に浮かぶ雲や月に癒しを感

          内なる喜びと幸せの種に気づき、育てる

          マインドフルに、感謝して食べられますように

          食べ物を食べられるのは、 当たり前のことではありません。 奇跡的で、幸せなことです。 大地や水、太陽、空気などの自然のエネルギー、無数の生命の協力がなければ、食べ物を食べることはできません。 生まれた場所が違うだけで、貧困に苦しみ、 食べものにありつけない子どもたちもいるでしょう。 動物の世界では、食べ物を得るために、 死に物狂いで他の生命と争わなければなりません。弱肉強食の世界です。 何の問題もなく食べ物を食べられるのは、 当たり前のことではなく、奇跡的で、 幸せな

          マインドフルに、感謝して食べられますように

          仏道との出会いに感謝

          僕が瞑想に出会い、仏道に出会ったのは、 どうしようもない生きづらさを抱えていた数年前のことです。 様々な仏教書を読み、 生命の心は貪瞋痴で汚れていること、 それらが人生に大きな苦しみをもたらしていることを理解しました。 僕自身の人生も、例外ではなかったです。 他者への憎しみや人に対する恐怖、 外見への執着、お金に対する欲、食欲、色欲、 睡眠欲、エゴといった様々な汚れが、 人生に苦しみをもたらしていたのです。 仏道に出会い、自分の心が汚れまみれであることに気づいてからは

          仏道との出会いに感謝

          愛のある言葉を、この宇宙に

          あるきっかけで久々に仏教以外の本を読んだのですが、その本の中にこんな面白い記述がありました。 この記述は、あながち間違っていないのではないかと思います。 この宇宙では、無数の現象が相互に依存しながら絶えず生滅し、新たな無数の現象を生み出しています。 人間が6つの感覚器官(眼耳鼻舌身意)で認識できるのは、この膨大な現象のネットワークのうちの、ほんの一部にすぎません。 人間の耳では、コウモリが聞いているような超音波を聞くことはできません。 人間の感覚器官では、天界や地獄界の

          愛のある言葉を、この宇宙に