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『有頂天家族』 森見登美彦

『有頂天家族』
森見登美彦 2010年 幻冬舎文庫

森見登美彦ワールド、いつ浸っても言い回しの豊饒さに引きずり込まれる。母語を愉快にこねくり回すことにかけてこの人の右に出る者はいないと思う。
面白きことは良きことなり!

あいも変わらず舞台は京都、しかし本作にて舞台を駆けまわるは狸に天狗に人間、かと思えば尻尾の隠しきれぬ狸である。

頑固な天狗はかつての栄光と道ならぬ恋に縋りながら引きこもり、まぬけな兄弟は偽電気ブランを量産し、綿埃と見分けのつかぬ長老は安穏にぽんぽこ腹鼓を打ち、半天狗は高らかに笑いながら天狗を手にかけ狸をもてあそび、偽叡電は猫バスのごとく古都の夜を疾走する。
選挙活動もするし、蛙化現象(文字通り)もあるし、天狗のご機嫌取りもするし、正体が露呈してぷるぷるもする。
おそらく未読の方にとっては、一体なんの小説だか分かりゃしないと思う。ちなみに読後の私にも分からない。主題は何なんだ。
しかしそれは愚問である。人に色々あるように、狸にも色々あると分かればそれでよい。
そうやって洛中洛外、あってもなくてもよい騒動に満ちて世は回っている。

さてこうして読み進め、京都をうごうごする大半が狸であるといらぬ真理にたどり着く頃には愉快な森見語の海を航行している。いや優雅に船で渡れはしまい、魚になってその海で頭から波をかぶり、もみくちゃ三昧が精々か。この上なく楽しい。
面白きことは良きことなり!

不治の森見登美彦病に罹患し、あちこちの名医に匙を投げられた重症であるため、一度は遠回りな文体で綴らないと満足できない。理路整然とした文章ばかりでは栄養にならない。これもまた阿呆の血のしからしむるところである。

風が吹けばタヌキころころすっとんとん、と転がるいじらしい姿に反して、狸とは阿呆上等と悟りを開く境地に至る。事実、阿呆なすったもんだとともに夜は更け、年が暮れていく。名誉のために加えるが、狸界にも陰謀は巡り、郷愁の風も吹く。しかしまあ、毛むくじゃら綿埃の演ずる喜劇と言ってよい。
その阿呆の段には到底及ばないが、人として高層ビルに囲まれる日々であっても、阿呆の血を騒がせていたいものである。

考えれば考えるほど、面白く生きることにほどほどの情熱を燃やす人生は毛深い、いや違った、意趣深いからである。

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