【人生】 アスペルガー症候群を持って生まれるということ 〜幼少期から現在(大学入学前)までの振り返り〜
こんにちは。
初めてnoteを書くので至らぬ点は多々あると思いますが、優しい目で見ていただけるとありがたいです。
一応、私のプロフィールを少し紹介させていただければと思います。
アスペルガー持ち
現役で国公立大学の文系に合格
専攻は言語学になる予定の新大学一年生(2024/3/29)
後述もありますが、私はおそらく会社で労働できない人間ですので、一人で働きながら生きていく方法を模索中
ゲームが得意
趣味は哲学
英語は日常会話レベル、現在ロシア語とフランス語を勉強中(大学ではフランス語を第三として勉強します)
はじめに
さて、初めて書くにしてはディープな内容ですが、本日はアスペルガー症候群について話そうと思います。
というのも、私はアスペルガー症候群という障害を持って生まれ、様々な方にサポートしていただいた人間です。しかし、そうした人生を送る中でアスペルガーなどの障害に対して誤解をしている方が世の中にはかなり多いという事実があります。
そういった誤解を無くすとまでは言いませんが、正しい認識をする手助けになればと思い、今回のテーマを「アスペルガー症候群」にしました。(まあ、他の内容を書くには少し準備不足な面もあるので、練習として書こうと思った結果、アスペルガーに関してなら良さそうと思ったのが本音です)
幼稚園、小学校、中学校、高校、そして現在、大学生。
その成長の中で、様々な苦労をしてきました。もちろん、アスペルガー症候群が全く関係ない、誰もが経験するような苦労もしましたが、おそらく周りの人は経験していないであろう種類の苦労もしてきました。
しかし。
ここからがとても重要な点ですが、私がアスペルガー症候群という障害を持っていたからこその恩恵も数えきれないほどあります。なんなら、苦労よりも恩恵の方が多いとまで言えるほどです。
胸を張って言えますが、私はアスペルガー症候群を持って生まれて本当によかった。心からそう思っています。
アスペルガー症候群に限らず、世にある様々な障害と呼ばれる身体的、あるいは精神的特徴は、「個性」です。みんな、その「個性」を持って生まれてきたのだから、その「個性」には価値があるはずです。今回の話では、その「個性としての障害」を裏のテーマとして、語っていこうと思います。
<注意>
アスペルガーなどの障害についての私の見解は、無料版でお読みいただけます。しかし、私の人生の振り返りと、これからの人生をどうするつもりかについては有料版を購入いただかないと途中までしか読めません。基本的に、私の人生がどんなものであったかに興味がない方は買われなくて良いと思います。
ただ、
お子さんが障がい持ちの親御様
障害を持って生まれるとどういう人生を送るのか気になる方
私のように障害などによって苦労した方
これらに該当する方は、長い時間とお金をかけても読む価値があると思います。
ぜひ買っていただけたらと思います。
アスペルガー症候群(ASD)とは?
まず第一に、アスペルガー症候群とはなんなのかについて知っていただくことから始めましょう。
アスペルガー症候群とは、社会性・コミュニケーション能力・想像力・共感力などの欠如、または弱化が見られる自閉症の一種です。
また、特徴としてはこだわりの強さ・感覚過敏が見られ、言語能力や知能にはほとんど遅れが見られないことが挙げられます。
私も実際、子どもの頃は、予定が突然狂ったりすると全てのことに対してやる気がなくなってしまったり、家に帰りたくなるみたいなことは多くありましたし、興味のあることに対してとても集中するようなこだわりの強さがありました。
また、現在でもこれは改善はしていませんが、友達の気持ちが直感的にわからないんですね。
つまりはコミュニケーション能力の欠如ってことなんでしょうが、それを自分で改善するために、幼い頃の私は相手の気持ちを相手の態度や表情から読み解こうと努力することにしました。
結果、確かに相手の気持ちがわかるようになりましたが、相手の表情や態度に対して過度に反応してしまっているのか、人と話すことがとても辛くなりました。今でも人と話す時はとても疲れます。なので、極力顔を合わせての会話はしたくないですね。
「今この人はどんな気持ちなんだろうか」と想像することは、今述べた通りとても疲れますが、しかし円滑なコミュニケーションには必須ですし、なんなら癖になってしまっていて「想像しない」みたいなことができなくなってしまったという感じで、正直今はそれを直したいと思ってるんですが、まあ多分厳しいです。
しかし、その苦労の甲斐もあって小学校の学年が上がるごとに対人トラブルなどは減っていきました。また、幼い頃から相手の気持ちを想像していましたから、その能力は人一倍ありました。
だからこそ「共感能力」や「想像力」に関して、私はそこまで欠如や弱化などの問題はないのだと思います。
感覚過敏についてですが、私は「聴覚」と「視覚」と「触覚」の過敏があります。
聴覚に関しては、現在ではだいぶ改善されて、ほとんど問題なくなりました。しかし幼稚園や小学校の頃は、もうめちゃめちゃ重度で、ちょっとの話し声や、ざわざわ音を聞くだけで泣いてしまったり、騒いでいる子に「うるさい!」と怒鳴ったり、殴ったりしていました。
なので、聴覚過敏が改善されるまでは基本的に幼稚園・小学校には行きたくありませんでしたし、大嫌いでした。
でも、毎日親に無理やり連れて行かされていました。笑
親を殴って抵抗し、学校に着いてからは先生に押さえつけられて、逃げて、捕まって、をずっと繰り返してましたね。笑
まあ、それはおいといて。
眼の視覚過敏についてですが、これは現在においても改善してません。というか、視覚過敏があるって気づいたのがここ1〜2年なくらい軽度です。
でも、昔から太陽の光が苦手で、幼い頃の野外での写真を見るといつも目を細めてますし、現在も太陽の光が眩しくて外に出るのが億劫な感じです。
(最近いい感じのサングラスを買ったので、外に出ても問題なくなりました)
触覚過敏についてですが、現在ではほとんど問題ないです。
ただ、昔はよく、「肩を触られた」とか、「運動中にぶつかった」あるいは「頭を撫でられた」みたいなことがあるとすぐにイライラしてしまって、人を殴ったり、問題を起こしたりしてしまってました。
現在も、体を触られるのは好きではないですね。でも、触られたからどうってことはないです。ただ不快さが少しあるくらいですね。
あと、これは私特有なのかもしれないですけど、人の名前を覚えるのが本当に苦手です。
小学校の頃の友達なんて、一人二人くらいの名前しか覚えてません。高校は中高一貫だったので、6年間も一緒にいた仲間達なんですが、名前を忘れてしまっては思い出して、を頻繁に繰り返しています。
また、ほとんど話したことない女の子に関しては、どうしても覚えられなくて名前を知らない子もいます。ごめん。
勉強面でも苦労しました。歴史や倫理では多くの人名を覚える必要があるのに、全く覚えられないのできつかったです。まあ、共通テストでは人の名前そのものを覚える必要がないので、それは幸いでした。
ちなみに、近年ではアスペルガー症候群ではなく「自閉スペクトラム症(ASD;Autism Spectrum Disorder)」という呼び方に変わったらしいですね。私が診断された時は確か幼稚園の時だったので、約15年前なんですが、その頃は普通にアスペルガーという名前で診断されました。
アスペルガーを持つ人にはどのように接すればいい?
自閉症を持つ人に対する接し方を教えているような記事、本、あるいはテレビ番組での情報などを見たことはありますでしょうか?
確かに、私のような子供(次の章にて詳細を記載)へどのように接すれば良いのか、悩まれることもあると思います。が、一つ言っておきたいことがあるのです。
アスペルガーだろうが、自閉症だろうが、どんな障害者であろうが、それは人間です。
当たり前のことですが、なんというか、そう言った「接し方」に関する情報で多くみられるのが私たち障害者に対する特別扱い感です。
正直言って、理解されないよりは理解ある方が良いのは間違いがありませんが、しかしだからと言って意識されすぎていると、こちら側もそれは感じとってしまいます。特に私はイライラしやすい子供だったので、私たちを刺激しないように、なだめるような接し方をされるのは仕方がない部分もあると思いますが、しかしされている側の私(子供時代)はそう言った接し方をする人には懐けないですし、仲良くなれる気がしません。なんというか、常に顔色を窺われている、というか。居心地が悪いんですよね。
このように、一人の人間としてではなく、「普通じゃない、障害を持った人」として接せられるくらいなら、理解がなくても他の人と平等に扱ってくれる方がありがたいということもあるのです。それを、是非とも知っていただきたい。
少し話は変わりますが、子供(小学生くらい)に対して、いわゆる子供扱いをするっていうのは、私はよくないと思うんです。
もちろん、子供を育てたこともなければ、小学校での先生として働いていたとかいうような経験がない、ただの18歳ですが、私も人間ですし、それと同じように彼ら子供も人間です。
であれば、「子供だからこう接する」とか、「大人だからこう接する」みたいなラベルで判断するべきではないと思います。
(子供にはやはり未熟な部分はあるので、その点の考慮は必要だと思いますが)
それよりも、「Aくんだからこう接する」とか、「Bさんだから」というように、一人の人間として接するべきだと思うんです。
それと同じように、「障害者だから」とか、「この病気持ってる子にはこうするのが正解なんだ」のように決めつける、というと言い方は悪いですけど、ラベルで判断すると、いわゆる「特別扱い感」が滲み出てしまうんです。
子供ながらにも、そういう醸しでる雰囲気は感じるものです。
ぜひ、立派な人間の一人として。個性が強いだけの人間として、接してあげてほしいと思います。その人間には、その人間の個性や特性があるわけですから、それに目を向けて、できるなら理解してあげる。そういう接し方をしていれば、基本的に問題はないものだと思っていただいて良いと思います。
今振り返ってみても、「いい先生」として記憶に残っているのはやっぱり一人の人間として私に向き合ってくれた先生です。
支援員のOA先生、人生最大の恩師であるIN先生、すみません、名前は忘れてしまいましたが、毎日将棋を打ってくださった教頭先生、5年生からお世話になったYK先生。
小学生の頃のことを、18歳の私がこんなに覚えてるんですから、本当にいい先生方でしたし、良い経験だったと思いますし、何よりも感謝しております。
最近、大学進学が決まりましたので、その報告にお手紙を送りました。
その時も快くお返しの手紙をいただきまして、とても温かみのある、優しい文体で、本当に、とても懐かしい気分になりました。
ちなみに、アスペルガー症候群の人がどういう人なのか、直感的にわかる本として「サラとソロモン」という物語風の小説があるので、気になった方はぜひ。
注意:こちらはアフィリエイトリンクになっています。
自分の個性とどう向き合うべきか
まず第一に、健常者と障害者にはほとんど違いはない、という話をしたいと思います。
少なくとも、ほとんどの人間は何かしらの「個性」を持って生まれることでしょう。それが害あるものであるか、有益なものであるかは置いておいて、ですが。
そして、そう言った「健常者」の方々と、我々「障害者」の方々の違いといえば、その「個性の偏りの幅」だけでしょう。
つまり、障害者だろうが、健常者だろうが、それぞれ何かしらの個性があるのであり、そこに特別さなどは一切ないということです。
多少、そこに法則性が見られる場合に名前がつくというだけの話です。
健常者と言われる人であっても、ADHDと診断されそうな方は、おそらくたくさんいます。でも、それが大したものではないのか、あるいはそれで苦しんでいるけども、病院で診察されていないだけ。その可能性も多々あるのです。
であれば、「障害者だから」とか、「私はダメなんだ」と自らを卑下するようなことは、全く価値ないのだとわかっていただけるでしょう。
特に私は、教室で集団で授業を受けるみたいなことが全くできない子供でしたが、仮にそうであってもそれが「悪い」ということではないということです。
第二に、欠点と長所は紙一重であるということです。
例えば、私の特徴である「こだわりの強さ」がありますが、昔はこの個性とうまく付き合えていなくて、とても苦労をしました。
面白いエピソードがあるので少しお付き合いいただければと思います。
小学5年生の時なのですが、体育で陸上の練習をする時間に、私は単純に走るのが嫌いだったので「走りたくない」とごねていたんですね。
授業もとっくに始まっているのに、先生と一緒に、グラウンドの端っこに座り込んでいたんです。
言うなればただのわがままだったので、「途中からでもいいから一周だけでも走りなさい」と怒られて、泣きながら走ることになりました。
でも、グラウンドの白線で書かれた丸い円の中途半端な位置から走ることになったので、謎のこだわりが発生してしまいました。
本来のスタート位置を0(1)として、私が走り始めた場所を0.2とするなら、先生はおそらく「0.2〜1を走れ」というつもりで「一周」と表現したのでしょうが、私はそれが嫌だったので「0.2〜1.2」を走ることにしたんです。
そして、走り終わって先生のところに戻ったら、「初めからしっかり走らないくせに、なんでこういうときだけしっかりするんだ? それはおかしいだろ!」と正論をかまされた、というエピソードです。笑
ただ、こういう「こだわりの強さ」はマイナスに働くこともあれば、プラスに働くこともあるのです。
(こだわりの強さ、と色々なところで表現されているので私も「こだわりの強さ」と書きましたが、当事者としてはそれは「こだわり」なのではなく、中途半端が嫌なだけなんですよね。つまり、「どうせやるならちゃんとやる」という思考と、「手を抜いてやることはしたくない」という思考の板挟みで、「ちゃんとできないならしたくない」という結論に至るんです。外から見れば「それがこだわりだろ?」と言いたくなるでしょうが、実際は少し違うんですよね)
例えば、中途半端にやりたくないからこそ、何事にも、最後まで集中してやる能力が私にはあります。
一時間で最後まで終わらないなら、私は二時間でも三時間でもやり続けます。
でも、三時間やってもいくらやっても中途半端で終わるなら、初めからやりません。手を抜くだったり、途中で止めるみたいな器用さが、私にはないからです。
みんなはうまく手を抜いて、上手に仕事をこなすけど、私にはそれができない。
でも逆に、みんなは最後まで集中して、中途半端で終わらせることなくやり続けることができないんです。
みんなにできることができないけど、みんなにできないことはできるんですよ。
マイナスな面ばかりが目立ってしまうのは仕方ありませんが、マイナスはプラスにもなりうるんです。
私のような、一目見てわかりやすい特徴を持つ人は少ないかもしませんが、しかしあなたが持つ何かしらのマイナスな特徴は、いい面にもなりうるということをしっかりと理解してほしいです。
これは余談ですが、実はこのnoteを書いている時にも中途半端を嫌う精神が働いてしまって、本当は23時までにキリよく終わらせて寝ようと思ってたのに、全然キリよくならなくて結局深夜1時半までやってしまいました。計四時間半、ずっとパソコン打ち込んでました。笑
最近寝る時間が遅くなってしまって、朝起きれないのでなんとかしようと思ってた矢先だったので、なんというか、「またやっちゃった」って感じです。
でもそのおかげで想定よりも早く書き終わったので、よかったです。
子供が障がいを持って産まれたら、どうするべきか
これは、とても難しい問です。私が答えていいのかわかりませんが、最低限するべきことはありますので、ここに軽く書いておこうと思います。
<まずは病院へ>
お子さんが障がいを持っていそうだと感じたら、もしくは、お子さんがよく問題を起こすようなことがありましたら、まずは病院に行くことをおすすめします。
そして、たとえお子さんが障害を持っていたんだとしても、そこまでショックを受ける必要はない、ということも念頭においていただければと思います。
というのも、初めに述べたように障害は個性ですから、ただ単に「個性ある子供が生まれたんだなぁ」と考えるくらいが精神衛生上よろしいかと思います。
もちろん、自閉症を持って産まれた子供を育てるのは、かなり苦労します。これは、私が当事者であるから、確実に断言できます。絶対に苦労します。
が、今の母親の様子だったりをみていると、それはそれで楽しんでいるように思います。それに、母本人も「大変だったけど、楽しかったし、いい経験をさせてくれた」と言っています。
…母の精神のレベルが高すぎて、これはなんというか、参考にならないと思いますが。(実際、自分の子供が私だとしたら、母みたいなことは絶対にできません。もちろん、最善は尽くしますが…)
ですが、その子供が大きくなってからだと、そう簡単には治りません。
矯正みたいなものですから、幼い時からコツコツと、地道に直していくしか方法はないですので、病院の先生や、学校の先生などと相談しながら、少しずつ改善するようにしましょう。
私が今こうして、無理をすれば社会で問題なく生活できるようになったのも、幼い頃からの矯正のおかげですからね。
また、もしご相談などありましたら、ご気軽にしていただければと思います。
X(旧Twitter)もやってるので、DMいただければ返信いたします。
人生の振り返り
ここからは私の人生の振り返りをしながら、アスペルガーを持って生まれるとどういう人生を送ることになるのかを読んでいただけたらと思います。
幼稚園〜小学2年生まで
さっきの章でも軽く触れましたが、特に小学一年生の時は、毎朝親や先生に登校するのを抵抗してました。
その抵抗というのも、結構凄まじくて、先ほど言ったように殴る蹴る、暴れて、騒いで、走って逃げて、捕まって。これを毎日。しかも朝です。笑
この一連の流れは私の気持ちが治るまで続きました。だいたい一時間〜三時間ほどで治ったので、毎朝一緒にいてくれた先生方、また私を毎朝学校に送り届けてくれた母親にはとても感謝していますし、単純に尊敬します。私にはそんなことできません。忍耐がすごいですよね、本当に。
ただ、二年生になってからは支援員の先生など、学校からの協力が厚くなりまして、この朝暴れるみたいな頻度はだいぶ少なくなりましたね。
また、私はイライラしやすい子だったので、少し先生の目が離れると気づいたら人を殴ったりしてしまって、
「言哲(仮名)くん、A君に謝りなさい?」
「殴ってごめんね」
「いいよ」
のやり取りを頻繁にしていました。
また、小学校低学年なので怪我をさせるようなことはあんまりなかったんですが、それでも怪我をさせてしまったり、その子には精神的なショックを与えてしまっていたので、その被害者の親の方にも謝ったりしていました。
子供ながら、人の母親に対して、私の母親の頭を下げさせてしまっているのは申し訳なかったです。ただ、私自身も自分の感情がコントロールできなかったので、本当の自分の気持ちと実際の行動の乖離に悩んだりもしていました。
しかしイライラさえしていなければ私はとても穏やかな性格なので、友達はたくさんいました。
毎日そんな感じで問題を起こしていたし、疲れやすい体質だったので帰りの時間(14時くらい)まで我慢ができなくて、給食を食べたらすぐに帰っていたりもしていました。だいたい13時前ですかね。
日によっては朝に一、二時間授業を受けるか、イライラを抑えるみたいなクールダウンの時間をやってからすぐに帰ったりもしていました。早帰りしていた日は毎回母親に迎えにきてもらってました。よく覚えてませんが、実際の下校時刻に帰る日もあったと思います。
勉強面に関しては、二年生からは支援員の先生と一緒に、1対1の授業を個室で受けていました。なのでほとんど勉強の遅れとかはなくて、テストでもまあまあいい点数取ってた記憶があります。
これは幼稚園〜小学3年生まで(正確に言えば4年生まで)続いていましたが、しかし3年生の始業式の朝、あることが変わります。そして恩師との出会いがありました。
今思えば、ここからが私の人生の始まりです。
私にとって、3年生の始業式の朝が最も重要で、忘れられない一日です。
特別支援学級へ
見出しにもある通り、特別支援学級に入ることになったんです。
実は2年生の頃に、教頭先生と相談室で話をしていました。
「毎朝、学校に来るのが嫌で、大変だよね。だから、特別支援学級に入ってみない?」
机を挟んで向き合って座り、静かな相談室で、教頭先生にそう言われました。
正直、特別支援学級に入るのは嫌でした。
なんというか、子供ながらにですが、特別支援はなんか先生もたくさんいるし、自分以外にも障害を持った子がたくさんいたので馴染めるのか不安だったんだと思います。それに、二年生の頃から少しずつ特別支援で面倒見てもらってた時もあったのですが、毎回周りが騒がしくて、うるさくて、辛いこともあったんですよね。
ただ、実際に特別支援で一緒に活動するときは楽しいこともありましたし、少し嫌だったけど、特別支援学級に入ることにしたんです。
親と一緒に決めました。
それが、英断でした。特別支援に入らなければ、確実に今の私は無いです。
それから数ヶ月経ちました。特別支援に入ることなんてすっかり忘れていましたが、3年生の始業式がやってきました。本来、始業式は体育館に並んでやるものですが、私はそんなことできなかったので体育館の角にあった、少し埃っぽい部屋で母親と一緒にいました。
しかし、その部屋の端に、見知らぬ先生が立ってたんです。
でも、話しかけてこないし、誰なのかも知らないから無視してました。
(実は、当時の日記を見るとその恩師の先生、IN先生と何度か会っていたみたいなんですが、当時の私はその先生のことをよく知らない先生としか認識していませんでした。)
式が終わり、本来なら新しい教室で、新しい先生の紹介の時間だったんですが、その頃はもうほとんど自分のクラスで過ごすことがなくて、支援員の先生と個室で過ごしていたので、こういう特別な日は早めに帰っていたんです。
なのでその日も当然かのように帰れるもんだと思って、母親に「帰ろう?」と言ったんですが、しかし部屋の隅から、衝撃(笑)の一言が飛んできました。
ここから先は
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?