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短編「約束の翼 〜 一陣の風のように」4《最終回》

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第四話《最終回》 「一陣の風のように」


次のレガッタ大会に向けて部員同志のチーム・ミーティングがある。

その席で、監督は紫釉の本当の病名と本格的な抗がん剤治療に入ることを部員に公表した。

部員たちは衝撃を受け、ざわざわと動揺し始めた。

ちはるは緊張した面持ちで部員に直訴する。

「次の大会はわたしに舵手(コックス)をやらせて下さい!」

数年前からレギュレーションが変更され、体重制限の55kg以上の者であれば男子種目であっても舵手(コックス)に限っては性別は問わないことになっている。

監督は大きくうなづいて
「次のレガッタ大会のAチームの舵手コックス小鳥遊たかなしで行く。」

漕艇部が発足以来、初の女子舵手コックスの誕生に部員たちからも自然と拍手が湧き起こるのだった。






全日本インカレ 決勝

今大会では巡り合わせも良く予選〜準決勝と順当に勝ち進むことが出来た。

ちはるはクルー達とコンタクトを取りながら、スタート位置へと艇を誘導する。 

各チームが艇首をスタートラインに並べて号令を待っている。

風は凪いでいる。
水面が鏡面のように晴れた青空を映す。

ピンと張り詰めた緊張感があたりを支配する。

「パンッ」と乾いた銃声が響いた。

各校が一斉にスタートダッシュを決めようとクルー達は力強くオールを漕ぎだす。

波飛沫が勢いよく飛び散り、陽射しが乱反射するようにキラキラとした光の粒が舞い上がる。

我らが龍志館は
500m地点タイム 1:28:11

スタートダッシュは上々で現在2位を進んでいる。
勝敗の9割方はスタートダッシュにあると言っても過言ではない。

1位は甲信越大学が逃げ切りを謀ろうと猛然と飛ばしている。

風は凪いでおり、ちはるはクルーの呼吸を確かめながら遠くの雲の動きを眺めていた。

空の向こう側で雲が迫りつゝあるのを、ちはるは見逃さなかった。

(逆風くるかもね。)

何故にそう思ったか分からない。
言葉では言い表せない直感を信じるしかない。

ほんの少しだけ、掛け声のトーンを抑えリズムも控えた。

息を入れながら体力を温存する作戦に打って出た。

1000m地点タイム 2:56:89
トップの甲信越大学に引き離されて、大政大学にも追い抜かれて3位に順位を落とした。

(焦りは禁物よ . . . 。)

ちはるはクルー達がリズミカルに推進出来るようにペースの維持に努めた。

1200mあたりを過ぎたころ、ちはるの予想通り強い向かい風が吹いた。

ちはるはこの時を待っていた。
すかさずクルー達を鼓舞するように力強く掛け声を送る。

「キャッチ!ソーォッ! キャッチ!ソーォッ!」

向かい風は思いのほか強く吹き荒む。
ちはる達のチームは逆風に立ち向かうように力強いローイング(漕手の一連の動作)を見せる。

前半をハイペースで飛ばした前の2チームの艇尾が向かい風の影響でジリジリとペースが落ちて近づいてきた。

1500m地点タイム 4:25:04
向かい風にも関わらず龍志館チームはペースをキープ出来ている。
この時点で2位に順位を上げた。
1位の大政大に迫りクルー達のローイングは勢いが増す。

その時、後方から今大会の優勝候補筆頭の明智大学がもの凄い勢いで迫ってくる。
彼らもまた、ちはる達と同様に前半のペースを抑えて体力を温存していたに違いない。

残り200mは明智大と一進一退のデッドヒートを繰り広げる。

前半逃げ切りを図った甲信越大と大政大を遥か後方に退けて、前年覇者の明智大との一騎打ちとなった。

クルー達の息遣いもだんだんと荒くなり、ちはるの声もすっかり枯れ果てて振り絞るように掛け声を繰り出す。

「キャッチ!ソーォッ! キャッチ!ソーォッ!」

その時__
一陣の風が吹いた。
周囲の樹々が騒ぎ立てるように轟々と唸る。
やがて竜巻状の風が水面を走る刹那だった。

時がスローモーションになった。

8名のクルーがオールを漕ぐ瞬間が完全に一致したのを見届けると
艇はフワリと宙に浮いた。

その間、無音の世界が続いている。
これがゾーンに入ったと言うことなのか。
身体中に血潮が駆け巡り、クルー達の心臓の鼓動が一つになった不思議な感覚に包まれる。

(翔んでいる . . . これだよね?紫釉くん . . .)

ちはる達の龍志館は驚異的なラストスパートを繰り出し、追いすがる明智大に大きくアドバンテージをつけて堂々の1着で入線した。

2000mリザルトタイム 5:49:86

「優勝よ!みんなありがとう!」

死力の限りを尽くしたクルー達は翼を広げるようにしてオールの先を水面に平行にし静かに水面に置いた。


(やったよ。紫釉くん . . . 。)



白き艇身シェルが 水面を滑る
風を切り裂く 波飛沫よ高らかに
空見上げれば 夢は流るゝ
青春という名の航路を征く

一陣の風のように__




一年後__

ちはるは三回生になった。

早朝の漕艇場
朝の狭霧さぎりが立ち込める中
今日も勇ましい"エイト"の掛け声が聴こえる。

艇尾にはあの美しい少年が帰ってきた。

たった一言の想い``を伝えるために__




(ありがとう)




  約束の翼 〜 一陣の風のように 《完》

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ヘッダー画像:Chiharu Saito
@chiharu_saito_ex

琵琶湖周航の歌
演奏:@misuzuocarina8781


この作品はフィクションであり、作品中に登場する人物名・団体名は架空であり、実在する人物や団体とは何ら関係ありません。

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