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時代を生きる

時代を生きるということ

この言葉がふと自分の中で腑に落ちたような感覚を持たせてくれた。
というのも、変化をしなくてはいけないような空気感の世の中で、時代の流れは実際、早く流れていきそれに追いついていかなければ取り残されるようなへんな焦燥感を感じてしまうのです。
しかし、この時代を生きるという言葉が変化をしないものもある、しなくてもいいものがあるという意味を持つことでの安堵感がそこにはあったのです。

『僕』たちは人それぞれその時代を生きてきたのですから、それぞれの価値観があるのは当然なわけです。
時代というだけの切り口の変数で考えるのではなく、それは個人個人によっても代入される変数のパラメーターや扱う変数自体の数も異なるのではないかと思うのです。

その時代を生きるというのは、そこに生じた記憶を持ち生きていくということであり、それが人としての在り方ではないかというのです。
この時代を認識することで、自分の内面との向き合い方というものもわかるかと思います。
そして、その内面の輪郭を模ってきたのもその時代であるとも言えるのです。

『僕』はこの時代に生きるという言葉がとても気に入ってはいるのです。

変わらないことへの寛容
他者の持ちえる価値観への寛容

これらを許容するものとしての「いい訳」というと、少し狡賢さ垣間見れますが、あってもいいのではないかと思うのです。
人は生きてきた時代を変えることはできませんし、他者の批評に晒される時代だとしても自分が生きてきた時代というものは甘美なものであり、自分の寄り添うものの記憶としての在り方であるとも言えるのではないでしょうか

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