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AI恐慌にどのように備えるのか

AIの進化は目まぐるしいというより、追うことのできないくらいの早さで様々なサービスやその能力を得てきています。
しかも、画像生成に至っては2年経つか経たないか、ChatGPTのGTP-4が登場してまだ1年も経っていないのにこの進化です。

現在、すでにこれを扱うことができるかどうかで差ができてしまっている状態ですが、この差がますます今後開いてくるのではないかと考えています。
また、AIが仕事を奪うのではなくAIをうまく使える人間が仕事を早く終え、量をこなせるため奪っていくのではないかと考えています。
この脅威についていえば、AIというLLMの多くは日本の大学MARCHに合格するくらいの知識と読解力を持っているのです。
これに当てはまらずかつ奪われる可能性の低い仕事に従事している人間は労働人口の実に20%くらいであると言われています。
このとき、現在の日本のホワイトカラーの労働者はどのように振る舞うのが正解なのでしょうか
これによって、より低賃金の仕事に転職せざる終えない人間と職自体を失っていくという人間が増えていくように思えるのです。
この状態をAI恐慌と『僕』は呼び、近いうちにこの訪れはあるのではないかと考えています。

現在、2024年の日本においては働き手が少なくなっているという状態にあります。
しかし、賃金をあげて労働力を奪い合うようなことも起きなければ、それが解消されるという兆しもありません。
これから日本は高齢化社会へと進んでいき、65歳以上の人が人口の4人に1人という状態になっていくのです。
この問題解決としてのAIはテクノロジーの発展により人を労働から強制的にパージ(テイのいい排除)し、無人へと舵を取るのではないかと思うのです。
もちろん、すぐではないでしょうがこれまでの景色とは変化をしているのは間違いないでしょう

では、人間に労働として期待してもいいのかということもあります。
現在の日本人の学力というものは低下し続けていて、人間らしさ、人間だからと残されていた「読解力」もAIのほうが優れている状態になってきました。
おそらくこのままだと、人と人のコミュニケーションはおろかAIとの対話も難しくなってくるためAIを使えない人間が出てくるのではないかと考えています。
そのためAIによる新しい産業というものが生まれても人間にはできないのではないかという恐れがあるのです。
これは産業革命によってブルーカラーの仕事が奪われてホワイトカラーへの仕事へと移っていったチャップリンのモダン・タイムズのような時代とは異なるということを理解しておかなければならないのです。

では、このAIによって奪われたといえ、少し言葉が雑かもしれません、代替された仕事。
これ以上のものを産業として生み出していかなければならない
こうしたときに、人間にはできるのか
また、一物一価に収斂する自由経済の原理には飲みこまれないようなものである必要があるのではないかと考えるのです。

また、人としての在り方も変化をしなければなりません。
個人的試行錯誤ができる人間でなければ、この先の労働、生きるということも難しくなってくるのではないかと考えるのです。
共同体同調することをよしとして、AIでもできることを教育され続ける現在の教育、価値観では難しいということです。
これをどう変えていくのかということが大切なのではないでしょうか
この方法については、次の機会に書いていこうと思います。

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