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20代未満の「トランス当事者」とその家族や周囲の人たちに思う。

「トランスジェンダー」という存在、何なのかはわからないままに、様々な場所で見聞きする言葉になったと思う。それは「性同一性障害」という言葉と日本では混同されながらも。

そんな中で、幼少期や思春期に、性別に対する違和感を持つ子供に対して、それは「トランスジェンダーだよ」ということは、私は推奨されて欲しいことではないと思ってしまう。

幼少期から思春期にかけて、自己というものはとても不安定で、でも可能性だけは無限大にあって、様々なことが不安になることは容易だろう。そんな中で、現代の様々な情報が入り混じる環境にいてしまっては、不安を解消するために、何かとして自分自身を定義づけてしまうことは、大人よりも容易だと思う。

でも、むしろ大人ですらしっかりと定義づけられたアイデンティティを持っている人なんて、本当に少数だろうし、むしろ大人だからこそ、過剰に定義づけする必要のない、曖昧でも自己を許容できるアイデンティティを持つ人も多いのではないかと思う。

現に私は、外科的な手術を受けて、法律に則って性別を変更した人間であるが、確固としてその「トランスである」ということや、「自覚するジェンダーこそが性別である」みたいなアイデンティティは、むしろ薄れてしまったほうだ。でも、性別移行する間にアイデンティティとして強くなったことは、「黄色い肌を持つ、誇り高きアジア人である」という確固たるアイデンティティは持つようになった。それは、私が今もアジア各国のシティポップやアジアドラマが好きだし、手術のためにタイ渡航して、タイの風土が素晴らしく感じたこともある。

それ故に、確かに沢山の情報に惑わされる間に、「自分自身」を無理やり定義づけて、それで傷つけるという行為も容易に生まれるだろうし、わからないことを直視できないまま、わかったつもりで動いてしまうということも沢山あると思う。そんな人たちに、「あなたはこのような人」と無理やり定義づけてしまったら、信じ込んでしまう人もいるだろうし、それによってより不安が助長されてしまうことも間違いなくある。

だから私は、20代にもなっていない人たちに、簡単に「トランス」であることや、ジェンダー的なアイデンティティを定義づけさせることはしたくない。

当然、私としては内服的なある程度までは不可逆ではない治療はしていいと思うが、外科的な手術に関しては、20代までに行うことはもってのほかだと思う。更にいうと、社会や大人が勝手にその人を定義づけて、挙句LGBTQだからと、そこ人をまつりあげることなんて、絶対にあってはならないと思う。

だからこそ、最近少女向け漫画雑誌に、そのようなことを肯定する漫画を載せられていることは、私は正直に、児童やティーンエイジャーへの思想的な暴力でもあると思う。

私自身は確かに幼少期から淡い違和感は持っていたし、それに関して25歳近くになるまで、本当に心は揺れ動いた。更に言えば、それは今でも揺れ動いき続けている。しかし、アイデンティティなんてものは、そういうものだろうと感じてもいる。

そんな中で、ここ4年程度は少なくとも自分の中で安定しているものは、自分自身は身体は確かに男として生まれて、少なからず身体には違和感は持っている。でも、ジェンダーという価値観に関しては違和感は曖昧で、その結果「男の子になりたい女の子」のような行動を、少なくとも思春期くらいの頃から、一貫して行っていたのだろうなと、自分自身の中で結論付けている。だからこそ、身体的な部分は男性としての認識を持っていないことも感じるし、外科的な手術を行ってしまったことも、自分を男だと思っていない自分が一貫して心の奥にあったことは、ちゃんと肯定してあげられたと思うし、全く後悔はしていない。

とはいえ、これは私自身が25歳になるくらいまで、不安定なアイデンティティや、様々な外の情報を受けたうえで、やっとたどり着いたものである。それゆえに、そこまで熟慮できているかわからない年代で、社会学者含めた大人たちが、身勝手に定義づけたり、さらには、早いうちに外科的なものも含めて、傷つけてしまうことは、はっきり言ってもはや社会からの暴力だとも思う。

結局は、トランス当事者は、身体的な性別が違うということに、どう頑張って逃げたとしても、向き合うことから逃れられない。それを無理やり言葉遊びかのようにうわべだけ定義づけて、身体的な性別を曖昧にしたところで、所詮大人のエゴだ。自分の性別を苦しみも含めて経験しきって、それでおいて「トランス」と名乗って越境したがる大人たちが、自分たちの横暴を正当化するために、子供たちに犠牲になっていると言っても、このように文章にして、他の人の目に入ってしまったら、肯定する人もいるのではないかとも思う。

また、このことをトランスという価値観で憐みかのように、無責任に肯定したい人が、私が「大人の自分たちが自由自在にしたい「ジェンダー」というエゴを、子どもたちに押し付けている」と批判することは、絶対に間違っていると言われると思う。しかし、一人の成人として、若さはあれど決断した私としては、大人たちの薄っぺらい「社会正義」というものに、子どもたちを巻き込まないでくれと、強く反発したいと思う。

それは、私が「フェミニズム」という価値観を、あたかも社会正義としてしまうことで、本来の女性差別の解消から大きくかけ離れてしまっているということに対する、ひとつの違和感も含んでいる。自分が社会正義に則っていることを謡うには、フェミニストでなければならないことは、明らかにフェミニズムと言うことに対する冒涜であるとも思う。

そして、自分たちの歪み切った「社会正義」を子供たちに押し付けて、様々な悩みを本当に様々な情報を見ることによって、自分たちで結論を出すことを阻む、何よりも卑劣な行為であると思う。

最後に私は、こう伝えたい。

10代以下のトランスという自認を持つ子どもたちへ、薬を使って内服的に移行することは構わない、けれども、20歳になるまでは、外科的な後戻りできないことは、絶対に急いでほしくないし、何か軽い違和感を持ったとして、数年はそれを見つめて、考えてほしいと思う。確かに二次性徴はとても辛いことでああるけど、薬で抑えるくらいに留めておいてと。

トランスやその疑いのある子供を持つ親や周りの大人へ、本人たちは、本当に苦しく悩んでいることは確かです。けれども、自分のエゴで簡単に自分のジェンダーの価値観を押し付けたりしないでほしいです。10代という年代は、心理的に強く揺れ動く時期ということと、そこで不安になることは、しっかりと説明しつつ、それを大人である自分自身としても理解してください。後戻りできない身体にメスを入れることだけは、20になるまで、問い続けてもらいたいとも思います。


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