「推し」の存在が、私の人生を変えた @mikaikeda6
私は、一見すると怖くみられるようです。
怖いとまではいかなくても、「クールそう」「冗談言わなそう」などと言われることもあります。
おそらく、ショートカットでメガネをかけていたり、キリッと眉毛だったりするからではないか?と自分では分析しています。
ラブソルのメガネ女子、取締役の池田です。
ラブソルnoteでは、毎週テーマを設けてメンバーが交代で記事を書いています。今回のテーマは「推し」。「推し」が仕事に与えてくれた影響について書いています。
一見クールに見られる私ですので、今回のテーマである「推し」とは縁遠いと思われるかもしれません。
しかし、そんなことはなく。
「このテーマ待ってました〜!」と叫びたくなるほどには、オタク人間でもあるのです。
なんのオタクかと言いますと、それは「宝塚」。女性が男性役を演じる、あの宝塚歌劇団です。
実は、「推し」の存在は、私の人生を一変させました。
はっきり言って、「推し」の存在がなかったら、私は今ラブソルにいなかったでしょう。
「推し」がもたらした、人生の大転換点
私と宝塚の出会いはかなり古く、小学校5年生の頃。友人が天海祐希さんのファンで、『ベルサイユのばら』のビデオを貸してくれたのでした。当時はまだ、VHSビデオの時代だったんです!
その後、NHKで放映されている映像を観たり、宝塚歌劇団が発行する月刊誌『歌劇』や『宝塚GRAPH』を読んだりしながら、徐々にはまっていきました。
3つ歳の離れた妹と、私は○○さんが好き、私は△△さんだというように語り合い、それこそビデオが擦り切れるまで観ていました。
さて、ここまではただの宝塚が好きな少女の話です。特に人生に影響を及ぼすことはありません。
ひとつの転換点は、都内への引越しでした。30歳になる手前の頃、親の都合で、今も住んでいる渋谷区恵比寿に引っ越したこと。
恵比寿から、東京の宝塚劇場までは30分足らずなのです。夢の宝塚が、すぐそこにきてしまったから大変です。
劇場に足繁く通うようになり、観劇を繰り返すようになり…、いつしか「推し」と呼べるようなスターさんが現れました。
そして、人生初のファンクラブに入ることになったのです。
私がファンクラブに入ったのは、宝塚の中堅スターという感じの方でした。
ここで、人生の変化につながる次の大転換点を迎えます。
それは、ファンクラブの運営スタッフになったこと。
宝塚のファンクラブは、歌劇団やその母体となる阪急阪神ホールディングスとは関係がありません。あくまで私設のファンクラブであり、ボランティアスタッフによって運営されています。
私が応援していたスターの方のファンクラブで、当時サポートしていたスタッフがある日、揃って辞めることになりました。そこで、ファンの中から白羽の矢が立った2名のうち一人が、私。
そして、もう一人がラブソル代表のゆかだったのです。
全力で「推し活」をしたら得られたこと
そこからの数年間、会社員として働きながら私設ファンクラブのスタッフのお仕事をしました。
ファンクラブのボランティアスタッフだなんて、好きなスターさんに近づけそう、楽しそうというイメージがあるかもしれません。
しかし、実際にはそういったキラキラした感じはゼロです。
仕事以上に仕事のように、全力を注いで取り組んだと言っても過言ではありません。
ファンクラブのお仕事は、多岐に渡ります。
ファンクラブ会員の管理、チケットの販売、ファンミーティングの運営、オリジナルグッズの制作・販売。
とにかく、いかにファンクラブを大きくするか、盛り上げるか、ということに注力していました。
ファンクラブが大きくなれば、推しにとって大きな力になります。
いつしか、憧れのスターは、ともに戦う同志のような存在としてみるようになりました。
本業の仕事も忙しく、それに加えてファンクラブの仕事をするのは、本当にこれ以上ないほど大変でした。
ここだけの話、通常の仕事が終わったあとにファンクラブの仕事を夜中まですることがあったので、会社でつい、うとうとしてしまうこともありました。
ゆかと起業することになった時、女子二人で起業なんてうまく行かないだろう、喧嘩別れするだろうなどと言われることもありました。
しかし、私たちはすでに数年間にわたり、真剣勝負の戦いを一緒にしていたのです。
それこそ寝食も惜しむほどの熱量で。
お互いのことはよく知っている、その上で唯一無二のパートナーだと確信していました。だからこそ、10年経った今も続いているのだと思います。
推しは、私が「推す」ものだが、私が「押される」存在でもある
私は、何か新しい行動を起こすのが非常に苦手な人間です。
どんな状況でも、その場に溶け込みうまくやるとか、何か問題が起きた時になんとかするとか、そういうことは得意です。
しかし、能動的に自分から道を切り開くとか、新しいことを始めるというのが、本当に苦手。
現状への不満や新しい世界への憧れはあります。しかし、なかなか行動に移せないのです。
それゆえ、とても会社を起こそうなどと思うタイプではありません。
あの時、ファンクラブに入っていなかったら
ファンクラブでスタッフになっていなかったら
スタッフ仲間にゆかがいなかったら
今、私はラブソルにいません。絶対に。
想像すると、ちょっと恐ろしくなります。
あの時の自分の選択を褒めてあげたいし、あそこでとことん頑張ってよかった。
そして、その機会を与えてくれた「推し」の存在には感謝しかありません。
「推し」とは言葉の通り、自分が「推す」存在のことですが、私は「推し」によって人生を「押され」ました。
エンジンのない私に、動きを与えてくれた存在、それが「推し」です。
最後に一つ。
「ちょっと好き」というくらいでは、この動きは起きなかったと思います。
生きている時間の大半を捧げられるような推しの存在があったからこそ、今があります。
推しがくれた今の人生=ラブソルをこれからも大切に育てていきたいです。
池田 実加 ▶︎ SNS...X(旧Twitter)
<ラブソルへのお仕事依頼についてはこちら>
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