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労働運動夜話

 今日はメーデーです。と言っても私は今から夜勤です。メーデーがたとえ祝日になっても私は交通関係なので、ほとんど休日にならず逆に休日は稼ぎどきでもあるので、悪い話ではないんですが。メーデーの起源はアメリカ労働総同盟が8時間労働を求めて1886年5月1日に大規模ストライキが発祥とされています。その2日後の5月3日にストライキ中の労働者に警官が発砲。労働側は4人が射殺されます。次の日シカゴ市内のヘイマーケット広場で警官隊と労働者が激突し、労働側だけでなく警官隊にも多数の死者が発生。爆発物も使われたので労働者側4人、警官隊7人の死者が出ています。この騒動の結末は9人のアナキストが起訴され、5人の死刑囚が出ました。そのうち1人は自殺しています。この爆弾騒動は真実は解明されていません。確かに起訴された死刑囚達は普段から爆弾を使った革命を煽っていたのですが、実際にその死刑囚が起こしたのかどうかは判明していません。この判決は当時アメリカでは勢いがあったアナキスト勢力の見せしめとも言われました。当時はロシア革命以前。アナキストがある意味左翼運動の中心でした。この事件の6年後処刑されたアナキスト達は無罪と判断され収監されていた被告人も釈放されました。アメリカはメーデー発祥の地ですが、その暗い記憶から5月1日をレイバーデーと︎言います。
 メーデーは血が流れた歴史があり、それは切っても切り離せないものです。そうしたかつての同志が自身の身が滅びても守りたかった労働者の日を次世代まで続けるのもバトンを受けたものの使命です。とは言え現在はそう言う意義は薄れいわゆる「お祭りメーデー」。批判も多いですが私はやはりこちらで慣れているので、お祭りの方が好みです。平和の祭典にできたのもひとえに私も貢献できたと自負しています。思えば私の初メーデーはタダで美味しいものが食べられると聞いていたのに職場の先輩が作った不味い焼きそばを食べさせられた思い出しか残っていないぐらい不味かったです。あの時は自分が焼きそばを作る側に回るとは思ってもいませんでした。面白きこともなき世をおもしろくとはよく言ったものです。おかげでそもそも先輩の作った焼きそばは麺がどうしようもなく不味く、どんなところならあれだけ不味い麺を仕入れる事ができたのか聞いてみたいです。その先輩も相当出世してしまい、もはや気軽に焼きそばの話なんかよほどくだけた席でないと聞く事はできませんが。

日本のメーデーの起源は米騒動?

 井上真央主演の「大コメ騒動」と言う映画がありました。1918年に起こった米騒動の映画化で成人男性なら1日一升、女性でも6合、7合、8合と言う時代で米の値上がりは生活に直結したのです。さて米の値上がりはシベリア出兵など政治的な動きも無関係ではないのですが、そもそも米屋の出し渋りの方が大きな影響を受けました。当時の富山県の漁村では夫が出稼ぎに、妻は米を船に運ぶ労働を行なって生活苦を凌いでいたので「よそにやる米があるから、うちらの食べる米が減ってしまう」と考えるのも普通の事です。簡単に情報を得られる人には、分からない話でしょうが当時はそれが当たり前なんですよ。情報の価値が下がった代わりに自分の都合のいい情報を盲信する時代では色々と違う面もありますが、世の中、自分の米櫃を荒らされて、冷静でいろと言うのは無理な話です。いずれ私達も歴史になる日が来ます。
 さて米騒動については映画を観れば、流れは理解できると思います。もちろん映画なので演出もあり全部信じろとは言いません。ただ新聞記者は新聞記者なりの誇りがあると言うのもあの映画で感じられました。映画の内容は自分でしっかり鑑賞し、面白かったら2回目の鑑賞会が始まるのも醍醐味です。時間はコストじゃないですよ。心を豊かにするための有意義な時間の使い方です。
 この米騒動はロシア革命の輸出が相まって日本でも急速に大衆運動が広まりました。悪い意味でも社会運動はエリートのもので、庶民階級はもっと雑多なものでした。現代もそうですし、それを否定する気にはなれません。社会運動なんてはっきり言えばコスパは悪い。それでも人生を豊かにしてくれます。人間は出会いが経験になりますから。どんな人でもね。自分の考えに閉じこもるのも体に悪いです。
 この米騒動は結局時の内閣が倒れる一因となりました。有権者でもない漁村のおっかあが起こした社会運動も内閣を打倒できる重要な出来事です。当時のおっかあも、そこまで考えなかったとは思いますが時の政局を揺るがす蟻の一穴が社会運動です。コスパは悪いので、是非それを承知にご参加ください。家で偏った情報ばかり触れるよりも、よっぽど面白いですよ。

大正時代の労働者の価値

 大正時代の小学校の教員が月給50円と言われます。当時の1円の価値が大体4000円だったと言うデータがあります。新人教職員ならそうなのか?私の初任給は140000円くらいだったので相場は分からないですが、地方の労働者は日給2円を当時要求していました。当時は精々公休は月に1日だったので金額としては妥当。と言うか公休1日なら現代の価値観ならもっと要求したいと思うのも人間の性です。23万円で公休1日の仕事ができるかな。大正時代の労働者は私よりよほど謙虚で、大正時代の経営者はガメツイ生き物でした。共済担当の労組役員なので、金融は知識はちょっとあるけどプロに比べればドリブルがようやくできるレベルの人間だから、円安円高は将来どう変わるのか分からないのでリスクを取りたくないならNISAやるな!後悔してもOKなら大丈夫と言っていますが、大正時代の労働者はちゃんと高めのブラフを投げました。代償は自分の命です。命懸けだった労働運動の歴史を忘れず、現代の労働運動に邁進したいと思います。現代は学校の先生は責任の割には初任給低いな。教職員労働運動をちゃんとやらないと私の子供に影響が出るから、頑張っています。私の労働運動の原点は私の尊敬した先輩が不意な形で辞めざるえなかったとずっと思っているから。それは私が人生を賭けるに足ると確信したからです。全ては私ごと。それでいいんです。社会運動はそもそも自分の置かれた不条理に対抗するものです。綺麗事なし。交渉一本。そして闘争一本です。そう言うものが少なくなった時代ですから。
  昭和の高度経済成長の時代はどんどん給料が上がっていく時代でした。所得倍増計画は完全に達成され、1年で3倍や4倍になった時代です。それは夢を見れる時代です。実際にちゃんと労働すれば家庭を持ち、家だってローンを組めば払える事は可能。定年間近になれば仕事も責任も一定数逃れることができ、定年過ぎれば年金で趣味に勤しみながら余生を過ごせる時代なのに、現在は世代間抗争に巻き込まれるんですから、世も悪い方に変わりました。あの時代を過ごした人間はそんな夢物語だった高度経済成長にすがりますが、労使共に殺伐とする時代では不可能でしょう。階級闘争はいつの世も無くなりはしない。ソ連が崩壊後、資本主義こそが階級闘争を終わらせる最後の手段でしたが結果はこの通り。階級は細分化され、もっと複雑になります。

労働小話

 日本では昭和の後半は労働運動が激しく熱狂的な時代でした。世の反感もそこまで考慮せず、そもそも世の中も労働運動に対して好意的な時代に何をやってもある程度許容範囲でしたが、現在は闇や霧の中。組合員の運動も世間の目は冷たいです。こうなってしまったのは、やはり自分達がサボっていたとの自省はあります。ありとあらゆる疑いを労組のせいにされましたが、その行いは雇用は保証されているなかの運動でイマイチ弱きを助け、強きをくじく運動体ではなく甘えきった運動体になっていました。そしていつの間に、私たちの中で階級ができてしまいました。デマは払拭すると共に、若い世代にもちゃんと伝えられる、誇りを持って襷を渡せられる運動体ではないと胸を張ってバトンを渡せません。労働運動が廃れた理由に、私含めた運動体がいつのまにか組織維持だけが至上命題で足元が崩れかかったいたのが気づかない人間達ばかりでした。こうした世の中はもう終わりを告げています。ボトムアップができない組織は、それができない組織人はもはや不要。労働運動どころか会社の経営に対しても。
 一つ自分の初メーデーについて思い出しました。当時はジューンブライドに憧れて、その次の月に婚姻届を出し、3年後の5月1日に離婚届を出していました。面白きこともなき世をおもしろくとはよく言ったものです。当事者は面白くないですが、10数年経てば、客観的なので我ながら面白いことをやっているなと思います。もう人生どうでもいいと思った瞬間から人生は始まるものです。絶望を知らないと、落ち込んだ時にも、あの時よりマシかとは思わないでしょう。今あの時より随分マシな生活です。働けば贅沢はできないけどギリギリ食べる事ができ、ローンの返済で赤字だけど行楽ぐらいには行こう!金策は終わってから考えるぐらいの生活ができます。だから私は自分の賃金を上げるため働き、そして労働運動もするのです。世のため、人のため?いやいや自分のためです。


  


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