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青い鷲の伝説

  私の弟は介護福祉士です。介護福祉士はかつて女性の職場の筆頭でしたが、最近では男性介護士も増加し介護保険が始まった時代に民間企業の参入が当たり前になった頃から男性管理職も急増しました。とは言えやはり女性優位は変わらず難しさはあると思います。かつて製造業や現業職は男性の職場で、医療や福祉は女性の職場でした。とは言え現代ではそういう枠組みもかなり曖昧になり、男性優位の職場は女性の管理職が増え、女性優位の職場も男性のリーダーが誕生する事も少なくありません。
 そして労働組合の組織率が著しく低いのはかつて女性優位の職場だった職場です。介護、医療、保育いずれも「かつては」女性の職場でした。労働組合は男性社会と言われる理由はこういうところにあると思います。とは言え最近だとあからさまなジェンダー差別の求人は出せません。ブラックボックスな企業の採用事情ですが、「あからさまな」差別はできません。女性が製造業の班長をやっても、男性の看護師長が誕生しても不思議ではないです。とは言えそう簡単でもないのも事実です。
 自動車製造のラインに女性が就くのも珍しいものではないですが、全て女性の力で達成する事は体力的に不可能です。そして保育や看護の分野で男性だけで現場を回そうとすると必ず色々問題が出てきます。特に保育は保護者の目は思いのほか、厳しいです。どんな仕事も何一つハードルなくクリアできるほど甘くはありません。とは言え21世紀が始まった20年以上経ちました。労働に関して言えば男女の差はどんどん埋まっているように感じます。

同質化する男女の労働者

 80年代のバブル景気はそもそも空前の人手不足で規制も緩い時代だったので思いっきり残業させ、その代わり賃金に思いっきり跳ね上がるという時代でしたが、それでも旧来の労働者事情では職場が回らない状況でした。当時も定年再雇用や外国人労働者の受け入れを模索した経営層でしたが、定年組は交代勤務が難しい。外国人労働者は言葉の問題もあり、受け入れ体制が整っていないため目をつけたのは女性労働者でした。
 首藤若菜立教大学教授の著書である『統合される男女の職場』では、教授ご自身が実際に現業職場で働く女性労働者を調査。自動車製造のラインにも2週間の体験労働をして得て書かれた本ですが、そこには現業職で働く女性労働者の本音も随分書かれていました。労働基準法は99年に男女雇用機会均等法が改正される前まで女性の深夜業務は規制がありました。それを完全に撤廃される事に労働組合は最初は反発しましたが、のちに条件闘争に移行しています。深夜業務が解禁された後、女性労働者を調査した首藤教授は意外な本音を耳にしました。「思っていたほど深夜業はキツくない」女性の職種=事務職という固定概念があるかもしれませんが、現業職で働く女性労働者も80年代にはそれなりにいたわけです。彼女たちは元々深夜業ができないだけで二交代制のシフト勤務はこなしていました。それが深夜勤が解禁されたと言っても働く時間帯が変わっただけで、むしろ朝遅くまで眠れる。明けの日は遊べる、給料も増えたなどメリットも少なくなかったのです。かくいう私自身、夜勤の方がはっきり言って煩わしい人間関係がなく、仕事自体もむしろ時間に追われる事はありません。そして事務職は仕事の進捗具合で残業もあり、時にはサービス残業もあるのですが現業職は定時をしっかりと守り、残業代もキッチリつける職場も多いため時間帯だけ気にしなければ過重労働になる事は少ないです。事務職は子育てとの両立が難しく妊娠=退職ですが、現場の場合はシフトさえ調整できれば案外子育てとの両立は可能です。もちろん夫のシフトも重要ですが最近では会社側も割と「物分かりがいい」です。環境にもよりますが、昇進の壁さえ乗り越えれば現場の叩き上げは女性がなる事も可能になりました。
 それでもバラ色ばかりではなく、出産という大仕事の前に労働はセーブしなければならず、現場の責任者は難しい調整が強いられます。ひとえに職場の理解は必要です。だから人のミスをカバーできる人材になっておく事が重要です。これは教授のご意見ではなく私個人の経験上から言える事ですが。

アンコンシャス•バイアス

 アンコンシャス•バイアスという言葉があります。それは無意識な思い込みや偏見を指す言葉。例えば客室乗務員と言われた時点で、どういう姿を思い出しますか?かつてスチュワーデスと言われた職種は無意識に女性を思い浮かんでしまいます。しかし日本でも遅ればせながら男性客室乗務員を数年前から採用し始めました。今後増えていけば未来の客室乗務員像は変わってくると思います。ただこの無意識の思い込みを変えるのはなかなか容易ではありません。例えば子供が熱を出して、会社を休むと言う場面を貴方はどういうシーンを思い浮かべますか?もしお父さんが休むとしたら無意識に「母親は?」と聞きませんか?ある意味それがかつての常識でした。そうした常識を話しても咎められる事はありませんが、別にお父さんが子供のために休んでもいいんです。
 ただこうした思い込みを全て払拭するには、長い年月が必要です。本人としては特に意識しているわけではなく、思い込んでいるのでそれを明日から直してと言われて、すぐに変わる事は不可能です。当然社会の変革が必要で、今後も課題になります。上記した『統合される男女の職場』では、ある現場の男性従業員が「自分の仕事は女でもできるようになってしまった」と言いました。技術革新のお陰で、男女のできる仕事の範囲はどんどん狭まっています。男だからできる仕事も女だからできる仕事も現代では、ほぼゼロになりました。ただやはりどこの職場でも「聖域」と言うものはあり、こればかりは男女共に面倒で乗り越えていかねばならないハードルは低くはありません。
 固定概念は悪だと思います。ただこう言った固定概念が全て解けるには人類の歴史は短すぎるし、今後新しい固定概念も増えていくでしょう。だからこそ職場には常に交渉が欠かせません。

青い鷲が再び飛び立てるのか?

 交渉組織の最大の団体は労働組合でしたが、その労組に対する固定概念、そして労組の中にもまだまだ固定概念があります。賃上げだけが労働組合の仕事ではなく、あくまでそれは通過点。条件闘争は賃金に限る事はないのです。そして労働組合もオルグ活動は必要ですが、その代替組織を常に模索して実行力を高めていかねば未来がないと思います。一向に上がらない組織率を嘆く前にやらないといけない事が増えました。企業別、正社員中心の労働組合はすでに終焉しつつあります。それではもう成り立ちません。そして組織化だけが組織率の向上になる時代も終わりかけています。労働者のためになんでもやるという気概がないと現在の労働組合を引っ張る力は出現しません。
 アメリカでは全国産業復興法が制定され、産業の自由化は「青い鷲」がシンボルマークでした。労働行政に対しても、その自由化を推進し、労使交渉の自由を時のルーズベルト政権は後押ししました。結果として労働組合の必要性を感じた多くの労働者は組織化し、組織率は大いに向上しました。後に差別反対運動やベトナム反戦運動に労働組合が多く関わり、人種間の待遇差別や社会運動の前進に大きく貢献しました。「青い鷲」は現在資本主義の変貌によって、甘えた環境で眠っていた結果、その足元は崩れかかっています。「青い鷲」は労働組合の組織率向上のシンボルです。再び舞えるかどうかは現在の組合員同志が大きく関わっています。同志たちの奮闘に1組合役員の力は微力ですが、微力がテコの原理で大きな大木を倒す事もできます。大木が倒れた時、現れるのは偏見に満ちた悪意ではなく、社会変革を目指す多くの「青い鷲」。倒すべきは資本家でも政治家でもなく、「無意識な偏見」です。



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