帝王切開の歴史
ご興味を持ってくださり
ありがとうございます。
お母さんを笑顔にするお仕事の人、
子育て専門助産師なとりです。
今回はお産の方法の一つである
帝王切開について書いてみます。
帝王切開された方や
これから帝王切開をされる方、
帝王切開に関心のある方に
お読みいただければと思います。
〈帝王切開とは〉
母体の開腹手術により胎児を取り出すという
手術による出産法です。
手術なので
「帝王切開術」が術式の名称となります。
この投稿では「帝王切開」と記していきます。
帝王切開という名称は
ローマ帝国のユリウス・カエサルが
この方法で生まれたという説もありましたが
誤訳という説もあり由来は定かではありません。
英語ならば「Caesarean section」
ドイツ語では「Kaiserschnitt」
臨床では「カイザー」といいます。
ドラマやドキュメンタリー、
あるいはご自身が実際に言われて
耳にしたことがあるかもしれません。
〈日本初の帝王切開①〉
日本で最初の帝王切開は
1852年の江戸後期
難産に苦しむ産婦の生命を救うために
二人の医師によって行なわれました。
産婆トヨは
本橋みとの2人めのお産を
いつものお産と違うと感じていました。
※登場人物の敬称は省略
内診で児頭(赤ちゃんの頭)が触れず
一向に降りてくる気配がない。
みとが産気づいたと
トヨが呼ばれてからおよそ一日
右腕や臍帯(へその緒)が先に出てしまい
胎児は生まれる前に
亡くなってしまいました。
このままではみとの生命も危ない
自分ではどうすることもできない
そう考えたトヨは
医師の岡部均平に相談します。
均平もみとの生命を救うため
自分にできるすべての処置をしますが
どうにもできず
叔父である伊古田純道に相談します。
純道もまた
経験の限りを尽くしますが
胎児をみとの身体から
出すことができません。
そこで純道は均平に
オランダの医学書で見た
子宮切開術をやろうと提案します。
こうして
みとが産気づいてから3日目
家族への説明と承諾の下に
日本初の帝王切開が行われたのです。
みとは感染症に苦しみましたが
帝王切開から55日後に治り
88歳という天寿を全うしました。
〈日本初の帝王切開②〉
日本で最初の帝王切開について調べ
簡潔にまとめてみましたが、
時は江戸時代後期です。
移動は徒歩あるいは馬です。
道路も整備されていない中
何度峠を越えたのでしょう。
電話もありませんから
均平は純道に手紙を書き
飛脚が運びました。
超音波検査もありません。
産婆や医師の観察する目や
お腹に触れる手が情報のすべてです。
そして
この帝王切開は
麻酔なしで成し遂げられているのです。
二人の医師にとっても
初めての経験だったわけですから
オランダの医学書を読みながら
行なわれたとされています。
あまりに時代が違いすぎて
想像に及びませんが
このような時代に
帝王切開を成功させたことは
奇跡であったと思います。
〈帝王切開の歴史〉
ギリシャ神話では
太陽神アポロンが恋人の不貞を疑い
その恋人コロニスの腹を裂き
息子となるアスクレピオスを
取り出したとされています。
古代ローマでは
亡くなった妊婦を埋葬する前に
子宮から胎児を取り出すことを定めた
『遺児法』がありました。
記録に残されている
最も古い帝王切開は
1500年にスイスで行われたとされ
母体の生存する帝王切開に
初めて成功したという記録です。
また、1610年に
ドイツの外科医が行なった帝王切開について
詳細な手術の記録や
カルテが残されているそうです。
1700年代までは
母体の生存は考慮されず
胎児を取り出して救命することが
目的でした。
また、切開した子宮は
縫合してはならないとされており
お腹だけを縫うため、ほとんどの場合
出血によって亡くなっていました。
1800年代の後半になり、イタリアで
切開した子宮からの出血に対し
子宮を切除するという方法が考え出され、
そこから数年後の1882年には
切開した子宮を縫合する技術が
ドイツで考案されます。
この年、日本で2例目となる
帝王切開が千葉県佐原で行われましたが
母親は2日後に亡くなったそうです。
帝王切開が母子ともに
安全に行われるようになったのは
1950年代以降のことで
日本初の帝王切開から
100年も経ってからのことでした。
※帝王切開の歴史について
かなりの時間を割いて調べましたが、
インターネットではそのほとんどが
聞き伝えや流用と思われる内容でした。
正確性は明らかではありませんが
今回の記事の内容には
十分な情報であると判断しましたので
あしからずご了承ください。
〈帝王切開が増えている〉
ある病院の産科の文献によると
昭和30年代において35年以降
帝王切開率が2〜2.5倍に増加し
帝王切開による児の死亡率が減少した
との記載があります。
昭和の前半における帝王切開の適応は
『常位胎盤早期剥離』や
『前置胎盤』などが大部分で
その目的が母体の救命にありました。
昭和の後期になると
帝王切開の適応の範囲が広がり
母児の生命を救出することが
目的となりました。
昭和37年の産婦人科学会において
帝王切開の頻度が
前代未聞の高率であると
報告されています。
東大病院での帝王切開率は
昭和20年に0.6%であったのに対し
10年後の昭和30年には2.1%
35年:4.0%、45年:5%と
増加の傾向がはっきりと見て取れます。
時代の経過とともに
さまざまな技術が進歩し
帝王切開が安全に行われるようになった
ということを表しています。
厚生労働省の統計によると
令和2年における帝王切開率は
21.6%とされており
およそ5人に1人は
帝王切開で出産をしている
ということになります。
〈あとがき〉
日本で初めて行われた
本橋みとさんの帝王切開について
今回初めて知りました。
飯能市にある本橋家の敷地には
『本邦帝王切開術発祥之地記念碑』
が建てられているそうで
機会があれば一度訪れてみたいと思います。
あまりに興味深く
本来書こうと思っていた内容に
触れることができなかったので
シリーズとして続編を書いていきます。
みとさんの麻酔なしでの帝王切開で
思い出したのですが
パレスチナ・ガザ地区の病院では
毎日約150〜200人の赤ちゃんが生まれ
帝王切開を麻酔なしで行なっている
という報告もあるそうです。
想像を絶する中でのお産に
胸が痛みますね。
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