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知り合いが来てくれるのが嬉しい

やりたくないことをやらない、を生きていく軸に据えることにして、3月で会社を辞めた。
ちょこちょこいろんなことをしている。
そのうちのひとつに、退職の時点ではカケラも可能性のなかった、カレー屋でのアルバイト、が、ある。

以前は、地元で働いていることを知られるのがたまらなく嫌だった。
小中高の同級生に知られるのも嫌だったし、
当時の先生や近所の大人たちに知られるのも嫌だったし、
地元で関わった人たちに知られるのが嫌だった。
たぶん、
そもそも地元にいることが嫌だったのだと思う。

地元と言っても生まれた土地ではなくて途中から来た土地だから、土地への愛着はないし、
実家があるというだけ、
と、長らく思ってきた。

それが、なぜか、
4月から、地元のカレー屋で土曜日だけのアルバイトを始めた。

なぜか
というのは、私自身、このアルバイトを私にとってどう位置づければいいかわからないから。
望んでしているわけでもなければ、
特別嫌なわけでもない。
本当にありがたいのは、
とにかく人が欲しい、というカレー屋の状況と
私のできることが一致した、ということ。
そしてそれを繋いでくれる人がいた、ということ。

4月の半ばからだから、出勤はまだ数度目。
でも、その数回のいつも、誰かしら知り合いがお客さんとして来てくれている。
もちろん、皆私がそこにいることを知らずに、単なるお客さんとして来てくださった。

会うたびに、向こうも、私も、びっくりする。
それはそうだ。
お互い、いるはずのない顔をそこで見るのである。
しかも、かなり久しぶりだったりする。
出勤初日は3、4年ぶりの人だった。
連絡するねと言ったまま、そろそろしなくちゃなぁと思っている人が、偶然来てくれたりした。

そうして地元の知り合いに会うたび、
私は嬉しくなっていく。

去年だったら、そうはならなかったと思う。
見つかってしまった、という感覚が強くて、
ああいやだ、どうしよう、とそれを理由にカレー屋を辞めていたと思う。

でも今は、
さて今日は誰がくるだろう
と、わくわくしている私がいる。

何が変わったのかはわからない。
というか何も変わっていない気がする。
強いて言えば、
今の私を、私は納得している。
すべて、ではないにせよ、
少なくとも輪郭と、内側の大半は。

そして何をしていても、誰にどんなふうに見えても言われたとしても、
私は私しか知らない。
ついでに他人は、自分以外にたいして興味がないこともよくわかった。

そういう、きっとたくさんの人からしたら当たり前のことを、私はこの数年かけて、自分に馴染みこませた。
だから今、数年前よりもずっと楽に、私は私でいることができている。

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