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ザリガニの鳴くところ

忘れてしまわないうちに、読んだ後の情熱が消えてしまう前に、記録として読んだ本の感想を。

今年も本を沢山読みたいと思っていたのに気付けばもう8月になり、読めた本は3冊だけ。
そのうち2冊は震災の体験談とカメラの本だったので、物語を読み終えたのはとても久しぶりの感覚だった。
小学生の頃から本がとても好きで、図書館に通って隅で静かに本を読んだり、朝に与えられる読書の時間が永遠に続けばいいのにと思うほどに本が好きだった。
読めば止まらないし、続きが気になり夜中まで読み込んだりしたのに、今はそれが出来ない。
読むスタイルが完全に変わってしまっていて、だけど本はやっぱり大好きな気持ちは変わらない。
読み方のスタイルは少し読んで気持ちを噛み締める余裕ができたと言っても良いのかもしれない。
私の中で本は出会いを大切にしていて、大抵は気になったタイトルや表紙で選ぶ。
今回選んだのは”ザリガニの鳴くところ”どんなジャンルなのかも分からない状態で読むのが好きだ。

少しネタバレしつつ感想を書くので読みたいと思っている人はこの先は読まずにいてね。

物語はある日、少年たちが湿地で死体を発見するところから始まる。
さながらスタンドバイミーのような少年たちの冒険話が始まるのかと思えば、そこにはある少女の孤独の物語が始まるのであって、彼女は物語の重要な場所になる湿地しか知らずに育ちそれでも湿地を愛していて、どこかに出たり冒険をする、などしないのである。

私は知識は人生を豊かにすると思っていた、知れば知るほど世界と共に心も広くなるような気がしていて、誰からも奪われやしない財産でもあると。
だけどこの小説の物語の少女はどんなに知識をつけても埋まらない孤独と戦うことになる。
どんなに知識を付けて素晴らしい感動と出会ってもやっぱり人は共有する人が必要で、人の繋がりは切っても切れないし知らずに求めてしまうものなのだと痛感する。
物語の中で少女は育ち、女性になるのだけれど、その間に孤独を抱えきれずに避けて暮らしていた村の人間と接触し、その時に自分の大切な一部を捨てて関わりを持つ事になる。
その描写があまりにも私の胸に響いて、刺さって抜けずに項垂れて、小説の一語一句に感情を揺さぶられて苦しい思いをした。
私が昔抱えていた孤独や闇を私はまだ覚えていて、人と関わるには時に自分の気持ちを押し込んで笑いたくないのに笑って、とその気持ちが蘇っては彼女の気持ちとリンクし涙が止まらなかった時もあった。
続きを読みたいけれど、幸せになる予感がしなくて読めずに狼狽える日もあった。
そんな荒波のような感情になりながら読んで、私はまだこんなにも本に感情を揺さぶられる事があるのかと少し感動さえもした。

物語の結末が明かるみになる時に、途中途中に出てくる彼女が思い出す大事な一節が彼女自身だったと言う秘密が明かされた時にはやはり衝撃を受けた。
多才な彼女が普通の女の子だったのなら、彼女の人生はどんなものだったのだろうか。
彼女は、湿地に残され、自然に育てられてきた。大事なことは全て湿地の虫や動物、海や全ての自然から学んできた。だから湿地で起きたことは善悪の判断とは無用な事で、そこに悪意はなく、あるのはただ拍動する命だけ。
彼女を放っておいた村の人が彼女を引きずり出し、裁くと言うのはある意味間違いだったのかもしれない。なんて思うほどに、最後には人の育った環境の違い、言葉や文化の違いの世界が無数あることを思い出し、私の育った環境で人を判断するのはなんで傲慢なんだろうと考えたりもした。
ジャンルを特定するのが私の中では難しかった、ある少女の物語。

ちなみにザリガニが鳴くところはどこかは未だ想像できずにいるが、ちゃんと最後まで諦めずに読めて良かったと思う。

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