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わたしたちの時間、未来からの贈りもの



本日、0歳の赤ちゃん(多分半年くらい)と
そのお母さまと、そのお連れ様と、
同じ空間に身を置く時間が
1時間程ありました。


30分程、お母さまは席を外して
ご自身の体を労わる時を過ごされました。


席を離れる少し前あたりから
赤ちゃんは泣き出して
お母さまは授乳をされていました。
いざ離れると、赤ちゃんは号泣し始めました。



私は子どもがおりませんので
赤ちゃんのことは未知の世界ですが
去年姪が誕生しておりますので
色々とその光景を目にして
考えさせられました。


私たち大人にとっては
15分なんてほんの少しの時間で
カップラーメンを作り始めて、
食べ終わるくらいの時間です。



お母さまのケアの最中、ふと思いました。



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赤ちゃんにとっては、どうなのだろうか?



まだ生まれたばかりの
あの小さな身体にとって
その15分というのは

今の私たちには想像できないくらいの
とても長い時間なのではないだろうか。


0歳の頃の記憶をハッキリと
覚えている人はごく稀だと思いますが

この小さな体なりに
感受しているものがあり、
その時間というのは
私たちも経ている事は間違いはありませんが
とんでもなく長い時間なのではないか。


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母側の視点ではどうだろう。


自らが寝る時間も無く付きっきりで、
言葉でのコミュニケーションが取れない中
様々な考えを巡らせて試行錯誤行動し、
育事の他、家事、社会人としての仕事や
人間関係、日々のやる事だったり、
頭を回転させる事などが
たくさんあったりする中で
15分というのは
たかが15分、されど15分、
とても貴重な時間で
誰かと自らを切り離し
「自分」を感じることの出来る時間。


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子どもの頃はとても長く感じた道のりも
大人になるとあっという間に感じる。

知らない道を進むときも長く感じるが、
帰り道は驚くほどあっという間。



その「器」の大きさや長さによって
時間の感覚というものは
違ってくるのでしょうか。


時間というのは、
制限がありつつも制限がなく
減ってゆくものであり、
増えてゆくものでもある。。



自分というのは、
作るものではなく様々な時を経て
作られてゆくものなのかもしれないなぁ
なんて、この記事を書いていて思いました。

また、自分の存在というのは、
自分以外の誰かが作ってくれているのだなぁ
と改めて思います^^


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赤ちゃんは、30分のお留守番を頑張ったね。
お母さまは、様々な感情を抱かれていたと思います^^


赤ちゃんとお母さまとの関係に
私が言えることなど何もなく
赤ちゃんとお母さまとのお互いに
経験値や学びがあるのだろうなと思います。


人間関係というのは、
その人とその人の問題で
その人とその人とでコミュニケーションを取りながら、問題があれば解決をしていく。

その人とその人とで築き上げていくもの。

他人には分からない、
だからこそできる絆がある。



人との関わりは
時に重たく感じる時もあるけれど
人との関わりによって
様々なことを肌身で体験し、

今のこの自分には
想像することの出来ない感動を
味わう事の出来る日が
いつの日かやってくるのでしょうね^^✨



未来のわたしからの贈りもの。


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