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連載小説 魔女の囁き:4


 河合をがたがたにした最初の投手を丸裸にした、と岩瀬から報告が入った。あらゆる角度から徹底的に分析して、攻略法を見つけた、ということだ。河合を二軍に落として十日が経っていた。 
 河合がまったく打てなくなったのは、すべてこの投手が執拗に欠点を攻める投球をしたのがはじまりだった。そこから河合の打撃は崩れていったのだ。
 この投手はもともとプロのなかでも一線級で、河合にかぎらず、うちのチーム自体あまり相性がよくなかった。ただ今回の河合に対する投球でいえば、優秀なのはそのチームにいるあるひとりのスコアラーだった。そのスコアラーが河合を詳細に分析し、ウィークポイントを見つけた。
 私はそのスコアラーを知っていた。私と同じチームで仕事をしていた時期もあった。たしかに優秀なスコアラーだ。
 苦手な投手であり、スコアラーをふくめあまり相性のよくない対戦チームとはいえ、今回うちの若手有望株を一度は潰された。勝負の世界で生きていて、やられっぱなしで大人しく引き下がるわけにはいかなかった。
 岩瀬もそれをわかっていて、あらゆる角度から周到にその投手を研究した。そして、今回攻略する糸口を見つけた。
 自軍の選手であれば貴重なアドバイス。他球団の選手であれば徹底的に攻めるウィークポイント。これも、『魔女の囁き』である。
 私は岩瀬をGM室に呼んで、直接攻略法の詳細を聞いた。その投手の試合で投げる映像を流しながら、岩瀬は解説した。
「土尾さんもご存知の通り、この投手は制球力が抜群にいいのと、ピッチトンネルを巧みに使った投球で打者を打ちとります。なので、そこを逆手にとりたいとわたしは考えました」
 岩瀬が具体的な攻略法を話した。ようするに、その投手と対戦する際、うちの打者全員が全打席である一点に絞った打撃をする。ひと試合を丸々捨てる覚悟が必要だった。うまくいけば試合に勝つだけではなく、その投手にダメージを与え、うちのチームに対して苦手意識を植えつけることができる。失敗すれば、一点もとれずにチームは敗退するだろう。
「わかった。やってみるか」
 賭けの要素はある。だが、動いてみる価値はありそうだ、と私は判断した。そして、うまくいく可能性はそれほど低くないように思えた。
「あした、監督と会おう。岩瀬も球場にきてくれ」
 まず、監督を説得しなければならない。こういったチームが一丸となって戦う戦略は、現場が一体となるモチベーションの高さが必要不可欠だった。 


 翌日、試合前の早い時間にホーム球場に出向いた。岩瀬はすでに球場入りしていた。私は、ベンチでコーチたちと話している監督に声をかけた。きょうはホームでのナイトゲームになる。まだ午後になったばかりで、このあと試合前の練習がはじまる。岩瀬と三人でダグアウト裏の監督室に入った。
「大事な話とはなんでしょう、GM」
 ソファに座るなり、監督はいった。監督は私と対面していて、岩瀬は私の横だ。
「じつは数日後におこなわれるあるひと試合限定で、いまからいう戦略で戦ってもらいたい」
 私はいった。
「どういうことでしょう」
 私は河合の欠点を最初についてきた投手の名前をだした。
「一度はうちの若手有望株の河合を潰されたんだ。やられっぱなしというわけにはいかないだろう。あの投手とあのチームにお返しをしたい」
「もちろん現場のわれわれにもその気持ちはありますが、なかなかにいい投手です。ひと筋縄ではいかないと思いますが」
「じつは岩瀬があの投手を徹底的に分析して、攻略法を考えた。まず聞いてくれ」
 私は岩瀬にむかってうなずいた。岩瀬はノートパソコンを監督のほうにむけ、対象の投手の投球動画を流しながら話した。監督は岩瀬のいっている内容をすぐに理解した。岩瀬を性別や年齢で見下すようなそぶりはない。この監督自身、現役時代に岩瀬からもらったアドバイスで大きなスランプを脱出した経験があるからだ。だが、本件を実践することには難色を示した。
「岩瀬さんのおっしゃることはわかるのですが、今回の戦略は賭けの要素が大きいように思えます」
 あきらかに乗り気ではなかった。現場の統括役として、監督が日々の勝敗にこだわるのはまちがいではない。ひと試合ひと試合の勝敗が、監督としての評価に直接関わるからだ。
 私はGMという立場上シーズンをトータルで考えていて、一年が終わった時にチームがトップに立っていればいいと思っていた。うちの若手有望株を潰した敵チームのエース格を攻略できる可能性があるなら、最悪ひと試合くらいは落としてもかまわなかった。
「その試合で敗けても監督のマイナス評価はしない。勝てば評価の対象とするが、敗けの責任はすべてGMの私が持つ」
 私の言葉で監督が承諾すると、さらに具体的な指示を岩瀬にさせた。監督は岩瀬の意図を理解した。それをどういった言葉で選手たちに落としこむか、あとは監督の力量になる。
 対象の投手が先発投手としてマウンドにあがり、うちのチームと対戦すると予想している試合は一週間後だった。
「もしうまく攻略してこの投手にダメージを与えることができたら、出場した選手全員にとくべつなプラス査定を盛りこむ、と選手たちにはいってくれていい」
 私の言葉に監督はうなずいた。これで選手たちのモチベーションもあがる。
「やるからには球団としてとことんやるつもりだ」
 私は岩瀬を見て、それから監督を見た。ふたりともそのへんの勝負勘のようなものは充分に持っている。
「では、コーチ陣とよく話し合ってから選手たちに詳細を落としこんでくれ」
 監督を残して監督室をでると、ダグアウト裏の通路を歩きながら、私は岩瀬とかんたんに現状を整理した。それから、本件の成功の公算を訊いた。
 岩瀬は不敵な笑みを見せた。
「理論的には自信があります。うちの打撃陣の能力を考えても、難しい戦略ではないのでは、と。ただ、監督やコーチがどこまで選手たちに徹底させることができるかはわかりません。それで確率は大きく変わってくると思います」
「わかった。主要な選手たちには、私からも直接声をかけておこう」
 じっさいのところはやってみないとわからない。私はそう思っていた。投手と打者のその日の対戦結果は、選手個々の技量や調子の良し悪しだけでは決まらない。その時々の運や巡り合わせといった不確定要素が、すくなからず影響してくるからだ。
 このまま試合開始まで球場にいるという岩瀬と別れ、私は書類仕事を片づけるためにいったん球団事務所にもどった。


 一週間後の試合を迎えた。


  続 魔女の囁き:5


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