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役目終え半鐘シンボルに/遠野雑記帳

実家が全焼(05年月20日) 実家がボイラーの過熱で全焼したのは、仙台から東京に異動して2カ月後だった。小学校は既に閉校し、教職員住宅も未使用。焼き出された家族は、家が完成するまで教職員住宅で生活した。

教職員住宅に隣接してあった半鐘は、今でも同じ場所に建っている。昔は火災発生時に、消防団員が半鐘台で警鐘を打ち鳴らした。半鐘の周りで3、4回は聞いている。当時、遠野の火災は年に数十回しかなかった。

半鐘台に上るとき一段目の梯子がやけに高く、大人でも上るのが大変だなと思っていたが杞憂に終わった。半鐘はサイレンとか有線などに役目を譲り、地域のシンボルとして建っているだけと聞いた。

お世話になった教職員住宅は公民館に様変わりし、小学校の跡地は公園となった。公園に人影はなく、見えるのは田圃と山だけである。

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