浅倉透という透明人間。
見えないのなら無いのと同じだ。
『さよなら、透明だった僕たち』
noctchill(ノクチル)のユニットを象徴するワードだが、浅倉透が有する『透明』とは、透き通ってて綺麗だとかプラスな意味合いではないと解釈した。以下、プロデュースコミュは読み終えていることとして話は進んでいく。独自解釈なので凄まじい解釈違いがあるかもしれないため、未プレイは先にプロデュースしてみて欲しい。(また、深夜に書くラブレターよろしく、怪文書であること受け合いなのでそこも注意して欲しい)
浅倉透という人間を変えた出来事
おそらく、浅倉透の発言から察するに、ではあるが、浅倉透の人生に大きく作用した出来事が過去にあった。
要約すると「バスに乗り遅れた男の人が私の『ジャングルジムに登りたい』という気持ちを読み取って一緒に登って遊んでくれた」。
まず、気持ちを読み取って、の部分に注目したいと思う。
▲少女、浅倉透が『ジャングルジムで遊びたい』という気持ちが言葉ではなく心で通じ合ったと思われるシーン。
これが後の、浅倉透が『思い出のあの人』を厚く信頼し、『思い出のあの人なら言葉ではなく、心で通じ合える』と考えるきっかけになる。
▲「あの時の人なら……心が通じてるって……」
この思い出が浅倉透にずっと深く残っており、『ジャングルジムを一緒に登ってくれる人がいる』夢を見るに至るまで、強く印象に残っている。
のぼっていくもの
またこの『ジャングルジム』は浅倉透にとっては含みのある言葉になっていく。
まずは以下の画像を三枚読んでみて欲しい。
画像1枚目2枚目は度々見る『終わらないジャングルジムを登る夢』の内容を語っている。
が、3枚目は同コミュ『人生』の最後に浅倉透が、ぼそっと呟く一言である。
深い考察をするまでもなく、コミュタイトル通り、終わらないジャングルジムを人生に例えて表現している事がわかる。人生を途中で降りることはそう簡単ではないし、終わりが見えないのも人生だ。ジャングルジム=人生、という方程式が出来上がる。
となると、『ジャングルジムを一緒に登る』というワードにも別の意味が見えてきそうだ。
リビングデッド
はたして、景色も何も変わらない、どこへ行くのかもわからない、いつ終わるのかもわからない、何のために登り続けてるのかもわからない、ただ長いだけのジャングルジムは楽しいのだろうか。きっと楽しくないだろう。ただただなんとなく登り続けてるだけで、やりがいも達成感もなにもないだろう。ただただ惰性で、なんとなくで、登り続けるジャングルジムは『あくび』が出るほど退屈で、空虚で、なんの面白味も色味も無い、『透明』なものだ。
▲何回もあくびをする浅倉透
特に食べたいものもない、夢中になれるなにかも、興味ひかれる趣味もない、目的も目標もなくただただ『死んだように』生きてきた浅倉透は残酷なまでに『透明』なのだ。
『透明』な日々や人生に、特筆するような出来事や感情の変化は当然無く、「日誌」に書くこともない。ただその日起きたことを、起きました。と書くだけだ。
色づき始める予感のあった『アイドル』も透明な学校と変わらない、そう感じたら、またなんとなくでジャングルジムを1つ登るだけだ。
また幼馴染である雛菜が着けてくれたストラップを「着けられた」と言ったり、そもそも死ぬほど興味がなかったり、退屈なものは退屈なのだ。退屈であるもの、そうでないものの区分はまだ明らかではない。
▲「初めてちゃんと見た」
追想
浅倉透にとって、かけがえのない出来事だった『思い出』はプロデューサーと共有されることはなかった。
プロデューサーは、昔一緒にジャングルジムに登ったのは‘’男の子だった‘’と話す。当時の少女浅倉を男の子だと思った原因は定かではないが、この『思い出』の齟齬がプロデューサーと浅倉透をすれ違いさせていく。
「……透さ もしかして、あんまりアイドルやりたくないのか」
浅倉透のそっけない言葉たちで、誤解したプロデューサーは詰めよってしまう。
言葉が無理でも、歌やダンスで、パフォーマンスで誰かに何かを伝えよう、そうプロデューサーは浅倉透に諭す。
それら全てプロデューサーの浅倉透を想っての言葉だが、浅倉透からしてみれば
『あれ?心で通じ合ってない?』
と感じる要因でしかない。気持ちのすれ違いはますます加速していく。
浅倉透はプロデューサーを何回か試すような発言を繰り返している。
意図としては「ほら覚えてないの?」と問いかけるような、「思い出してよ」と言わんばかりの匂わせ発言ばかりだ。
だが最も意味合いのウェイトを占めているのは「思い出のあの人はプロデューサーなのか」という確認作業ではないかと思う。
そう考えると2回目の初対面で、昔出会った時の台詞をまるまる引用したのも、確認作業の一環だったのではないか、と勘ぐってしまう。
『人の顔を覚える事が特技』の浅倉透ならばプロデューサーとの再会の瞬間『あって思った』はずだ。夢にまで見る思い出のあの人ではないか、と。
ただ、思い出の齟齬や、数多の匂わせ発言でカマをかけても一向に思い出す気配もない、『そもそも心で通じ合えていない』プロデューサーに『あれって思う』までそう時間はかからなかったのではないかと思う。
一緒に登ってくれる『誰か』
そして物語は大きく動く。「浅倉透をもっと知るために」始めた日誌(この日誌がもう心で通じ合っていない物的証拠なのだが)にただ一言『旅に出ます』と書き残した浅倉透は姿を消す。プロデューサーでなくてもこんなの心配するが、けろっとした表情で浅倉透はブランコに座っていた。
「わからないんだよ……」
浅倉透が何を考えて、何を思っていて、何を感じているかわからない。わからないから教えてくれ。そう浅倉にプロデューサーは言葉を投げかける。
この言葉は浅倉透とプロデューサーが心で通じ合っていない、いわば決定的な証拠だ。
心で通じ合えるはずの『思い出のあの人』はプロデューサーじゃなかった。あの人はプロデューサーだと思いこんでいた。そう浅倉透は語る。
一緒にジャングルジムを登ってくれていたのは『誰か』だ。プロデューサーじゃない。
この人とは心で通じ合えないから、言葉が必要なんだ。もう試すような真似をする必要も無い。
私、今度は『あなたが心で通じ合えない人』ってちゃんとわかったからこれからは言葉で伝えるよ。だからそんなに悩まないでよ。
ただただつらい。
ちゃんとやるから
言葉通り、浅倉透は言葉でプロデューサーに思った事を伝える。
ここのアイドルはここが凄かった、ここのアイドルはこうだった。とか。
浅倉透の語彙力が微妙であったり、無口になってしまったのも『心で通じ合えるのならば言葉ば不要』だと結論づけたのだと解釈出来なくもない。
拙い言葉でも、本来休みでいないはずの浅倉透が自分の思いを伝えるためだけに事務所に来ているシーンは感動的に見える。が、プロデューサー相手に心で通じ合う事を諦めた結果だという事を踏まえると何とも言えないやるせない気持ちになる。
その後のプロデューサーの昔語りで「夢の中でもジャングルジムに登るんだけどてっぺんに辿り着かないらしくてさ」という当時の特徴が自分である事で再び 『プロデューサー=思い出のあの人 説』が浮上する。
(唯一浅倉コミュで自分の解釈に納得がいってないポイントで、プロデューサーと思い出のあの人をもう一度結びつけるためにはプロデューサーと浅倉透が心で通じ合うプロセスが本来必要だったと考えている)
先ほども述べたがプロデューサーが当時の少女浅倉を男の子だと思った原因はよくわからない。少女だった浅倉透の一人称が「僕」であったり、プロデューサーが思い出せないことを「しょうがない」と浅倉は言っているので、幼少期は男の子らしく振る舞ってたなにかしらの理由があるかもしれないし、無いかもしれない。
▲一人称が”僕”の少女
余談かもしれないが、『とおる』という名前も男の子の名前であっても違和感がない。シャニマスにおいて意味の無いことはほぼ無いと思いたいのでなにか含みがあるかもしれない。
プロデューサーが思い出のあの人だとほぼ確信に変わった浅倉透は再び『一緒にジャングルジムを登る』事を目指す。
「……ずっとさ、一緒に登ってくれてたんだよね」
この”ずっと”の解釈が自分のなかで難しく、2パターンになると思われる。
まず、『ずっと夢の中でもあなたは一緒に歩んでくれてたよね』のパターン。このパターンならば思い出は浅倉透の中でかけがえのない出来事感が増し、一緒に生きてきてくれたよね、の方のニュアンスが強くなる。
次に『あなたはずっと私を解ろうと対話し、一緒に歩もうとしてくれてたよね』のパターン。こちらはアイドルとプロデューサーの関係になってから、の話になる。アイドルを志すなんて生半可な覚悟ではなく、人生設計に直結する重大な決断だ。そのアイドル活動が上手くいくように私を解ろうと、対話しようと、一緒に歩もうとしてくれたよね。って意味なのか。
次に続く浅倉透の言葉が
「私も、そうしてるだったんだけど――」
「伝わってなきゃ、てっぺんが見えても、嬉しくないのかも」
なのだがこの2つの台詞も解釈がわかれるところだ。
一緒に登っているつもりだったけど、の『一緒』を強調する意味合いならば『登っていたのはあなただけで、私はジャングルジムを登る事を(生きることを)止めていたよね。』というリビングデッド論を強調するようなニュアンスになる。
次に『プロデューサー、あなたと二人三脚で頑張ってきたつもりだけれど、あなたにそれが伝わっていないのならたとえ頂点がとれても嬉しくないよね』という意味合いなら言葉で伝えることを『ちゃんとやるから』改めて二人三脚でやっていこうねというニュアンスになる。プロデューサーとは心が通じないが(プロデューサーは思い出していないが)、プロデューサーは思い出のあの人と同一人物である、と浅倉は認識を改めている可能性が高いので後者の方があると思う。
チルアウト、ノクチルカ
どちらの解釈にせよ、透明だった人生が色めきだし、たくさんの出来事が透明でなくなった浅倉透は「日誌」が書けるようになるのだ。
これから楽しいこと、悲しいこと、透明だったものが見えてくるはずだ。
▲前述の『あくび』を禁止することは退屈な日々にさよならをするためのいわば儀式なのかも
ただ退屈だったジャングルジムを再び登る事を決意する浅倉透。人生が、物語が、進む予感に『終わりが見えなかったはずのジャングルジムを進んでいる』そんな気さえする。
なにもない退屈な日々はただ毎日の繰り返しで果てもなく長く感じるかもしれない。が、いろいろな物が色どり始める鮮やかな毎日はあっという間だろう。
さよなら、退屈で透明だった日々。
感情を出すようになってからの浅倉透は結構色濃く感情が出ている気がする。
▲一番好きなシーン。
緊張すら浅倉透には新鮮な感情なのかもしれない。
そしてwing優勝へ。
長いようで短いようで
wing優勝という大挙を経て浅倉透からプロデューサーに「昔会った事がある」とカミングアウトがされる。
ただ、いきなり答えを出すのではなく、あくまでプロデューサー自身で「ジャングルジムの男の子=浅倉透」に気付かないと意味がないらしい。乙女心ぽくてかわいらしい印象だが、もしかしたらこれは少女浅倉透が男の子の振る舞いをしてたことに関係があるかもしれない。無いかもしれない。
「ゆっくり思い出してよ、私も気持ちを伝えるの。時間かかりそうだから」
浅倉透のプロデューサーへの言葉だが、シーズン初期に比べて『人生は長い』の意味が違うことに注目したい。
また、伝える気持ちがどういう感情をさすのか明確な回答はなく、答えを出しても根拠が乏しいため考察の域を出ない。
メタ的な考察だが、シナリオリーダーが特定のアイドルとだけ親密になっていないかチェックしているらしいのでこの気持ちが恋愛感情である可能性もあまり考えたくない。
これからの行動動機が恋愛感情だとあまりにもあまりにも……という感じだ。
長い間時間をかけないと答えが見つからないようなものを、これからの展開で探していくのかもしれない。
最後に
おそらくこれらの考察は的を得ていない物の方が多いかもしれない。それだけ浅倉透は、水のように透明で掴み所がないのだ。
ただなんとなくでだらだら惰性で生きてる人間というのはプレイヤーにも一定数いたりしそうなもので、「俺の境遇と一緒だ……オタク」が新しく生まれそうではある。
noctchillの残りメンバーは日をそれほど開けずに実装となる。残りメンバーからも浅倉透を垣間見える事もあるかもしれないので、今後の展開も注目したい。
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