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私の写真は「説明文」で面白くない?

引っ越してきてからずっと書いてきたnoteだけど、少しの間書くことができなかった。理由は体調を崩していたから、というだけではなくて他の理由もある。

良い記事や写真を見て憧れて、そして今の自分を見て凹む

たまたま読んだ記事がとても面白かった。ぜひ読んでみてほしい。

概ね言いたいこととしては、ただうまく撮れてるだけの写真は作品としてほとんど無価値だと思う。
じゃあ、何が作品として重要かというと、撮影者がどのような文脈や嗜好を持って作品としてどのような構成をしたか?それが作品としての価値だと思う。

心惹かれる写真って何だろう?

・うまく撮れているのに全く心惹かれない写真
天才でもないあなたにしか撮れない不完全でユニークな写真を撮った方がいいと思う。
・ただうまく撮れてるだけの写真は作品としてほとんど無価値だと思う。

心惹かれる写真って何だろう?

私が思うマツオカヒロタカさんの写真の良さはたとえばこういうところだ。

  • 写真を見た人を緊張させない、リラックスさせる

  • 詩的

  • 想像を掻き立てられる、ドラマを感じさせる

  • 撮影した人の見方を押し付けられている感じがなく、余白がある

全部私が持っていないものだ。だから憧れる。

なんとなくショックを受けた なぜなら自分の写真はつまらないと思ってしまったから

そもそも私の写真がうまく撮れているかどうかについては一度置いておくとして…私の撮った写真はやっぱり、四角四面でおもしろくないなあと思ってしまった。わかっていたけど、なんか、傷ついてしまったのだ。

なんで傷ついたんだろう。
真面目とか一生懸命という特徴を、子どものころから言われ続けてきている。最近はやっと長所として認めることができるようになってきた。だけどその反面「面白みのない人ですね」と言われているような気もして、コンプレックスだった。(まじめで面白い人もたくさんいるが)

新緑の鞍馬寺
鞍馬山中腹からの眺め

私の写真は、「これは寺です」「新緑です」という説明でしかない、味も色も何もない、つまらない写真だなと思ってしまった。

だとしたら、ちょっと今までと違う写真を撮ってみたい。ちょっとでも雰囲気を変えた写真を撮ってみたいと思ったのだ。

これまで撮ってきた私なりの写真

野菜サラダ(大原野菜)
円山公園に出ていた焼き竹の子の屋台
平等院鳳凰堂(ちょっと光が入っちゃった)

自分なりに「わかりやすく」「見ていてストレスのない」「自分の感じた被写体の魅力を伝えられる」写真を目指している(そしてそれは私の書く文章とも同じ方針、のようだ。今書いていて気付いた)。

だから、逆に不完全でユニークを写真を撮ろうと意識してみた…

特に見るべき写真はないので次の大見出しに行っていただいて構わない。

なんか草・・・
ちょっと視点をずらしてみたり・・・
欄干シリーズ1(割と気に入っている)
欄干シリーズ2

ユニークさ(?)を求めてみた結果

惨憺たる結果だ。こんなものを全世界にさらしてしまっていいものか?

自分のなかにある(かもしれない)ユニークさを求めて写真を撮ってみたけど、うまくいっている感じがしない。なぜなら

「こういう写真って、『ユニークっぽい』。くくく…」

という下心をムラムラさせて写真を撮っているからだ。自分のユニークさを意識しようとしてもついつい人からの見た目を気にしてしまう。

これは、ダメだ・・・

とやっと気づいたので、「新しい視点」「いつもと違う視点」を意識はしつつ、いつもどおりにやっていくことに…

いつもどおりがいちばん 私らしさは私のなかに

ノルウェーのフィヨルド
島根のローカルバスの中から
富士山9合目
フィンランドの森

こういう「説明文」で良いのだ。

私はこれでいいのだ、こういう写真をこれからも楽しく撮っていこうと前向きな気持ちになった。

写真を撮るとき、水平に、影を入れず、なにも考えずにパッと撮ることが増えた。楽しいという気持ちも弱くなってきていて、「こう撮ったらわかりやすいかな」「伝わるかな」という考えの方が強くなっていた。

SNSにアップすることを前提ではなく、自分のために写真を撮ってみてもいいかな、それを写真の同人誌にしてみてもいいな…と楽しい気分になった。最初に「憧れて凹む」と書いたけど、そのあとに自分の見直しがあって、いい経験になった。

あと、そもそもなんだけど、旅行とか大きな刺激がないとドラマチックでいい写真は撮れないよな…


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