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仕事量のストレスよりもしんどいと感じるもの

今年で社会人5年目になる。今まで働いてきた中で思うことがある。それはストレスについてである。ストレスには物理的、ストレスなど、様々な種類がある。

1つ挙げるとするならば、仕事量のストレスがあると思う。定時内でどう考えても終わらない仕事量になると残業することが多くなる。時には理不尽な仕事を押し付けてくることもある。そうしたキャパシティーオーバーによるストレスを抱えることはよくあることだと思う。しかし、私はこれは見方を変えれば特にストレスだと感じることはないと思う。その仕事が好きで、やりがいを感じれるか。これに尽きる。好きであれば、どんなにしんどい状況であってもやり遂げられる。やりがいを感じれるのであれば、自分の中でとことん突き詰めてやり抜くことができるはずなのである。実際に仕事をされている同僚の方でも、「本当にこの仕事が大好きです」と感じている方は、不満を漏らさない。そして、周りの方々に常にポジティブで好印象を与えている。

私は中学校教師として現場で働いていた。教職員の仕事量はとても多いとニュースで取り上げられている。しかし、私は教職員だけが仕事量が格段に多いとは思わない。私は教職員以外の方とお会いし、お話をするのが好きで、仕事のことについてもいろいろな話を聞くが、皆さん仕事量は多いし残業もすることはあるとのこと。ニュースでは「教職員の労働環境」がよく取り上げられるのだが」、教職員だけが特別なのだと思わないでほしい。働く人皆が仕事量のストレスは抱えるのである。

話を戻すと、私は仕事量のストレスよりも断然しんどいと感じるストレスがある。それは「心理的ストレス」である。仕事でも精神的な苦痛はほかの何よりもしんどいと思う。

例えば、あるプロジェクトにチームの一員として関わっていたとしよう。そのプロジェクトのリーダーがある企画を持ってきた。その企画を推し進めようとする。しかし、自分自身はその企画に関して賛同できないところがたくさんあった。もしくは、自分自身が意欲的にやってみようと思うものでなかった。しかし、自分の思いとは裏腹に企画は実行されていく。案の定仕事が舞い込んでくる。こうなったとき、人はどのような感情を抱くのか。仕事であるため取り組むのだが、その一方で言葉は悪くなるが、「この仕事をやらされている」となるかもしれない。そのような感情になったとき、仕事の効率は極端に落ちる。更に、共に頑張ろうと意気込んでいたチームのメンバーが辞めたり、サポートしなくなったりするとどうなるか。よりしんどくなることは目に見える。

ストレスはある程度は必要であるというデータがある。ストレスは、人間が生活を営む上での幸せを感じる過程で必要なのであるという。しかし過度に負荷がかかりすぎると心身で支障をきたす。要はストレスのバランスが大事なのである。ストレスのバランス均衡が崩れそうになった時、自分の中で「待った」をかけ、見つめなおす機会を作ることは、幸せな人生を送っていくうえで必要不可欠なことなのかもしれない。


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