麗らかに #8 可哀想という言葉
去年暮れに、私の病気がわかり
職場の人に告白した時のことです。
👩「ゆりっぺさん…
何も悪いことしてないのに…
可哀想ですぅぅ!私だったら…耐えられない😭」と
私の前で顔を覆い
泣いた人(ほんとに泣いたかは不明)がいるのです。
慈悲の気持ちを持った
心根の優しい方なのでしょうが
性格の悪い
ひねくれ者の私は
カチーン💢 💢
ゆりっぺ:
「ははっ💦💦 いや〜私
悪いことばっかりしてきたから
病気になったのかもね〜」と
笑って言ってやったら
👩ぽか〜んとした顔をして
「う〜ん…」と言い
黙りこんでしまいました(笑)
「おぃっ!そこ、否定するとこだぞ!」と、
突っ込んでやりたいところを
ぐっと抑えたわ〜😅
周囲の同僚は
明らかにドン引きしており
私は、大人気ない対応をしてしまった自分を
反省しました。
「心配してくれてありがとうね」と、一言
返せばよいものを…💦
だけど…
私は
昔から
「可哀想」と言う言葉と、
それを他人に向けて言う人のことが
どうにも許せない!!
単に他人を見下している
上から目線のイヤな感じと
いうだけではなく
なぜこんなにも、この言葉に
嫌悪感や違和感を感じるのだろう?
と、ずーっと気になっていたのです。
※そう!
前にも書いたように、
私の母がこの「可哀想に」を
よく使う人でもあるからです。
Yahoo知恵袋より
可哀想という言葉に強い違和感を感じるのは
「他人事」が強調されるからでは?
災害被害にあった人が可哀想というのは、自分が安全地帯にいての話。一緒に被災した人は、他の被災者に「可哀想」とは言わず「お互い大変でしたね」となるのでは?
言う方は悪意は無くても、哀しみや辛さを共有しているわけではないからでは?
…とても腑に落ちました。
私を「可哀想」と言った職場の人は、
私の不安や恐怖を共感して欲しい人ではないし
「もし、私だったら…」という言葉は
確かに、彼女の悪気のない
正直な言葉だったのだと思うのです。
人は結局、自分軸で物事を考えるものであり
それは自然なことであり
責められるものではないのです。
ただそれをわざわざ言葉にして言うかどうか
そこの違いは大きいと思うのです。
そんな言葉も
さらりとかわせるだけの器量のない
大人気ない私は
見事に反応してしまい…ムキになり
そして今日もまた
世間は連休だというのに…
肋骨骨折の身体にムチ打って仕事してんのに(笑)
あの日と同じような出来事があり
心穏やかではない一日でした。
あ〜!
愚痴ってすっきりした😏
noteさん、ありがとう😊
麗らかに〜
ほんとに程遠い目標です。
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